9 スタート地点
作戦会議は意外な形で幕が引かれ、とりあえず東方司令部の嵐は収まりそうだった。
やや浮き足立っていた皆も何事もなかったかのように通常業務へと戻り始め、あとはハボックがロイを見つけ出すのを待つばかりだ。結果的にはいつもとなんら変わりない。
エドとアルがブラックハヤテ号を庭に連れ出したので司令室はいつもより静かなくらいだった。
司令室はハボックの机だけが空いており、ロイの机の上ではここまで付き合ったら最後まで見届けるとまだ残っているヒューズが、溜まっていた書類を次々と処理していく。さすが情報部なだけあり素晴らしいスピードだ。
この人が上官だったら仕事は楽だろうなと思いつつも、別の意味で苦労させられそうな気がする一同はロイにも少しくらい見習わせたいと思うだけで口には出さなかった。
だが手伝うといっても東方司令部の司令官でもなく中佐では処理できない書類もかなりあり、件の書類はまだ手付かずのまま残っている。
一度手を止めてふとロイの机の上のカレンダーを見たヒューズはあることに気がついた。
昼間チェスの手合わせをした中将は、ロイがスケジュール帳を気にしていたと言わなかっただろうか。
「もしかしてあいつ・・・」
ファルマンほどの記憶力はないが、分析力と解析力は抜群を誇るヒューズの脳でロイの失踪理由が一本の糸に繋がりはじめる。
非常にロイらしいというか、はたまたロイらしくないというか。
「どうかなさったのですか、ヒューズ中佐」
突然手を止めて何かを考え込むヒューズにホークアイが声をかけた。
ヒューズはその場には居合わせなかったのだが、ホークアイとロイはイシュヴァールの戦場で出会い、その後副官としてロイが中央から離れたときにも付き従っている。
それなのに不思議なことにあの女好きの親友が、この少々厳しいが美しく優秀な女性だけは手を出していない。更に謎なことに拾ったばかりのあまり躾のなっていない若い雄犬を恋人に選んだのだ。
予測でしかないがふたりは故意に距離を置いたのだと思う。多分ロイもホークアイも、お互いを傷つける存在でありたくはなかったのだろう。
何故ハボックならばよかったのかは知らないし、知る必要もない。恋とは歪で、酷く個人的なものなのでそこに第三者の理解を挟むことはほぼ不可能だ。
それでもたいせつなロイが、形は違えどホークアイやハボックをたいせつに思い、たいせつにされる存在なのだと思うと少しだけ安心できた。
ロイからいまだに抜けきらないイシュヴァールの影は、きっと自分にはもう二度と手が届かないから。
自分のことすらままならないくせにヒューズの幸せを誰より望んでくれた親友にできることなど、ロイ自身の幸せを誰より祈ってやることくらいしかない。
「ホークアイ中尉」
「はい」
「ロイのこと頼むな。ワンコにはまだちっと荷が重いだろうから」
「もとよりその覚悟です」
「あと、今日はあんまり叱らないでやってくれ」
あまり表情を変えないホークアイがヒューズの言葉に少し難しそうに眉を寄せた。
だがヒューズは意味ありげに口をゆがめただけで、再び書類へ向き直ったのだった。



追手たちをまいたハボックは、ロイのいる場所に確信を抱いていた。
ようはかくれんぼの要領なのだ。ただ今回はかくれるのはロイひとりで、その他は全員鬼。
そんな不利な状況でこれだけの人数の目をくらますことは難しい。だから鬼たちはロイがいなければどんどん捜査の手をあちこちに伸ばして、どこまで逃げたのだろうと首を捻ることになった。
しかし、相手はあのロイ・マスタングなのだ。普通の人間では考え付かないようなことを平気でやってのけてしまうような人間なのだ。
おそらく大勢の人間は先入観に負けてたいせつなことを見逃していたのではないだろうか。
・・・ロイは最初から逃げてなどいなかったとしたら?
ぞくぞくするような感覚がハボックの本能を刺激する。
この本能に忠実になるとき、ハボックはすべての神経が研ぎ澄まされて世界と切り離されたような感覚になり、とどまるところを知らず周囲のざわめきに興奮する獣のような己を知っていた。
戦場で生き延びるときにはこの直感に非常に助けられたが、平時では正直もてあまし気味な力だった。
知らなくていいはずの危険まで察知してしまい、結果として上官からうとまれてしまうことが殆どなのだ。しかもこれは超能力だとかそういう類のものではなく、もっと根本的で不確実なものだ。有効に利用することすら難しい。
実家に帰るか、軍人ではなく傭兵に転身でもするかと一時期は思っていたりもしたのだ。
ロイに出会うまで。
一個人に対して一瞬にして総毛立つような感覚を覚えたのは、ハボックの二十数年の人生であれきりだった。
電流が走った。目に見えない糸にひっぱられるように、何かが自分たちを繋いだ。
あのときからずっとロイを探している。側にいても、いなくても。
それが信頼の絆なのか、醜い独占欲なのか多分自分もロイももう気づいている。
それでもあふれ出る感情の行き先を、自分では止める術をハボックは知らない。
ならば疲れ果て、足が動かなくなるまで、息の根がとまるまで探し続けるしかないんじゃないだろうか。
「俺以外の人間なんかに、見つけられてたまるか」
ハボックは勢いよく目的の扉の前に立った。
彼自身の執務室、ここがロイ探しのスタート地点。
司令官の部屋にふさわしいその重厚な扉を開ける。だが中身はいたってシンプルで、部屋には仕事机と応接用のソファーセットとロッカーくらいしか物がない。
机の下で発見された制服の上着は、発見したフュリーの手によってきちんと畳まれて机の上にある。
軍の支給品だけあって丈夫な布でできており嵩張るものだ。もう大分気候は春めいて上着なしでも寒くはないが、激しい運動をしたのだとか焚き火にあたっていたのだというのでなければ暑くて脱ぐほどではない。
とすればロイは邪魔だったから上着を脱いだのだ。
大概において話の確信というのは、真実のなかにうまく隠された小さな間違いだったりする。
ハボックはゆっくりとロイのいるはずの場所へ近づいた。
「大佐」
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