6 東方司令部屋上
「ヒューズ中佐!」
「あれ。エドとアルじゃないか」
ブレダたちと別れて廊下を曲がった場所からひょっこり姿を現したのはエルリック兄弟だった。
「お前たちも来てたのか」
親のいない身で軍属になった兄は、彼を国家錬金術師に推挙したロイが後見人を務めている。
国中をあちこち飛び回っている二人だが、定期報告と賢者の石の情報提供も含めて何ヶ月かに一度は東方司令部を訪れている。用事があれば中央にも来ているのかもしれないが、宿代わりに一晩くらいちっとも邪魔でもないのに、大人のような気遣いと子供らしい妙な意地があるのか、一度も家に来たことはない。
「中佐こそなんで東方に?」
「仕事だよ、仕事。でも肝心のロイがいなくてなあ。ブレダ少尉たちに泣き付かれたから探すの手伝ってる最中だ」
「実はボクたちもなんです。兄さんが報告書持ってきたら丁度大佐がいなくてホークアイ中尉に頼まれて」
「中佐って大佐と親友なんだろ?どっか見当つかない?」
「って言ってもなあ。中央ならともかくこっちは門外漢だからな。結局手分けして探したほうが早そうだってんでいまから屋上に行こうと思ってたところだ。お前達こそリザちゃんから何か聞かなかったわけ」
「それが最近はハボック少尉に任せきりだったからよく分からないってさ」
「でもワン公の帰還を待ってたら締切がきちまうとかでな・・・仕方ねえ。ブレダ少尉たちが一階をしらみつぶしに探してるはずだから、それ以外のところに行ってみてくれ」
「了解」
エドたちと別れ、屋上へ続く階段へ足を向けた。
こうしていると士官学校を卒業して間もない頃、まだ東部の戦争に召集される前に共に仕事をしていた中央時代を思い出す。あの頃からロイはとにかくデスクワークが嫌いで、なにごとにおいても現場主義だった。
卒業したての新米軍人とは言え、未来の幹部候補として徹底的に教育を受けたエリートだ。少尉の肩書きは一小隊を率いる隊長レベルであって危険な前線に向かわなくてもいいにも関わらず、一兵卒のようにすぐに現場に飛び出してしまう。
何か起こるたびにロイの部下から「少尉の姿が見えない」と応援を求められた。
振り回される部下のために一応叱れば、ヒューズの言い分はもっともなのでしおらしく頷いては見せるものの、机上で学べることは学生時代に十分学んだし、いまは現場で学べることのほうが多いと言うのだった。
そのくせ階級があがるごとに多くなる書類作成の段階になれば、いつの間にかとんずらしてしまうのである。
情報部に所属していたヒューズはそれこそ毎日毎日紙に埋もれながら仕事をしていたのだが。
東部内乱のあとしばらく彼は人が変わったようになった。
もとから権力主義のきらいはあったが、それがより顕著になったのだ。
面倒な書類作成から些細な事件までありとあらゆる仕事を猛然とこなし、ただでさえイシュヴァール殲滅戦で知らしめたその名を裏付けるような活躍を見せた。
それに感心した者と恐れ慌てた者のどちらが多かったかは、突然彼が栄転の名で実質的な左遷をさせられたことからも窺い知ることができる。
本人よりもヒューズのほうが、こんな状態のロイをひとりで東部になど行かせられないと思ったが、自分もまだ佐官になったばかりで上層部の決定した人事に意見できる立場になどなく、何より本人がすんなり承諾したのだ。
中央から地方に移動するということは、出世街道をほぼ絶たれたも同然だ。
しかし彼はほぼ確信したようにいずれ中央に戻ってくると言ってのけた。ロイにそこまでの覚悟があるのならそれ以上は自分が口出しをすることではない。
だがそれでも娘を送り出すような複雑な気持ちを抱えたまま、中央の駅から見送ったのだ。そのとき、仮にも上官であるロイに敬礼ではなく手を振ったのは些細な抗議だったのかもしれない。
あれから5年。東部は相変わらず物騒ではあったが、それでも田舎特有ののんびりとした気候は大いにロイの肌にあったらしく、またいい犬を拾ったようでさぼり癖は以前よりパワーアップしていた。
……隙あらばサボる司令官がどこにいるというのだ。
イシュヴァールで変わったことは決して小さくはなかった。ロイは傷つき、絶望していた。
それでもただロイが生きていてくれることが素直に嬉しいと思う。
中央からただひとり彼に付き従った女傑以外にも彼を信じて守ってくれる人間が増えたことは、遠く離れてなにかあったとしてもすぐに駆けつけられないもどかしさに、少しでも安心を与えてくれる。
昔は自分だけにすべての愛情を傾けていたロイが、いつの間にか自分の知らない人間関係を築いていたことに、嫉妬とも淋しさともいえるようなものを抱いたとしても。
特にヒューズを複雑な気持ちにさせたのは、着任してから一年ほどたった頃に拾ったという馬鹿でかい金色の犬のことである。
田舎者だが見た目は悪くない。態度は悪いが仕事はできる。上官には嫌われるが部下には慕われる。ロイに知られれば絶対に怒られそうだが、気になってヒューズはその男について情報部の腕を生かしていろいろ調べてみたのだ。
イシュヴァール真っ只中の18歳のときに田舎を出て軍の養成所に入り、戦争終結後に南部紛争に投入。類まれな身体能力を買われて特殊部隊に所属し、ゲリラ戦などを繰り返しながら戦地を転々とする。紛争が落ち着いて部隊の解散後は南方司令部に所属するも上官を殴って即効で別の司令部に飛ばされ、そこでも上官とそりが会わずに半年と待たずに飛ばされ、そんなことを繰り返しながら最後に東方にやってきた。
書類だけ見ればどんな猛獣なのだと不審に思い、本当に大丈夫だろうかと自分の目で確かめて見ることにしたのだ。そしたら予想ではまるで様子の違う、猛獣どころか飄々としてまだ青さの残る青年だった。しかも、滅多なことでは驚かない強固な神経をしているヒューズを驚かせたのは、どうも彼はロイに恋心のようなものを抱いているらしく、ロイも満更ではないということに尽きる。
「……はやくエリシアちゃんに会いたい」
結果的にくっついてしまった二人に嬉しいような納得いかないような、妙な気持ちになってきたヒューズは愛娘のことを思った。
父親なんて因果な生き物だ。自分なら不自由なく悲しい思いも苦労もさせずに幸せにしてやれるのに、結局娘は別の場所で幸せを見つけてしまうのだ。
本気で悲しくなってきたので、せめてここはばっちりロイを見つけて父親の威厳を取り戻さなければと、いろいろと間違った使命感を奮い立たせながらヒューズは階段を駆け上がった。
ばたんと盛大な音をたてて扉を開ける。
「ロイ!」
通りのよい声で呼びかけてみる。もう何十回、何百回、何千回呼んだか分からないその名を。
唯一ハボックがまだロイに許されていないのは彼のファースト・ネームを呼ぶことだ。間違ってプライベートを仕事に持ち込まれるのは困るからというのがロイ言い分だったが、ヒューズは単に照れくさいのだろうと考えている。
自分も出会った当初はさんざんマスタングと呼べと抵抗されたが、それでもめげずに呼び続けたので結局ロイが折れたのだ。それもまだ同年齢でルームメイトという立場の気楽さでできたものであり、年下でまして部下であるハボックにはできない芸当だろう。
「ローイ?いまなら一緒にあやまりに行ってやるから、中尉のところに戻ったほうがいいぞ!」
もう一度呼びかけてみるが、返答はない。基本的にロイは偏屈だが、それと同じくらい甘やかしてやれば食いついてくる素直さも持ち合わせている。副官のホークアイが厳しい分尚更である。
しかし、ただ風が頬をなで前髪をかすかに揺らすだけで、一向にロイからの返事はなかった。
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