「今日だけ我侭に付き合ってくれないか?」 殺し文句といえば最強の殺し文句だった。 あの金髪美人の上司の愛銃が火を噴く様子が生々しく思い浮かべられる素晴らしい想像力を呪いつつも、結局彼の我侭に屈してしまったのは。 イーストシティ行きの列車から吐き出される煙が、まるで今は居ない人を弔うようで。 何故か少しだけ泣きたくなった。 ロイの出張の護衛で中央に来たのは二日前。 最初はホークアイが護衛につくはずだったのだが、東方司令部の合同射撃訓練の教官に駆り出されてしまいハボックがピンチヒッターになったのである。ホークアイほどではないにしろハボックとて射撃の腕は一流なのだが、もちろんむさい男に教わるより美人の教官のほうがいいに決まっている。無言の圧力のうちに、教官を代わりにやるよりは護衛のほうがマシだと判断した次第だ。 東方司令部の事実上の司令官の出張に護衛一人は心許ないが、童顔と年齢に似合わない地位にあるせいか、ただでさえ反感を買いやすいロイにものものしい護衛などを付ければそれこそ恰好の嫌味の的になってしまう。 他はともかく腕だけは信用してもらっているらしいので、ロイも何も文句は言わなかった。 サボるわ逃げるわの日頃の彼からは想像できないが、中央での二日間は驚くほどの集中力で仕事を片付け、お偉い方との会食もまったくソツなくこなす絵に描いたような有能っぷりだった。その間にきちんと女性に声をかけることも忘れないのだから恐れ入る。 そんなロイの努力の結果何事も問題も起こらず、予定よりも随分早く仕事が片付いた。早めに帰って報告をすれば今日は残り半日休めるなとハボックが考えた矢先、ロイが 「少し寄り道をしないか」 と持ち出してきたのだ。 お互い好きだとも嫌いだとも言うことのないまま上司と肌を重ねるようになってかれこれ一年ばかり。 我ながらかなり最低に入る理由だが、彼女と別れたばかりでお互いその気になったので始まった関係だった。それが新しい彼女ができてまた別れての間にも彼との関係が途切れなかったのは、文句の付けようがないくらい彼とのセックスに溺れていたからだ。 自分はノーマルだという自信があったので酒の勢いでやってしまった最初はともかく、二度目となると一夜の過ちではすまないぞと常識という抵抗もあったが、単なる性欲処理だと思えば面倒がなくて気持ちがよくて一石二鳥だった。そのまま現在に至る。 ロイのことは上司としては適材適所の管理能力の高さやいざという時の指導力を尊敬もしているし、朝一人で起きられなかったり食生活が滅茶苦茶なのに世話を焼くうちに情も沸いてくるし、煙草や敬語を咎めない懐の深さは多分すきに分類される気持ちだろう。けれどもっと感情論になってくると自信がなかった。 情事の後の、執着と拒絶を見せられるたびに。 自分はこの人の側にいて、あるいは離れて生きていけるだろうかと、終わりのない自問自答。 本当はもっと早くに何らかの結論を出さなければいけなかったのに、もはや身動きが取れなくなっている。曖昧でいることに落ち着かなくなる反面で、ピリオドが打たれてしまうことを恐れてもいる。臆病を通り越して、見苦しいまでに。 そんなこんなで間違っても甘い関係とは程遠い即物的な関係しか結んでいない間柄なので、甘いデートの誘いにも聞こえなかったが、普段何かを彼から誘ってくることは殆どないので深く考えずにイエスを返した。 そして今、ハボックの目の前には草木がすき放題生えて荒れ果てた大きな屋敷が佇んでいる。 その出で立ちは昔、当時付き合っていた彼女にせがまれて行ったことのあるお化け屋敷というものに似ていた。もとは白い壁だったのだろうが皹と蔦と雨風にさらされた変色で見る影もなく、屋根は所々が崩れ落ち、鉄の門も錆びて半分取れかかっている。 わざわざ中央から郊外行きのバスに揺られてやってきた場所がこんな廃墟だとは思わず、もっともな問いを口にした。 「・・・何スか、ここ」 黙ったままこの場へ連れてきたロイが、壊れた門から敷地内へ身体を滑り込ませるのを身体が大きい分苦労しつつも追う。木製の扉の取っ手に手をかけたところでようやくロイはハボックを振り返った。 「私の家だった場所だ」 「へ?」 ロイが中央の出身だとは聞いていたが詳しいことを聞いたことはなかった。さすがに彼の親友なら知っているのかもしれないが、側近としては古株のホークアイでも詳しいことは知らないようだったし、何よりこれまで彼はその手の話題を避けているようなふしがあったから誰も聞けなかったのだ。 改めて目の前の建物を見るが、とても人が住んでいるようには見えない。 扉は鍵がかかっており開かなかった。錬金術を使えば開くことができるのだろうがロイはそうせず、伸び放題になっている雑草を掻き分けながら庭のほうへ回りこむ。 かつては美しかったのであろう銀色の桟の出窓があって、そこから中が覗けた。がらんとしていて、もう何年も人が出入りしてないのか塵と誇りで床が見えない。 「私が士官学校に入学するときに処分したのだが、10年以上たってもまだ無人だとは思わなかった」 「家族は?」 当然行き着く疑問だったのだが深く考えずに尋ねて、しまったと思った。 職業柄というのもあるし、基本的にその手の質問はタブーなのである。もちろん親しい仲なら生まれた地方くらい話のついでに教えることもあるが、家業や親兄弟のことは軍人という仕事がどんな形で彼らに害をなすことになるか分からない以上、滅多なことでは口にしないし、その情報も厳しく管理されている。左官クラスであれば尚更だ。 だがロイは別段困った様子もなく、あっさり返答した。 「私の父はこの国の人間ではないし、母はとっくに亡くなっている。腹違いの兄弟ならいるのかも知れないが私は知らない」 初耳である。 アメストリス国は広くさまざまな人種が混じり合っているのでハボックと同じ金髪の人間がいれば、ロイのような黒髪の人間もいるし、茶髪も銀髪もいる。言われてみれば確かにロイは整った顔立ちはしているが、美青年というよりも無機質な感じがする。それでもぱっと見てロイに半分異国の血が混じっているようには見えない。 ハボックのわずかな困惑を悟ったのか、面倒くさそうにロイがフォローを入れた。 「馬鹿馬鹿しくて詳しくは調べてないが、もう何代か遡れば祖先はアメストリス発祥のはずだ。異国の血が混ざっているとしてもさして濃くはないだろうな」 「あー・・・すいません」 「何故謝る?」 「いや、何か聞いちゃいけないことだったかなと思ったんで」 「別に面白い話でもないから話さないだけでこれ自体に変なトラウマがあるわけじゃない。余計な気を回すな」 「はあ・・・すいません」 また謝ると呆れながらもロイはそれ以上は言わなかった。 聞かなければよかったと三分前の己の言葉を呪ったが、時間はもちろん戻らない。 ひとりで悶々と思いをめぐらしていると、ロイが発火布を身に付けてぱちんと指を鳴らす音で我に返る。赤々とした炎が枯れた草を焼いて庭の一部分がすっきりと土を見せた。 そこには小さな墓標が慎ましく立っており、刻まれている名前を見る。 これがロイが今日ここへ来たがった理由だったのかとようやく納得がいった。 「・・・大佐、もしかしてこれ」 「ああ。私の母だ。街の共同墓地に埋まってくれればいいものを、ここに埋めてくれと遺言があったんで荒れ放題だ」 おかげで墓参りもままならんと言いながら、バスに乗る前に買った紅茶の缶をひとつぽんと置く。肉親を悼むにはあまりにあっさりしていて、ハボックはロイの母親に同情したくなった。 「それならそうと言ってくださいよ。せめて花くらい持ってきたのに」 「母は花が嫌いだった。嫌いなものを供えても仕方ない」 そういうものだろうかという気もしたが他家の慣習に口出しをするのはマナー違反だと思い、ハボックも黙祷を捧げるだけに留め置いた。 それから5分もしないうちにロイは門のほうへ踵を返す。 草を踏み分けて出口にたどり着いたが、10年以上放置されっぱなしだった庭なので枯れ木や雑草で思いのほか外へ出るのに手こずった。特殊部隊に所属していたときはこれより劣悪な環境にいたこともあったが、今は護衛用の拳銃一丁しかないので。せめて刃物を持ってくるんだった。 都会の人間はやたらに自然を美化したがってガーデニングだの庭を飾りたがるが、ただ素のままの植物に覆われて鬱蒼としたこの庭は自然の持つ美しさ以上にの人間などには手に負えない何かみたいなものを感じさせる。それはロイと一緒に居るからなのだろうか。 けれどロイの秘密に少しだけ触れたような気がして、気分は少しだけ高揚していた。 「次はもうちょっと綺麗にしてあげたいですね」 「次も着いてくる気か?」 「きっとお母さんも賑やかいほうが楽しいですよ。大佐が嫌なら控えますけど」 愛なんて言葉を使うと多少面映い気もするが、ハボックは自分の家族を愛している。同じように、ロイも思っていてくれれば嬉しいと思ったのだ。多少作りが煩雑にせよ、家族なのだから。 それがどれほど残酷な考えだったか。 「・・・いや、母も喜ぶと思うよ。何せ私もはじめて来たから」 出張のついでに思い出したので足を伸ばしてみただけなのだと言う。 そこで初めてこの屋敷のあまりに寒々しい様子に気が付いた。 ただ人がいないだけではない。荒れた庭だけでもない。もっと根本的なところでこの家には生活臭に乏しいのだ。たとえ10年以上人が住んでいなかったとしても、かつて人が住んでいたところには思い出の傷や残された家具など何かしら人の気配を感じるものである。 それがこの家にはない。 士官学校へ入学してからロイは一度もここを訪れなかったと言った。 その間、父親も一度も墓参り来なかったのだろうか。母親の家族も友人も、誰も? そんな考えを読んだかのようにロイの発した言葉は、ハボックを後悔させるのには十分だった。 「私の母は父の愛人だったから、ここには私たち以外誰も住んでなかった」 冷静な反面、言葉の重さには容赦がない。 立ち止まるハボックを向いて、唇を歪める。怖いほどに綺麗な顔で。 ああ、いまだ。今なのだ。 選択を迫られているのだった。ハボックが踏み込もうとして抜け出せなくなっていた場所から。 楽なままですませるきなど到底ない。それほど彼の進む道は険しく、危険で、生半可な情など邪魔なだけだ。これでもハボックが答えを出すまでにロイとしては散々譲歩して猶予を作ったほうなのだろう。 さて、どうしようか。 こんな面倒で難しい相手と恋愛をするなど自分には絶対に無理だと思っていた。 気を抜けば命すら危うくしそうな、情熱というにはあまりに苛烈で凶悪なまでのエゴ。女性関係が派手な人ではあったが、誰一人として長続きせずまた後を引く関係にもならなかったのは、きっと誰もがこの目を真っ向から見据えることが怖くなったからだ。 優しい表情を向ける傍らで、甘い言葉を吐く裡で、愛情も嫌悪も一緒くたになった激しいばかりの眼差し。ハボックもこうやって立っているだけでもぎ取られてしまいそうになるほど、それはどろどろとしていて手に負えない。 それでも自分はきっとロイのことがすきなのだ。醜い感情込みで。 煩わしく思いながらも何故か振りほどけず、見ないふりをしながらも必ずその背中を追っていたのだから。 伊達や酔狂で男を抱けるほどにはまだ達観していない。 どうして今まで気付かなかったのだろう? 「・・・好きです。あなたが」 考えていたよりもすんなりと声が出た。 身体を重ねることよりも、ずっと簡単なことだったのに。 「嘘つきめ」 「嘘じゃないです」 「嘘だよ。お前はそのうち誰かと結婚する。そして家庭を築く」 責めるのでも咎めるのでもなく、ごく自然にそう言い切った。その顔には怒りも失望も見えない。 ロイはずっと深い孤独の狭間にいたのだ。 多くの人間を従え、過酷な出世レースのトップを走り、華々しい桧舞台の上にいるような彼が。 やや癖の強い問題児でも馴らしてしまう懐の深さは、曖昧でぬるま湯に浸かっているようで、けれどその境界線はぴたりとしている。大総統になるというその一点で。 まっすぐに見つめてくる瞳の中に、ハボックは変えられないものを見つけた気がした。 唯一の孤独と、高慢な自我を。 すっかり日が傾いた頃、かびて傾いた椅子しかないバス停へと二人は戻ってきた。 結局ロイからは何も返事らしいものはもらえず、これからの関係をどうすればいいのか結論は出ていない。ただハボックの本当の気持ちなどロイにはとっくにばれていたらしい。 そしてハボックにも分かったことがひとつある。ロイなりに他者よりも僅かでもハボックに甘えを抱いていること。そうでなければこんな場所に連れてこないし、今までどおり何も語らなかったままだろう。 コートが汚れることも気にせず椅子でなくて地面に座り込む。 「父のことは恨んでいない」 でも、と続けられた言葉はできることなら言わせたくなかったし、言わせてしまったことにも腹が立った。 「私は母を恨んでいるよ。得られるはずもない愛に生きて、私をこの世に残した女だ」 その顔があまりに清々しく綺麗だったので。 ハボックはほんの一瞬、顔も名前すら知らないロイの母親を羨み、絶望にも似た悲しみを知った。 彼にこんな表情をさせることができるのは、生涯でただ一人彼女だけだったのだ。 この先死ぬまで一緒に居たとして、ロイに飢えるほどの愛を抱かせることができるだろうか。答えは考えるまでもなかった。 それだけが正解ではないにしろ、今日得た答えだった。 やがて一時間に一本しか来ないというバスがやってくる。 「兄ちゃん、乗らないのか?今日のバスこれで最後だよ」 窓から乗り出して呼びかける運転手にどう返事すればよいのか分からずロイを振り返るが、相変わらずまるで不貞腐れたかのように背中をまるめて座っているだけだ。 「大佐、いいんですか。バス行っちゃいますよ。これに乗らないと今日帰れませんよ」 明日も朝から仕事がある。それに東方では出張の報告を待っている人もいる。 埒が明かないので後で文句を言われるのを覚悟で持ち上げてでも乗ろうと手を伸ばすと、逆に腕を掴まれた。血が止まりそうなほど強い力で。 「・・・今日だけ我侭に付き合ってくれないか?」 ロイの黒い瞳が訴えかけるようにこちらを見ていた。 蚊の鳴くような小さな声で、唇を小さく戦慄かせながら。 どう返したらいいのか分からなくて、同じように隣に座り込んで運転手に手で行ってくれと合図をする。 エンジン音を鳴らして土ぼこりを撒き散らしながら、車が遠ざかってゆく。 最終バスが行った。 握られたロイの手はびっくりするほど冷たく、震える身体をハボックを掴む腕の力で何とか抑えようとしている姿が日頃の尊大な姿と対照的でいじらしくて、黙ったまま長い間座っていた。 |
出張っていうからにはどっちかだけ中央に駆り出されてさー、それをやきもき待つのとか、早く帰りたいとかラブラブしたもんじゃないの?と思ったんですが、何で二人でぷち旅行になってんだ・・・。せっかくのお題を上手に消化できない己にめそり。 いろいろ俺設定なんですがあまり気にしないでください。こうだったら萌えだな!というだけの話。(04/10/25) |
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