8 煙草
「嘘だろ・・・」
司令室の扉にでかでかと張られたそれを見て、ハボックは唖然とする。
今日は朝礼に顔を出してから今まで外に居たのだが、朝来たときにはこんなものはなかったはずだ。
夢か幻かと思って一旦扉に背を向けてから深呼吸をし、再び扉に向き直るがそれはなくなっていない。
白い紙に『司令室内禁煙』の文字が光る。ご丁寧に書類に使う判まで押してあるではないか。
司令室で喫煙習慣があるのはハボックただ一人。誰に向かって発令されたのかなんて言わずもがなだ。
「ちょっと、どういうことっスか!」
煙草を銜えたままがたんと乱暴に扉を開く。
「扉の開閉は静かにお願いします」
相変わらずの無表情で副官が注意するが、それに取り合っている余裕もない。ヘビースモーカーで重度のニコチン中毒の彼にとって快適な職場環境の第一が煙草なのである。これは死活問題だ。
部屋の一番奥で涼しい顔をして書類に目を通している上司のところへ大股で近づく。民間人と比べれば当然、軍内においても大男に入るハボックがやるとかなりの迫力なのだが、気付いてないのか余裕なのか、恐らく後者だがロイは書類から目を上げるそぶりもない。
しかしハボックとしてもこればかりは大人しく従うわけにはいかない。
だんっと派手な音を立てて、書類を広げている机の上に部屋の扉から破り取ってきた命令書を置く。
「撤回してください、今すぐ」
ハボックの存在に今気がついたとばかりに億劫そうに顔を上げ、部屋に入る前に銜えていた煙草をとても軍人には見えない綺麗な指で優雅な仕草で取り上げた。
「ここは禁煙だ」
それだけ言ってまた書類に目を通し始めるだけでも相当だが、普段はサボる口実なら何でも喜々として乗ってくるくせに今日に限ってそ知らぬふりなのがまた小憎たらしい。
「大佐、何で人の居ない間に突然こんなことになってるんですか」
「受動喫煙のほうが身体に悪いらしいからな。お前一人のせいで司令部全員が肺癌になっては困る」
「今更でしょうが!」
「できることからこつこつとだ。それに私が倒れたらイーストシティ中の女性が悲しむだろうが。それともお前は私の身体が大切ではないのか?」
「ぐっ・・・」
痛いところをついて来る。ロイは常識知らずだが頭はいいので、こうやって理詰めで説かれると黙らざるを得なくなるのだが素直には納得できない気持ちだ。
「ならばいいだろう。何事も健康あってこそだ。せいぜい禁煙に励みたまえよ」
絶対にそんな殊勝な理由ではないはずなのだが、これ以上詰め寄ろうにも、折角真面目に仕事をしている上司の気を反らせるなというホークアイの無言の視線が突き刺さる。
この男は人を困らせることに関しては天才的なまでの才能を見せるのだ。しかも可愛くないことにそれが邪気に満ち溢れている。それでいて真水のように純粋なまでの熱意を持っているので手に負えない。もっと余計な打算が働いていれば対処のしようもあるのだが、ロイのそれは子供と同じで面白いか面白くないかの一点に尽きる。その理論で行けばこの禁止令がとかれるのはロイの興味からそれるまでだ。
一日の半分を過ごす司令室での禁煙は、イコール半強制禁煙生活だ。これは長期戦になるかもしれない、と半ば絶望的な気持ちを抱きながらハボックは大人しく自分の席に着く。よく見れば灰皿まで没収されている徹底ぶりにがっくり肩を落とした。ただひとりフュリーだけが同情的な視線を送り飴いりますかと尋ねてきたが、答える気力もなく首を振る。
「飴はいらねえけど、コーヒー淹れてくれないか。ブラックで」
煙草を取り上げられて口寂しいせいか、それこそ今度は胃を悪くしそうな勢いでブラックコーヒーを飲み続け、終業までの数時間を過ごした。
珍しく仕事に励んで定時にすべて仕事を終わらせたロイとは打って変わり、まったく仕事に身の入らなかったハボックはあっさり残業が決定した。とりあえず一度気分転換をしようと、とぼとぼと部屋を出て行くハボックを見送りながら、ロイのため息が聞こえた気がした。



数時間でもつらい禁煙を取り返すかのようにじっくりたっぷり時間をかけて煙草を吸い、ひとりきりの司令室に戻れば机上には誰が置いたものか知らないが、ピンク色のセロファンに包まれた丸い物体がころんと転がっていた。
のど飴イチゴ味。
包み紙に書かれているものを想像するだけで唾液が出そうな強烈な甘さを連想してしまう。
もともとは甘いものも嫌いではなかったが、煙草のせいですっかり味覚が変わってしまったのか最近は殆ど甘いものを欲しいと思わない。それどころかロイが好んで口にするようなクリームやチョコレートは遠慮したい部類だ。
そんな自分が持っていても進んで口にすることはないだろうと、机の中にしまおうとしたら帰ったとばかり思っていたロイが戻ってきた。
「情けないな」
お得意の腕組みポーズでからかう様に視線をよこすのに、誰のせいだよと怒鳴りたくなるのを何とか喉元で止める。
腐っても上官。しかも今回に限っては彼はいたく真っ当な意見を述べているのであり、ハボックが彼を責める理由がない。けれどニコチン切れのせいで苛々するし、おかげで仕事もはかどらないし。残業する羽目になるし。
このやり場のない怒りとも苛立ちともいえる感情をどうしてくれようか。元凶は間違いなくロイなのに。
「大の男が煙草がないくらいで仕事を滞らせるとは」
「俺にとってはエネルギーの源なんです」
「馬鹿を言うな。エネルギーは炭水化物が作り出すんだ」
「誰が科学の話をしてるんですか。大佐だって甘いもの好きでしょう、食べたら元気になるでしょう。それど同じです」
「私のは中毒ではない。ただの嗜好だ」
何とかロイの気持ちを別にそらそうと試みるが、当の本人はさらっとしたもので取り付く島もない。
確かにロイ自身には喫煙習慣はない。煙草が身体にいいものではないことくらい、ハボックにだって十分分かっている。しかしやめられないものはやめられないのだ。ロイだってハボックの煙草、煙草に火をつけるライターの類は発火布が濡れた時に火種になるからと許容してくれていたはずなのに。
本日何度目になるか分からないため息をつきつつ、椅子に手をかけようとして飴を手にしていたことを思い出す。
仕舞おうとしてそのまま握り締めていた包みを開くと、のど飴のはずなのに身体に悪そうなどぎついピンク色をした飴で、それを指先でつまみあげる。
「大佐、口開けて」
「ん?」
何の疑いもなく親鳥から餌を貰う雛のように口を開く。舌の上に先ほどの飴を乗せてやった。
しばらくそれを舌の上で転がしてからようやくロイは正体を尋ねた。
「のど飴らしいですけど」
「もので釣ろうったって駄目だぞ」
「違いますよ。何か俺の机に置いてあったんですけど、こんな砂糖の塊みたいなの俺には食えません」
普段はもうちょっと素直に喜ぶのだが、さすがに警戒している。しかしいくらなんでも飴ひとつでロイの気を釣ろうなどとは考えていない。
「私は煙草よりはよほど健康的でいいかと思うがな」
「それはあんたが甘いものがすきだからでしょうが」
赤い舌をのぞかせながらのど飴を頬張る姿はとても29歳には見えない。ふわりと甘い香りが鼻先を掠める。
そこでハボックはしびれを切らした。
「大佐、いい加減教えてくれませんか?」
「何をだ」
「禁煙命令の理由」
「さっき言ったとおりだ」
「そんな嘘に気がつかないって思うほどなめられてるんですか、俺」
低くなる声に、さすがにハボックの怒りの沸点に気付いたのかロイは押し黙る。
にらみ合うように視線が交錯した。名状しがたい、喩えて言うならそれは凶暴さの一歩手前の感覚だった。気付いたのか気付かなかったのか、ロイが観念したように口を開いた。
「・・・お前、風邪を引いているのだろう」
「は?」
我ながら間抜けな声が漏れた。さあっと膨張した空気が霧散していく。
そういえば昨日の夜から少し風邪気味だとは思っていた。だから朝は薬を飲んできたし、外の仕事も早めに切り上げて戻ってきたのだ。それが禁煙命令と何の関係があるのか。
「風邪って言うか風邪気味なだけで、すぐに直ります。俺が丈夫なの知ってるでしょ?」
軽く返すがロイの顔は眉間に皺を刻んで、悔しそうに唇をかみ締めながらも目は心なしか潤んでいる。
「私の・・・知り合いも喉の風邪がもとで呆気なく逝ってしまったのだ」
知り合いと言葉を濁したが、多分それはただの知り合いなのではなくロイにとって大事な人だったのだろう。冷たいと言われようが、軍人という仕事は他人の死を悼むのにはあまりに向いていない。
だが、思いがけないロイの本音を聞いてしまって顔が歪むのをとめられない。
もう少し素直にストレートに表現して欲しい気もするが、根が強情で意地っぱりなので回りくどい手段に出ただけで、自分のことを心配してくれていたのだ。あのロイが。
雨の中でも平気で仕事を押し付けるし、自分の気が向かなければ冬だろうが容赦なくベッドの外に叩き出してくれるのだが、たまにこうやってまったくの無自覚で可愛いことを言ってくれるのだから困る。
こちらにも心の準備というものがあるのに。
「分かりました。ちゃんと直るまで煙草はやめます」
その言葉に、今日はじめてロイがにこりと笑みを返す。
優しさというにはそれはトゲトゲとしていて粗雑だったが、それでもハボックは嬉しかった。何の計算もなく誰かが誰かを思うことの、尊さのようなものをロイが見せてくれたような気がしたからだ。本人は否定するだろうけども。
「大佐、さっきののど飴やっぱり返してください」
「・・・返してやらなくもないが。そこに座れ」
お座りを命じられた犬のようにおとなしく床に座る。
「お前を見下ろすのもいい気分だな」
あまり人に見下ろされることのないハボックと違って、軍内では決して大きくはないロイは上機嫌だ。そんなことで喜ぶロイが日頃の尊大な態度とのギャップでなんだかくすぐったい。
覗き込んでくる切れ長の瞳はキツイ印象を与えるが、おろした前髪と柔らかそうな頬のラインが彼を年齢よりも幼く見せる。そのアンバランスさがハボックの男心をくすぐるのだ。
口紅を塗っている訳でもないのに、薄く色づいて誘うような唇でハボックの唇に喰らいつくように重ねてきた。すぐに舌が進入してきてぬるりとのど飴が口移しされる。すぐには離れずに歯列をぺろりとなめられて、もう一度深く口付けられた。ロイはキスが巧みだ。
やられっ放しでは男が廃るので、離れようとする舌を強引に絡めとった。のど飴はお互いの唾液で解けて交わりながら、すでにロイの口内で一回り小さくなっていたそれは、熱さにどんどんと小さくなっていく。
「・・・んっ・・・ふ・・・」
ロイの口から吐息がこぼれる。
興奮にもはや本来の目的を忘れて、どちらの口内とも言い難い場所で完全に消えてなくなっても貪るようにキスを繰り返した。イチゴ香りが甘く官能的にそれを誘う。
いくら終業後とはいえ夜勤や残業や帰宅途中の人間が行き来するのに、ここがどこであるか冷静になるにはまだハボックは若かった。熱くなり始めたものをとめられずに、ロイの腕を掴んで床に押し付ける。すばやく足の間に身体を滑り込ませ、抵抗できないようにしたところでロイが盛大に舌打ちをした。先ほどまでのムードなどまるで感じさせない。
「・・・しまった」
この体勢にもかかわらずもはやハボックのことなど眼中にないように、意識は別次元に飛んでいる。
もっともキスごときで頬を染めてくれるくらいの可愛さがあればどんなに素敵かと思うが、生憎これくらいのことではロイはやすやすと落ちてはくれない。
こう見えて、恐らく自分の倍は場数を踏んでいるのだろう。少なくとも本番ならいざ知らず、前戯で彼が我を見失ったところなど見たことがない。ハボックにとってロイははじめての男なので知識は仕入れても実践に関しては未だ手探り状態なのだ。かといってまさかロイ以外の男と経験を積むなど本末転倒、というか絶対にお断りしたいので結局は自分の技術の成長はすべてロイの手に握られていると言っても過言ではないだろう。
「お前とキスなどしては風邪がうつってしまう。早くうがいをしてこねば」
退けと自分よりも厚い胸板を押し返し、立ち上がって制服についたほこりを振り払い、まるで色気のない言葉でハボックをがっかりとさせてくれる。
けれど百戦錬磨の異名は伊達ではなく、飴と鞭の使い方のうまさは性質が悪い。本当に。
「風邪が治れば飴なんかなくてもキスしてやるぞ?」
舌に残るイチゴ味の甘さは、砂糖だけが原因ではなさそうだった。

 

たまにはストロベリートークを繰り広げる二人を!と意気込んだのにストロベリーの名を借りた小道具に逃げました・・・。
ロイは大胆不敵でハボを喰うくらいの勢いの可愛くないのがいい。それはもう「ハボロイなのにロイハボくさい可愛くないロイ同盟」(長い)でも作りたいくらいに!でも恐らく会員は永遠に私一人。なので作りません(笑)・・・可愛いくてキモイロイもすきです!主にエドとホークアイ相手に。ヒューズの時がいちばんまとも。<私はロイがすきです。(04/10/27)
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