7 階級差
なにごともご大層な理由なんてないほうがいいのだ。最近常々そう思う。
確かに出世はしたいが、戦争に借り出されて人を殺した数で得た出世は碌なもんじゃない。戦争の影はうすくのっぺりと、しかし執拗に付きまとう。それはロイがどこにいようともだ。
イシュヴァール殲滅戦に投入されるときロイは少佐となった。士官学校を出れば誰でも自動的に少尉の肩書きが付く。だが同期の人間の多くはまだ中尉クラスでヒューズのように優秀な数人は大尉になっていたが、国家錬金術師というだけでロイは少佐としての従軍が叶ったのだ。
しかしまだ二十歳をいくらか過ぎたばかりの若すぎる佐官は反感を買うばかりだったし、殆ど唯一の味方であったヒューズも違う部隊に配属され、ロイはどの戦闘でも孤立無援状態だった。
それでもロイはどんな圧力にも疎外にも屈することはなかった。人間兵器として持ちうるだけの実力を発揮し、焔の二つ名と共にその名を全軍に知らしめたのである。
そして戦後、彼は中佐と呼ばれるようになった。



その日ハボックは朝からロイの執務室に呼び出されていた。
「喜べ、ハボック。先日の列車テロの功績が認められて、昇進だ」
「はあ…」
白い指先でつまんだ一枚の書類をぴらっと見せる。
ジャン・ハボック准尉。貴殿は先日の列車テロ云々。以上の功績によって一階級昇進を認める。
ロイは読み上げるのは面倒だから自分で読めと、給料泥棒の渾名どおりのサボリっぷりを発揮し書類をハボックに渡した。
適当に斜め読みすれば確かに昇進の二文字がある。年度の変わり目でもないのに、戦争での功績や異動に伴う昇進以外での昇進は珍しい。大方、東方司令部の司令官の側近がいつまでも下士官でいるのを将軍が気にかけて、それとなく進言してくれたのではないだろうかと思う。
とくにこれといった感想もないのでコメントもなく書類をロイに返せば、頬杖をついたまま不思議そうに視線をハボックに定めていた。
「せっかく士官になったというのに嬉しそうじゃないな」
「給料があがるのは助かりますけど、地位自体にたいして興味はないっスね」
それがハボックの正直な気持ちである。有事の際の戦闘も含めて、思いの外軍人と言う職業は自分にあっているとは思っているが、だからと言って多くの部下を従えたり権力を手に入れたいとは思わない。
それどころか基本的に自分の腕を頼りにこれまで生き延びてきたので、わずらわしい人間関係などごめんこうむりたいほうだ。自分の部隊の部下ともそれなりに付き合っていれば情も沸くが、それと同じくらいどこか冷淡で覚めた気持ちで、自分がもしも軍を離れるようなことになれば彼らの何をもってしても引き止められたりしないと思う。
出世に興味がないときっぱり言い切れば、ロイは呆れたように頬杖をつきなおした。
「男ならもうちょっと野望は抱かんのかね」
「別に出世したくて軍人になったわけでもないですから」
同年代の出世頭であるロイは出世のためならなんでもするという悪評の絶えない男だが、反面その周りにいる人間たちは出世欲というものが少ない。それどころか降格も覚悟で、ロイの多少ではすまない無理に付き合ったりもする肝の据わりっぷりだ。
その中でもハボックはロイから見れば恐ろしいほど欲の少ない男だった。
男なら誰でも出世、名誉、金銭、美女には興味の尽きないところだが、そのどれもにハボックはたいして興味を示さない。
出世欲は見ての通りだし、過ぎる悪評でなければ名誉もどうでもよさそうであるし、煙草を除けばあるだけの給料でなんとかする清貧思考だし、女は普通に好きらしいが見境なく恋を求めるというよりも割と一途に尽くすタイプだ。軍人でさえなければとっくに家庭を築いていたような気もする。
育ってきた環境のせいなのか、持って生まれたものなのかは知らないが、ハボックの考え方というのはロイとはほとんど相容れることがない。部下として東方司令部に赴任してからもう一年以上たち、その間に唯一無二の信頼できる仲間として関係を築いてきたにも関わらずだ。
いまだにハボックという男が、ロイにはまるで理解できない。
「ハボック少尉か…悪くないな」
ロイ直属の部下では現在ホークアイ少尉とブレダ少尉が士官階級だが、ハボックの昇進でまたひとり士官が増える。優秀な部下も上官のステータスになる。
「まあこっち出てきたときは世間知らずな田舎者でしたからねえ。軍人になったのも成り行きですし」
「それでもその田舎者がわずか数年で少尉とは軍はよほど人材が足りないんだな」
「でも大佐は俺の年にはもう佐官だったんでしょう?」
「そうだ。士官学校を出ればどんなぺーぺーだろうが阿呆だろうが少尉だし、私は従軍したときに国家錬金術師だったからな」
仮にもエリート集団と呼ばれる中央の士官学校を卒業したものがぺーぺーなはずはないのだが、ロイの基準というのは己とその親友なので限りなくレベルが高い。
「これでお前を中央に連れて行きやすくなるから助かるよ。私は常々思っているのだが、准尉のその星なしの階級章は間抜けだからな」
「そんなこと言っちゃっていいんですか?アンタそのうち准将になるんじゃないんですか」
「・・・・・・」
「マスタング将軍」
戯れにハボックがその階級を呼べば、どことなくくすぐったいのかロイは苦笑した。いずれは大総統になるつもりだが、将軍でもほとんど一城の城主も同然だ。
「まずは大佐だがな。まあ次の人事でほぼ確実に昇進だと思うが」
「そうなんスか」
「イシュヴァールのあとに中佐に昇進してからもう3年たつ。こんな僻地でも昇進のタネには困らんのだよ。むしろ騒動が多いほうが解決した私の名もあがると言うものだ」
これでまたひとつ大総統の椅子が近くなる。
若くして世の中の酸いも甘いも経験しているくせに、そこだけは譲れない信念としてダイヤモンドの原石のような強さで少年のように語る。
何が彼をこうまで駆り立てるのか、ハボックは多くを知らない。
少なからずイシュヴァール殲滅戦が関わっているのだということは想像に難くないが、ハボックはまだ訓練中で直接その戦場を経験しておらず、そこで国家錬金術師がどのような扱いを受けたのか、どのようなことが行われていたのか、都合の悪いところは見せられないようにされた資料でしか知ることができない。
ロイに聞くことができればいいのだろうが、多分彼はまだそこまで自分に心を許してないだろうし、ハボックとしてもロイにつらい思いをさせるのが分かっていて聞き出そういう気になれない。
「私が大総統になる頃は、ハボック大佐か?似合わんからやめておけ」
「同感です。あんたのマスタング大総統は似合いすぎですね」
「そうだろう?」
「士官学校出の中佐とは違って俺は現場の叩きあげっスから。定年まで勤め上げて大尉じゃないですか。あんたが大総統になったからって俺まで出世する必要もないでしょ」
「…お前には欲がないみたいだ」
ため息交じりにロイが言う。
「いや、割と強欲なほうだと思いますよ」
「お前がか?」
「軍での出世欲はありませんけど地位に無関心って訳じゃないです。俺がいま一番狙ってるのはあんたの恋人って地位ですから」
書類を繰っていた手が止まる。
「…私はいま、愛の告白を受けたのかな?」
「ご自由に取ってもらってかまいませんが」
しばし黙りこくった後、呆れるような嘆くような溜息がロイの唇から漏れた。
「そんなんだからふられるんだ、お前は。もうちょっとムードというものは考えないのかね」
「お望みなら善処しますけど」
「いや、野郎とムードを出しても気色が悪いな」
「でしょう」
ちょっとはためらったり照れたりすれば可愛げがあるのに、世間話の続きのような調子なので思わずロイは声を大きくする。
「お前は私をからかっているのか?!上官侮辱罪で訴えるぞ!」
「大真面目です」
そう言ってハボックはすばやく机の上に身体を乗り上げた。
座ったままのロイの頬に手を当てて、何事かと身構えるスキも目を閉じる余裕もなくちゅっと音を立ててキスをされる。
外の仕事が多いせいか、少しかさついていて固い男の唇。でも金色のまつげは思いのほか長くて、白昼突然、同性で年下の部下からキスされたにしては嫌悪を感じるでもなく、不思議な感覚だった。
すぐに顔を離したハボックはどうリアクションをとるべきか、めずらしく状況に思考が追いついていないらしい切れ者の上官ににっこりと笑いかける。
「照れてるんですか?かわいいですね〜」
「照れてないっ!」
「うわっ」
ハボックのひとことに、ロイは手近にあった本を一瞬のムカつきに任せて投げつける。
女性と数多の浮名を流しているロイにしてみれば、部下にキスをされたことよりもキスに動揺したなどと思われるほうがよほど屈辱だ。
しかし飄々としていても一対一の白兵戦ではロイよりも優秀かと思われる能力をほこる男は難なくよけ、むなしく音を立てて本は部屋の片隅に落ちた。
「本気でたちが悪いな。お前は」
「言ったでしょう。欲深いって。己をわきまえてる人間ならあんたに手を出そうなんて考えませんって」
そこで執務室のノックが鳴った。ロイが入室を許可するとフュリーがハボックの部隊の練習がはじまる時間だと告げる。
「あ。いけね」
振り向きざま青い瞳がロイを捉えて、
「それじゃ大佐、考えといてくださいね」
ばたばたと去っていく金髪を見送る。
しばらくすると自分は白昼夢でも見ていたのかと思いたくなってきたが、口付けられた感触は夢というには鮮やかで投げた本は確かに地面に転がっている。
好き?ハボックが?私を?
自分ほどではないにしろ女性関係の噂が多い部下だけに、なんだか狐につままれたような気分だった。
しかし悪くはなかった。

 

たまにはハボックに勝たせてあげようと思いました。これで勝ちなのかどうかは謎ですが・・・。
ていうかハボの告白話がやたら多いような気がするのは気のせいですか?まあ初夜と告白と出会いは乙女の三大妄想どころということで許して!
(05/3/8)
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送