6 怪談
暑い暑い夏の夜。
その日イーストシティではお祭りがあるということで、何か事件が起きたときのために普段より多くの者が遅くまで詰めていたのだが、寄って集るとうるさいのは何も女性だけの専売特許ではなく、東方司令部司令室からは男ばかりの不気味な声が祭りの夜を異様な雰囲気に演出していた。
遡ること数時間前。
悲しむべきことに一緒にお祭りに行く恋人もいない男たちは、デートする相手もいないのかねと言いながら自分は上機嫌で出かけていった上司に対する愚痴をひとしきりこぼしていた。
一体誰のせいで恋人ができないと思っているんだ!
中でも目をつけていた女の子をとられた経験が一度や二度ではないジャン・ハボック少尉の嘆きは一入である。
金髪碧眼で背も高く二十代半ばで士官というなかなかのお買い得物件であるにもかかわらず、不思議と女性とは長続きしない。それをすべて上司のせいにするのは些か強引だが、当たらずとも遠からずだった。
「今日は図書室のミレアちゃんとデートだってさ〜・・・俺もあの子狙ってたのになあ・・・」
「諦めろ。大佐に誘われて落ちない女なんて中尉くらいのもんだ」
「でももしこのままクリスマスまでもつれ込んだらどうするんだ?!」
「できたってどうせまた振られるよ、お前。私と仕事どっちが大事なのってな」
「やっぱり大佐のせいじゃねえか・・・」
彼らは決して上司が嫌いなわけではない。寧ろこの軍隊という特殊な空間においては珍しく上官としても一人の人間としても彼を好いていたし、それなりの信頼関係も築いている。暇つぶし代わりに他愛ない愚痴をこぼしていただけだ。
まとわりつくような夏特有の暑さに包まれた部屋で、窓の外を見やると遠くから花火の音が聞こえ始めた。壁が邪魔になって部屋からは見えないが、赤や青や黄色と色とりどりに咲いては消える光の粒子を思い出す。お祭りのクライマックス。
「そろそろ終わりだな」
「ああ。それじゃとりあえず見回り行っときますか」
いくら望まない残業とはいえ給料は発生しているのだから、愚痴大会の切り上げと同時に立ち上がった。
出かけたロイと非番だったホークアイを除いて司令室に詰めていたのはハボック、ブレダ、ファルマン、フュリーの四人。基本的に皆あまり上下関係にこだわる人間ではないが、軍人の習性として階級順に見回ろうかと提案した先、いちばん階級が低く年若いフュリーが時計を見てあと十分待ってくれという。理由を問いただすとまったく馬鹿馬鹿しいが、暇つぶしにはもってこいな話を始めた。
曰く、夜中10時50分に東方司令部に出る幽霊の話。
幽霊が計ったように時間きっちりに出てくるというのもおかしな話ではあるが、結局仕事もそこそこに男四人で膝を突き合わせて怪談話に高じることになったのである。
だからロイが祭りの後で司令部に戻ったとき、予定外の残業を押し付けて多少なりとも悪い気もしていたのに、電気を消してなにやら熱中している様子の彼らにそんな殊勝な気持ちはあっさり消えたのも無理はなかった。



ぼそぼそと男ばかりの声が聞こえる扉の前で一瞬回れ右をして帰りたくなったが、さぼったことがばれるとあの女士官がどういう態度に出るのか怖い。
ためらいながら扉を開けて電気をつけると、部屋に突然着いた電気に一瞬叫び声があがった。
いきなり男の悲鳴に迎えられてロイがむっとした顔になる。楽しい女性とのひと時を過ごした後にむさくるしい男の中に顔を出すのは大変気が進まなかったが、もともと今日は自分が夜勤の日だったのを上官命令のひとことで押し付けて出かけたのだ。だがこんな気味の悪い声まであげられてはたまらない。
だいたい男ばかりが集まって何を盛り上がるのかさっぱり理解できない。
「なんだ・・・大佐か・・・」
一同が安堵のため息を漏らす。しかし理由など知らないロイは何だといわれる筋合いはないとますます憮然とした表情だ。
「私がここまで来たことに4人もいて気づかないなんて軍人として失格だぞ」
「夜勤を人に押し付けてデートに行くのも軍人としてどうかと・・・」
やめておけばいいのに減らず口をたたくハボックをロイが一睨みするが、その程度で怯むような細やかな神経をしていてはこの人の部下は務まらない。だがご機嫌メーターがいまいち下降気味のようなので肩をすくめるだけで黙った。
「だいたい何をしていたんだ、お前たちは」
正直に話していいものか目配せをしつつ、下手な嘘で機嫌を損ねられてはたまらないのでハボックが件の幽霊の話をすると、ロイは馬鹿馬鹿しい、懲りない奴らだなと一言の元に切り捨てた。以前不本意ながら怪談話に関わったときはろくな目にあわなかったので、もう絶対にとりあわないと硬く決意したのだ。
「そんなに気になるなら、お祓いでもしたらいいだろうが」
「でもそれは可哀相な気がするんですよね」
「可哀相?」
「言い分も聞かず強制的に追い出しちゃうんですよ。可哀相だと思いません?」
幽霊に人権があるものかと思ったが、なんとなく言い出せなかった。
「人間だってひとりだったら淋しいじゃないですか。だからきっと幽霊だって淋しいから人肌恋しくなって来るんじゃないかなあと」
「意外と夢のあることを言うんだな」
「あれ、知りませんでした?俺結構ロマンチストなんですよ」
その言葉に似合わんなと失礼なコメントを返しながら時計に目をやれば、あと30分で日付が変わりそうだった。
「ブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長。ご苦労だったな。今日はもう帰っていいぞ。明日は午後出勤にしておこう」
お疲れさまと口々に言いながら出て行く同僚たちを見やり、自分ひとり呼ばれなかったハボックは嫌な予感がした。そしてまったく自慢にならないがこの手の予感は外れたことがない。
「大佐。俺は?」
「ハボック少尉は明日の朝まで夜勤だ」
「ちょっと待ってくださいよ!俺もう今月の夜勤全部消化したのに・・・」
「うるさい。私は疲れた。仮眠室で一眠りしたら変わってやる。せいぜい幽霊に会わないよう祈るんだな」
「ちょっと待ってくださいって!」
さっさと仮眠室へ移動しようとする上司を、一回り大きな体を活かして扉の前で阻む。
「どきたまえ」
「何拗ねてるんですか」
「何故私が拗ねなくてはいかんのだ」
「拗ねてるでしょ。じゃなきゃいくらあんたが我侭で女王様だとしても、俺にだけこんな仕打ちしないでしょうが」
ねえ、と眉間にしわを寄せている人物の耳元に息を吹き込むように囁く。
恋愛ごとに関しては百戦錬磨との噂だったが、彼は本当は愛情に臆病だ。
接触距離に近づくと、一瞬体が強張る。自分から触れるのは平気なくせに、人から触られることは嫌う。
「あんたじゃなくて幽霊話で楽しそうにしてたのが気に入らないんですか?」
「そんな訳ないだろう」
「じゃあどういう訳があるんですか。答えてくれるまで通しませんよ」
「仕事を疎かにしていたことが気に食わんだけだ」
「下手な嘘付かないでくださいね。あんまり過ぎると本気で虐めたくなるから」
非常識が服を着て歩いているような人間なので彼は羞恥心のレベルが極端に低い。しかし以前誰かがヒューズ中佐でマスタング大佐マスターと言ったように、一度主導権を握ってしまえばありえないほど無防備になってしまう。
たとえばこんな風に。
「俺は大佐が俺を置いてけぼりにしてデートになんか行くからすっごく腐ってました。いっそすっぽかして邪魔しに行きたくもなったけど、たとえプライベートでもあんたの邪魔になるのはやっぱり嫌だし」
甘える言葉にふいっとそっぽを向くその存在がたまらなく愛しく思えて、思わず胸の中に抱き込む。
ハボックが彼女と長続きしない原因がこれだった。
自分はノーマルだという自信はあった。甘い言葉を囁けばそれだけで満たされたように微笑んでくれるし、服を選んで髪の毛を整えて着飾るのをかわいいと思うし、豊満な胸だって柔らかい身体だってもちろん魅力的だ。
くらべて腕の中にいる人間といえば、全然素直じゃなくて、可愛げもなくて、おまけに男で年上だ。
でもこのどうしようもない上司に、どうしようもないくらい惚れてしまっているのがハボックにとって唯一で絶対の真実だった。
気付いてしまったときは相当焦ったが今では半分開き直っている。もともと自分の内に溜めて悩むのは性に合わない。無茶で無謀ともいえるアタックを繰り返して、どうにかこうにかここまで近づくことを許してもらえたのだ。
「コーヒーいれますね」
ロイはもう部屋から出ようとはしなかった。



「俺、幽霊見たことあるんですよ」
熱いコーヒーを啜りながら、隣で同じようにマグカップを手にしながらも熱くて口をつけられないロイに話し出す。
ハボックの一番最初の死の記憶は祖父だ。
田舎の大家族で育ったハボックは母よりも父よりもおじいちゃんっ子だった。50歳を過ぎても堂々とした体力をほこり曲がったことが大嫌いな人間で、よく叱られもしたがとても可愛がってくれた。
全力の愛情というのだろうか。それは柔らかく包み込むような優しいものではなく、粗野で乱暴だったけれど確かにハボックは愛情を受けているということを感じていた。
その人が亡くなったのはあまりに突然のことで、死というものを最初は理解できなかった。
ただもう二度と笑わない、怒らない、話さない、側にいない。
それだけが事実として残り、ハボックだけがこちら側に取り残されてしまったのだということに裏切られたような気もした。
けれど自分の背が伸びる度にだんだんと皺の増えていく肌を、やせていく腕を自分が気付かなかっただけで、彼は確実に自分が死に近づいていることを知っていたのではないだろうか。
残していくものに未練がなかったはずがない。でもそんなすべてを受け止めて、家族に看取られて死んでいった彼はきっと幸せだっただろう。
軍人になって嫌というほど死を経験した。自分だって殺した。同僚だって死んだ。
人の死を喜んだことはないし、せめて彼らが少しでも安らかであれと願うことは忘れたことはないけれど、死そのものに対するあの頃のような衝撃は悲しいほどに薄らいでしまった。
それが大人になってしまうということなのだ。
「こっちに転勤になって割とすぐの頃、もう十年以上前に死んだはずの俺のじいちゃんが突然現れたんです。特に何を言うわけでもなくてただそこに立ってて10秒くらいで消えちまったんですけど、なんか運命を感じたんスよね」
「お迎えが来たとでも思ったのか」
茶化す風でもなく、淡々とロイが言う。自分の何倍も死を体験している命なのだ。非常識なようでいて、この手の話題には彼は決して死んでいった魂の尊厳を損なうような発言はしない。
「俺のじいちゃんの口癖がね、人生はどこかで命をかけなきゃならん時があるでした」
はるか見えない先を見つめるような目つきで、思い出すようにハボックは続ける。
「もしかして、大佐がそれなんじゃないかなあと」
「お前に命をかけられるなんざまっぴらごめんだ」
「でも俺は、あんたのためなら死ねるし、命をかけたいと思っている」
冗談じゃないとつぶやいて、ロイは黙った。ハボックもなんとなく続ける言葉を失ってしまう。
東方司令部に出るという幽霊は、戦争で命を失った女がこの世に未練を残してさ迷っているという噂だった。一部の文官を除いては誰もが身に覚えのあることで、軍施設にはありがちな設定だ。
大往生でも死はきっと怖いだろう。それが、突然奪われたらどれほどの未練が残るのだろう。
戦地や刑務所でこの手の噂が途絶えないのは、ひとえにそんな罪の意識が生み出しているのではないだろうか。
ようやく飲める程度にさめたコーヒーに口をつけながら、ぽつりとロイが漏らす。
「あれだけ殺しておいて、私は幽霊になんか会ったことがない」
戦争だから、という言葉は単なる自己弁護だ。それで命の重さが変わるわけではない。
その言葉を口にすればロイをかえって傷つけるような気がした。決して触ってはいけない逆鱗がきっとそこにあるのだ。
「もしもお前が、私の幽霊に会ったらその時はためらいなく消してくれ」
ためらいも未練も負い目も罪悪感も感じさせない声だった。
まっさらなすべてを受け止める決意に満ちた。
「あんたの幽霊なんか見たくありません」
この人が死ぬときは、まず自分が盾になるから。この人のいない世界になど一秒もいたくない。
どうかこの人の幽霊になんか会いませんように。
傲慢で激しい祈りだった。

 

ハボもロイも霊感なさそうだけど。
(04/9/28)
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