4 犬
空気を引きちぎるような悲鳴で目が覚めた。
か細く、けれど鋭いその声のしたほうを向くと、ロイが荒い息をしながらベッドの上に上体を起こしていた。
最初まだ夢から完全に引き摺り出されてはいなかったのだが、静寂を破る息遣いは暗い部屋には奇妙に収まりが悪く、瞬く間に意識は覚醒する。
「・・・大丈夫ですか?」
自分の持てる限りの優しい声を出しながら黒髪を引き寄せると、ぼそぼそと何事かを答えながら胸にしがみ付いてくる。こうやって腕の中に入ってしまうと、もともとそんなに大柄ではない身体が殊更小さく見えた。
熱く火照った身体、強張って震えている手、速度を速める鼓動、涙のあとが残る頬。
ひとつひとつがこの胸を落ち着かなくさせる。好きか嫌いかと問われれば紙一重好きなほうだが、手放しでは喜べない種類の。
ふと今夜は新月であることを思い出した。
月の光の射さない暗闇の中だとその髪も瞳も闇の色に溶けてしまって、白い首筋だけが浮かび上がる様子が思いのほか扇情的で、ハボックは思わず吸い付きたくなる衝動をなんとか押しとどめる。
こんなときですら熱くなりそうになる己の獣の部分に心底嫌気が指すのだが、声もなく静かにすすり泣く声が暗い部屋に響いて余計に気が滅入った。
自分の無力さをこれほど呪うことが今まであっただろうか。それに出口が見つけられないことも。
「大佐、大丈夫です」
背中をさすりながらただ時間が過ぎるのを待つ。自分にできるのはそれくらいのものだ。
早く夜が明ければいい。夜が明けてしまえば、この人の目は現実を映すしかなくなるのだから。
電気をつけると泣き顔を見られるのを嫌がるので辺りは暗いままだ。
夜の闇に潜む何にロイがうなされているのか、彼は語らない。だから聞かない。聞いてしまえばその言葉に何らかの答えを出さなくてはいけないから。ロイはそんなことを望んではいない。
ただこうやって胸を貸して、あとは大方想像通りなのであろう原因を考える。
東部内乱が終結してから5年がたつ。
当時ハボックはまだ訓練中で実戦に投入されることなく終戦を迎えたが、あの戦争が原因で今でも後遺症に悩む軍人は多いという。イシュヴァールの英雄として3本指には入るであろうロイ・マスタングもその一人だった。
得体の知れぬものにうなされて、夜中に突然悲鳴をあげて目を覚ますのだ。
戦争直後はもっと状態が酷く、薬と休養で何とか日常生活を送れるまで回復させるのに一年かかったのだと彼の親友から聞いた。
国家錬金術師は抵抗の激しかった地域に派遣され、最も多く人を殺し、最も多く廃人になった。
中でも鉄血、紅蓮、焔の二つ名はその破壊力のすさまじさから士官学校の戦史の教科書にすら登場する。
しかし戦後、前線に赴いた国家錬金術師の多くはその所業に疑問を感じて自ら軍を去り、精神のバランスを失って復帰できぬまま軍から除名された者もいる。生き残っても再び軍に復帰できたものはほんの一握りでしかない。
普通の人間なら絶えかねるほどのもの。それだけの業。
罪の重さなどといってしまえば簡単なのだろうが、実際のところ何が罪なのかも証明する術がない。
軍の名を借りるだけで殺人が名誉に摩り替わるのだからおかしな話だ。
もう5年、たかが5年。
まだ20歳をいくらか過ぎたばかりのハボックには判断の難しいところである。丁度ロイが東部内乱に駆り出されたのと同じ年齢になったばかりだ。
分かるのはその時の記憶がまだロイを蝕んでいるのだということ。
大地が燃える音、人が焦げるにおい、命を奪っていく感触。
忘れる、思い出す、探す、見つける、そしてまた忘れる。終わりなく繰り返す。
瘡蓋を引き剥がして痛みを忘れないように、いつまでたってもふさがらないように傷口を自らひらく。
傷口は決して癒えることはない。
せめて共有する何かがあればいいのだが、生憎ハボックは南部にいた頃に些細な小競り合いや軍の粛清に動員されたことがあるくらいで、国を挙げての戦争を体験したことがない。それでもあちこちから入る話を統合してみれば弱い人の精神に耐えかねるものだというのは想像に難くない。
人間兵器として駆り出されても、彼らは兵器である以前に人間だ。人を殺す技術はあってもそのこころは誰が守ってくれたのだろう。
来る日も来る日も終わりの見えない命の奪い合い。
命を奪った分だけ人としてのこころを剥ぎ取られ、傷つく痛みを見ないふりをする。
一体、いつまで?
「・・・もう大丈夫だ、すまない」
嗚咽が止まるとやんわりとハボックの胸を押し返して、ロイはまたベッドに転がった。おやすみなさいと声をかけると、布団にくるまったままこくんとうなずくのが見えた。
中途半端に目が覚めてしまったので、ロイが再び寝付いて寝息が聞こえ始めるとサイドテーブルの上に置いてあった煙草に火をつける。
苛立つ。もどかしい。
こんなに側にいるのに、この手が届かない場所で彼はひとりで戦っている。
羨望と揶揄混じりに『マスタング大佐の忠犬』と呼ばれることはよくあったが、本当に主人のことを思うならいつまでもこんな状態のままいさせてはいけないのだ。
けれど未熟で無力な犬には、傷に触れていいのか悪いのかすら分からない。



「はよーッス」
いつも通りの銜え煙草でハボックが出勤してきた。
まだ朝の就業時間前なので東方司令部にはまだ人がまばらであった。あまりそう見られないのが彼の損な部分なのだがハボックは意外と真面目なので、遅刻の常習犯のロイと違って朝はきちんとしている。
「お早うございます」
これまたいつも通り美しいブロンドのロングヘアーをきりりと一つにまとめた姿で、本日分の書類を準備していたホークアイが挨拶を返す。
普段ならその日の仕事のことやちょっとした雑談をする程度なのだが、それほど暑いわけでもないのにだらしなく軍服の上着を脱いだ姿のハボックをホークアイが嗜めた。
「ハボック少尉。朝の開始時くらいはきちんと制服を着なくては駄目よ」
「ああ・・・スンマセン。ちょっとこいつを入れてたんで」
ごそごそと手にしていた上着を開くと、中から何かがちょこんと顔を覗かせる。つやつやの黒い毛並みをもって、ぴんと三角の耳を立てたそれはまだ小さな子猫だった。
どうやら怪我をしているようで足の肉が抉れて血が包まれていた上着をうっすらと染めている。
「朝家の前に落っこちていて」
ブラックハヤテ号の時の発言があるのでいまいち信用を失くしているが、根は優しい男なので放っておけなかったらしい。現に首根っこを掴んだりせず両手でゆっくり持ち上げている。
「家の前で死なれると寝覚め悪いんで。でも俺動物の世話なんか分からないんで、とりあえず連れてきちまったんですけど」
少し言い訳がましいかなと思ったが、ここが保険所ではないことは重々承知しているので。前回フュリーが拾ってきた捨て犬は現在はホークアイの愛犬になっているが、司令部の面々が犬だの猫だのを際限なく拾ってきては問題だ。
また捨てて来いと言われるだろうかと顔をうかがえば、仕方ないわねと言いつつも、ホークアイは軍医のところへ連れて行くことを許可した。自他共に厳しく有事には男顔負けの腕前を発揮するが、彼女は不思議と女性らしい魅力を損なわない。それは男には決して持ち得ない種類の優しさなのだと思う。
就業時間に少し遅れて司令室に戻ればロイ以外はきちんと出勤しており、何故か子猫の話題で持ち切りになっていた。遅刻してきたロイにホークアイのお説教が飛ぶ横でそれぞれ仕事にとりかかる。
昼休憩の時間になってようやく、朝そのまま軍医に預けていた子猫の様子を見に行った。そわそわと部屋を出て行く部下を不思議に思ったのか昼に差し掛かってもまだ仕事途中のロイが呼び止めた。
「どこへ行くんだ、ハボック少尉」
デスクワークが憎いとしか思えないような沈痛な表情である。自分のせいなのは棚に上げて、やや浮き足立っている様子が気に入らないらしい。
まんまとサボる口実を与えては駄目だと懸命なハボックは誤魔化そうと思ったが、まったく悪気のない声が横からいらないフォローをしてくれた。
「ハボック少尉が今朝猫を拾ったんですよ」
フュリーのやつ・・・!!
正真正銘彼はいい人間なので責めるに責められない。だが、
「そうかそうか、部下の監督も私の仕事だからな。仕方ない、一緒に行ってやる」
心の中でガッツポーズをしているのが見えそうなくらい上機嫌で、ロイは席を立ってハボックに付いて来た。
仕事が進まなければあとでホークアイに怒られるのが分かっていながら、どうしてこうも学習能力がないのか。わざとらしくため息をついてみせるが、早く連れて行けなどとしれっとしたものだ。
「あとで怒られるのはひとりにしてくださいね」
無駄だろうが一応釘を刺す。
聞かないフリのロイにげんなりとしながら医務室の扉を開けた。
「とりあえず怪我の処置はしておきました。元気ですよ」
よく見れば黒い毛並みがロイに似ているとも言えなくもない子猫だ。
足に包帯を巻いているが、首筋を撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らしている。実家では畑仕事に使う牛や犬しかいなかったので愛玩用にペットを飼う習慣はなかったが、もともと動物は嫌いではない。しなやかな身体は手になじんで心地よいぬくもりを与えてくれる。
しばらくじゃれていると、傍らのロイもハボックの腕の中に収まっている小さな生き物に興味津々の様子だ。お前は犬の癖に猫の扱いも上手いのだなと失礼なコメント付で。
「抱いてみます?」
目の前に差し出すと過剰なくらい反応して後ずさりした。もしかして猫アレルギーなのだろうかと見当違いな心配をしたがそうではないらしい。何事かを考えてから手を伸ばした。
「か・・・噛み付かないか?」
「大丈夫ですよ。犬みたいな牙もないし、まだこんな子猫ですから爪でひっかかれてもそんなに痛くないですから」
はい、と言って両腕の間に収めるとおっかなびっくり抱き上げた。
「凄い・・・心臓がどくどく言ってる」
言葉少なだったが、子供のように無防備で感動に満ちた目を覗かせる。
こんなに優しい表情も出来るのかと、ハボックは子猫ではなくロイを見つめていた。改めて見れば、癖のないさらさらの黒髪や、すべすべとした白い肌、意志の強そうな切れ長の瞳、きっちり着込んで清潔な感じのする制服など、感情を排除してしまえば外郭だけの彼は非常に硬質な感じがする。
まっすぐでゆがんだ部分など微塵もないように。
彼を知ってしまえばどこをどう歪めればこんな人間ができるのか理解不能なくらい型破りで、非常識が服を着て歩いているようなものだと思い知って落胆する人間もいるのだが、それでも芯の部分にはまっさらで尊い優しさが潜んでいるのを自分はちゃんと知っている。
それだけもいいと思っていたのだ。今はまだ。



それから怪我が治るまでという条件付で東方司令部で預かることになった。
度々犬派を公言していたロイだったが、いそいそ餌を与えにいったり抱き上げてみたり満更でもない様子で、殺伐とせざるを得ない日々の中で子猫もそうだが、はしゃぐロイの姿を皆が微笑ましく思っていた。
しかしそれは突然訪れた。
ハボックが朝出勤するなり軍医に呼ばれて司令部の一室へ行くと、昨日まであんなに元気だった子猫がぐったりとしている。そこではじめて子猫は体力も少ないため些細な怪我でも命取りになり、何より人の手で育てるのは難しいのだと聞かされた。
それからわずか数時間で小さな命の火は消えた。もともと放っておけば死ぬ、と程度の出会いだったはずなのにすっかり愛着が湧いてしまっていたらしく、仕事の間中なんだか気合が入らなかった。
その日生憎査察で外へ出ていたロイは夕方になってはじめてそのことを聞かされ、死骸を前にして白い顔がますます白く青ざめ、次第に嗚咽が漏れた。
死を経験しすぎた彼にとって、恐らくはじめて生に触れた経験だったのだ。
背中を振るわせる様子に軍医とホークアイは無言で立ち去り、一瞬迷ったハボックは静かに肩を抱いた。
息の詰まるような、それよりも息することを忘れるような重たい時間が落ちる。
泣かないで、とも、大丈夫だから、とも言えなかった。またひとつ死がロイを悪夢に縛り付ける。
どれくらいそうしていたのだろうか。思っていたより長い時間ではなかったはずだが、医務室に下士官がやってきて小隊で喧嘩がおこったことを控えめに告げた。
「分かった、すぐ行くから」
気性の荒いことで有名なハボックの小隊は些細な小競り合いも多い。大体において原因はたいした理由ではないので大事に発展したことはないが何かあれば責任問題だし、軍という組織の中で上下関係をはっきりさせておくことは必要なのだ。
「すぐに戻りますから、動かないでくださいね」
うんともいいえとも言わないロイをひとりにしてしまったことを、十分後に後悔することになる。
カタを付けて戻ってくれば、ロイも子猫の亡骸も消えていて、軍医もホークアイもロイの行方を知らなかった。
苛々しつつ煙草に火をつけるのも忘れて司令部中を探し回れば、日のあたらない裏庭に黒い人影が映った。視線をやれば確かにそれは探していた人そのもので。だがほっとしたのは束の間だった。
ロイは表情のない顔で、足元に視線をやっている。
視点の定まっていない瞳で見ていたものは。
「あんた何してるんですか!!」
慌ててかけよって発火布をその手から剥ぎ取った。しかしロイの足元には元・子猫の死体と思しき炭化した物体が転がっているだけだ。
ロイが焼いたのか?
だがそれは火葬などという尊厳に満ちたものとは程遠く、ただ欲望の赴くままに焼き尽くされた無残な死骸としか見えなかった。
「・・・どうして!」
子猫の死をあんなに悼んでいたロイがこんなことをするのが信じられなかった。
「・・・・・・」
だんだん顔に生気が戻ってきて、一瞬目が合った。けれどすぐに逸らされる。
何も言わない。それは鈍くて気付きにくいけれど拒絶だ。
頑なに口を閉ざし、目線をあわせようともしないロイを無理やりこちらに向かせる。
「何で何も言ってくれないんですか。そりゃ俺じゃ頼りにならないかもしれない。あんたよりも年下だし、ヒューズ中佐のように頭もよくないし、ホークアイ中尉みたいに腕がたつわけでもない。だけど俺にだって感情がある。役に立ちたいとも、あんたの背負ってるものを少しでも手伝いたいとも。なのにそんな風に阻まれるだけじゃどうしたらいいのか分からない」
こんな風に責め立てるつもりなんて本当はなかった。だけどどうしてもとまらなかった。
これだからロイはいつまでたっても自分に何も話せないのに。
何も言わないロイに腹が立ったし、彼を包むだけの余裕のない自分にも腹が立った。
「あんたに都合のいいだけの犬なら他をあたってください」
酷いことを言っている。この人が傷を抱えていることを知りながら。
これがロイの我侭ならいくらでも妥協するし、負けることも厭わないのに、完全に引くタイミングを失ってしまった。
風が吹いて、乱暴に地面の灰を撒き散らした。夏には青く瑞々しく色づいていた葉も今は生き生きとした色を失い、鈍い色が頭上でざわざわと騒ぐ。
彫像のように立ち尽くすロイを動かす術など知らない。半分自棄になりながら乱暴にその腕を掴んで口付けた。
しばらくして唇を離すと、先ほどまでは決して合わされることのなかった視線がじっとこちらを見ているので、後悔と気まずさが一度に襲ってきて居た堪れなくなった。
何かを探しているかのようにじっと見つめてくる。ここで視線をそらせば負けだなどという奇妙な自尊心で無言のまま見つめあった。そこにはかけらほども官能的な雰囲気はなかったのに、後悔と同じくらいの期待が入り混じっていて、逃げ出したいどころか頑丈で得体の知れない磁力で引き付けられていた。そのまま何時間でもじっと立ちつくしてしまいそうなほど。ぴん、とした一本の糸で結ばれるような痛みを伴う陶酔感。
ややあって表情には何の変化もないまま先にロイのほうが、ハボックに掴まれた腕が痛いと言い出した。
女の子相手だったら格好がつかないことこの上ないが、スミマセンといいながら慌てて手を放す。知らず力を入れすぎていたようで掴んだ部分が赤く鬱血していた。そのついでとでも言わんばかりにロイがぽつりと漏らす。
「あんなに殺したのに。私はもう死の感触を忘れそうになるんだ」
唐突に、理解した。
だんだん死に対して感覚が麻痺してしまうのを、人間のこころを忘れないためだけに傷を広げる。酷い矛盾。
それでも歩みをとめるわけには行かないのだと。
果たして安堵したのか落胆だったのか、ただ張り詰めていたものの気が抜けたのは事実で、ロイの手をとって自分の心臓の上へ導いてやる。
「俺は生きている。あんたも生きてます。とりあえずそれじゃ駄目ですか?」
「・・・駄目じゃない」
かすかに笑った気がした。



子猫の死骸を今度こそ地面に埋めてやり、側に供えた小さな花が風に吹かれてはたはた揺れた。
今日はもう仕事にならないと悟ったのか、まだ定時前だったがホークアイはハボックにロイを家に送り届けてそのまま上がるようにと指示した。普段は厳しいが、共にイシュヴァールを戦った仲でもある彼女はロイのショックをきちんと理解して支えることのできる優しさも持ち合わせている。ロイがひとりにならないようにとの気遣いだった。
やはり拾ってきた責任もあるのでハボックも少なからずショックではあったが、仕事とプライベートを分けられるくらいには精神は自立している。まだ仕事も残っていたので本当なら仕事をするべきなのだが今日は甘えることにした。
ロイは人を食ったような言動とは裏腹に公私の切り替えが下手だ。
この人をひとりにはしておけない。
「やはり私は猫は駄目だ」
大分調子を戻したロイが呻くように呟いた。
「俺は好きですけどね。自由で気まぐれで放っておけないじゃないですか」
「そこが嫌なんだ!立派な軍用猫にしようと思ったのに、世話をしてやった恩返しもなしに死ぬなんて」
もちろんただの強がりで、心底そんなことを思っているのではない。
何一つ返してくれなくたってかまわなかった。ただ生きて本能そのものの剥き出しの生を感じていたかった。それで奪った命が報われるわけでも救われるわけでもない。でもはじめて己の手で命を実感したことはロイにとって、それこそこの世に生を受けて初めてのような感動だった。
それだけなのだ。
多くを望んだわけではないのに、こんな小さな命一つすら神様はロイには許してくれなかった。
常に死の纏わりつく感覚。ひとつも守ることが出来ず、奪うだけの指先。
「地獄までお供しますよ、サー。俺はあなたの犬だから」
逆光で顔が見えなかった。だけどきっと笑っていたのだろう。いつものように。
金色でふちどられたそのシルエットだけが美しく、命に色があるとしたらきっとこんな色だと思った。
「・・・ハボック、お前は」
そこで不自然に言葉は途切れる。
さまようように目が空に向けられ、コートのポケットにいれていた手がするりと滑り落ちた。
白く冷たいその手をハボックは自分の手と重ねた。力を込めると、答えるように強く握り返される。
言葉のないやりとりなのに、鼓動はあまく鈍く速度を速めてゆく。
この指先の向こうであなたがどんな言葉を飲み込んだのか、多分俺は知ってる。
そして死んでもあなたがそれを口にしないことも。
もう少し自分たちがもっと弱い生き物であったなら、寄り添って傷を舐めあって今よりずっと優しくできた。
街を行く幸せな恋人たちのように。
だけどいつもあなたが離してしまうから、それは指の隙間からこぼれてゆく。
「          」
その口から聞ければ、俺はそれこそ忠犬のようにその手をとってどこへでも逃げられるだろう。
そして小さな家に住んで、ご飯を食べたり買い物に行ったり、キスをしてセックスをして、緩やかに穏やかに死んでいけるだろう。
でもそんな日は永遠に来ない。
あなたが必要としないフリをするから。だから俺もそんなものはゴミ箱に捨てる。
ただその指先から生まれる炎だけが熱く。
二人を、照らす。

 

これは「犬」じゃなくて「猫」なのでは?というツッコミはあらかじめ己でしておきます。
最後の「」内には本当は入る言葉があるのですが、それぞれ想像で補ってください。自分でもこれで正解でいいのかな、と思う感じだったので。(04/10/19)
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