15 愛の話
それは何気ない会話だった。
仕事の合間のちょっとした休憩時間を潰すだけの。
大きな事件もなくて、急ぎの書類もなくて、平和だなんて勘違いしそうになるくらい空が高く、遠く、青い日。
もしも明日世界が終わるとしたら。



「心理テストです。明日世界が終わるとしたら何をしますか」
誰が言い出したものか分からないが、東方司令部では最近そんな質問が流行っていた。
いい年した大人ばかりの、有事ともなれば武器を持って戦う人間たちがそんな作り話に嵩じるなんて馬鹿馬鹿しいと思うが、命を取り合う仕事についているからこそ、そんな他愛もない話に食いついてしまうのかもしれない。
特に東方は近年いちばん大規模な戦争であった東部内乱から6年経っているとはいえ、またいろいろキナ臭い動きがあることを少なからず肌で感じ取っていた。
だからといって明日から戦争がはじまるというわけでもなかったが、関係ないと笑い飛ばしてしまうこともできず、ついに司令部にもその話が入ってきたのである。
「世界の終わりねえ・・・」
フュリーがどこからか聞いてきた話に、まったく興味がなさげにハボックは煙草をふかした。
当時まだ10代で養成所で訓練中だったためイシュヴァールこそ経験してないものの、20代半ばという年齢の割には戦場を渡り歩くというような生活を何年もしてきた彼は基本的に何とかなるときはなるし、ならないときはならないを最大のモットーにして生きているので、将来のことをあれこれ設計したり考えるのは苦手なのだ。
「俺頭悪いからなあ・・・その場になってみねえとわかんないかな」
お前は?と隣のブレダに話を振る。
見かけによらず緻密な頭脳プレーが得意な彼なら、何か興味深い回答を得られるかと思ったのだが。
「溜めた有り金全部使ってうまいものを食う」
「貧乏くさいな〜お前・・・」
「うるせー」
案外普通の答えだとからかえば、お前なんか答えもでなかったじゃないかと臨戦体制だ。
年齢も境遇も性格もまるで違うふたりだが、階級が同じだということもあり何だかんだと仲がいい。こののほほんとした空気も東方司令部独特であり、ささいな噂話や怪談が流行る原因でもあるのだろう。
そんなふたりに苦笑をしつつフュリーはファルマンに話を振る。
「私はのんびり本でも読んで過ごしたいですな」
歩く辞書と呼ばれる彼らしい答えだ。死んでしまえばその知識を披露する場もないが、知識を得る事こそ彼の楽しみなのである。
最後なのだから自分の欲求に素直に生きるのがいちばんいいのかもしれない。
「ホークアイ中尉はどうですか?」
「そうね……いつもどおりブラハの散歩に行って、射撃訓練をしてるんじゃないかしら」
「仕事熱心っスね〜」
「そうでもないわ。私もハボック少尉と同じで、その場にならないと分からないもの」
今日も司令部に出勤してきた愛犬は、午前中に外で遊びすぎたのか今は部屋の隅っこですやすやと眠っている。時折ご主人様の声に耳がぴくぴく動くのは躾の賜物だろうか。
それと自分に命じたわけでも命じられたわけでもないのに、鋭く主人の危険を察知して忠実であろうとするという姿はどんな兵器よりも頼もしく映る。こんなに小さな生き物に。
「フュリー曹長はどうなんだ?」
「僕ですか?僕は家族と一緒に過ごすと思います」
フュリーの言葉にハボックははたと、自分も最期を一緒にすごしたい誰かがいるような気がして、脳裏に浮かんだ顔が自分でも意外だったので少し驚いた。
以前ならそんな風には思わなかっただろうけど、戦場から戦場を渡り歩くような生活に終止符をうてたのは留まる理由がここにあったからだ。
ハボックは東部の片田舎の生まれで、家は雑貨屋を営んでいる。
自分を含めて7人兄弟。裕福というわけではなかったが、世界の醜さを知らず健やかに育ってきた。己の骨が眠る場所があるとしたらそこだろうと思う。
しかしハイスクールを卒業した年にたまたま出先で見つけた軍養成所にそのまま入ることに決めた。故郷も家族も大切だと自信をもって言えるが、それでもなんとなく家業を継ぐ気にならなかったのだ。
軍人になることに両親は反対したが、それまで何ごとにたいしてもはっきりとした主義主張のなかったハボックがそのことだけは頑として譲らず、結局相手が折れるような形で入軍を認めてもらったのだ。
ハボックは運命などという甘い言葉を信じないが、もしも自分の知らない場所で必然が起こりえるのならば、あの時がそうだったのだろうと思える。
そしてそれを運命と呼ぶならば、酷い話だとも。



「大佐ー、休憩入れてくださいよ」
昨夜から執務室に詰めっ放しで、目の下にクマを作りながらひたすら書類にサインを続けていたロイにコーヒーとサンドイッチを差し入れた。
ロイは人よりずば抜けて優秀な頭脳を持っているはずなのに、時折やりたくてやっているのではないかと疑いたくなるくらい分かりやすく間抜なところを見せる。
今やっている書類にしたって昨日、やる気が起こらんと昼寝していた時間に一枚でも片付けていればよかったようなものだ。
ハボックのほうを見向きもしない上司の目の前に、無理矢理サンドイッチを一切れ差し出した。
不快そうに眉を寄せて忙しいからどけと言うが、テロリストが襲ってきても応戦もできなさそうな顔色で何を言うかとハボックもひかない。
それでも五分も続ければもともとさして忍耐強くもないロイが折れた。
自分でも忘れていたみたいだが腹が減っていたのは事実のようで、ハボックの手から獣のようにサンドイッチを食べ、残りに手をつけ始める。
自分も休憩がてら煙草に火をつけた。自分は吸わないくせに執務室に設置されている灰皿はハボックのためのものだ。
肺に吸い込んだ紫煙を吐き出しながら、暇つぶしにさきほど仕入れたばかりのネタをロイにも披露してみた。
「さっきフュリー曹長がどこからか聞いてきたんスけどね、最近ここで明日世界がおわるとしたら何をしたいかっていうのが流行ってるんですって」
「いい年した男の巣窟で若い娘みたいに何だ。みっともない」
自他共に認める東部の色男はハボック以上に興味のなさそうな返答だ。
「まあ暇つぶしには丁度いいでしょう?誰も本気で悩む奴なんていませんよ」
「ふうん・・・お前はどうなんだ?ハボック」
指についたクリームを舐め取りながら見上げてくる。血が通っているのか心配になりそうなほど白い指にぬれて光る赤い舌は男でも結構扇情的だ。
「俺はね、一緒にいたい人がいるんです。その人の側で誰にも邪魔されない場所で死ぬまで一緒なんて、ちょっと憧れません?」
「そんなのはまっぴらごめんだな」
さすがにロイが目を輝かせて賛同してくれるとは思っていなかったが、あまりにあっさり否定されたのでちょっとがっくりきてしまう。
どうせ静かに錬金術の本でも読んで過ごすというのだろう。
仕事の上では派手なパフォーマンスが多いが、本当は割と物静かなほうだ。彼の家にはじめて行ったとき、あまりに何も話さないので息が詰まるかと思ったのだ。
最近はその沈黙も心地よく感じるようになったのは慣れという惰性なのか、近付いた距離分の安心感なのか、その答えはまだ保留中だけれど。
だからロイが何気なくふった質問に返す答えなど期待してもいなかった。
「私ならその人と一緒に生き残る可能性を探すよ」
基本的に何事にも動じないことが多いハボックでも、ロイと一緒に過ごすようになって驚かされたことはいろいろあるが、これほどどきりとしたことはなかったかもしれない。
「努力もせずに死なせてやるものか」
拒む事をゆるさないような決然とした眼差しを向けられる。
自分がずっと欲しかったのはこれだったのだ。
未来への希望も、過去への後悔も、まして現在の状況にすら麻痺していた、ただ命の奪いあいだけを呼吸のようにあたりまえにしていた自分が望んでいたのは。
これから先の人生、これほど必要とされたいと思うことがあるだろうか。
ロイ以外の誰かに。
親でも兄弟でも友達でも、そして未来の恋人や妻がいたとして、もう二度と自分はこんな瞳に出会うことはない。
心臓を鷲掴みにしながら、死ぬなと言うような理不尽な慟哭。
頼んでもいないのに身勝手に所有印をつけられて、憎むのと同じくらい焦がれた。内側から焼き尽くされるその痛みにすら。
「イエス・サー」
まるで大昔の騎士のように、ロイの目の前に跪いてその手に口付けを落とした。
応えるようにロイの手がハボックの肩にするりと回される。
ロイは何も聞かない。自分も何も言わない。
言葉にしない、できない沈黙の中で唯一の願いを魂に刻み込む。
二人は、愛の約束をしたわけでもなければ、将来を神に誓ったわけでもなく、お互いがどこで命を落とすかも分からず、誰と恋に落ちるかも分からず、確かなものなんて何一つなかった。
乱暴で苦しく、二人の間には何もやさしいものなんてなかった。けれど。
願いはひとつだけ。
側にいて、ただ側にいて。
生きて、息をして、最期まで。
その命のある限り、それが僕の生きる理由になる。
いつか別の誰かと恋に落ちて結婚して家庭を築いて、忘れてしまっても。
きっと最期の時にはあなたのもとへ行くから。
この魂のどこか柔らかい場所に刻まれている錬成陣を道しるべに。
愛している。永遠に。

 

元ネタは数年前に何か雑誌で見かけた投書・・・だったと思います。うろ覚え。
究極の選択はずっと書きたかったネタなんですが、ようやく出せました。もうちょっと書きこんで長編にしてもよかったかなと思いますが、これくらいのほうが後味悪くなくていいかも。
これにてお題全クリアです!お付き合いくださった皆様、有難うございました!
(05/3/29)
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