14 サボタージュ
自分も大概学習しないな、と思いつつホークアイの怒り顔もハボックの呆れ顔も振り切って、ロイはひとり東方司令部の片隅でまどろんでいた。
執務室の机の上には決済を待つ大量の未処理の書類。
本当は今すぐにでも一枚でも多くサインを入れなければならないのだが、そんなやる気はとうにない。
毎年この時期になるとそうなのだ。
誰もが待ち望んでいたはずの暖かくなるこの季節、毎年決まってロイは憂鬱になる。
理由はなんとなく察しがつくのだが、認めたくないのであえて見ないふりをしている。
自分なりに努力して気分を変えようとデートをしてみたり、いつもより錬金術の研究に勤しんだりもするのだが結局ますます憂鬱さを増すだけなのでやめた。
何もしないでじっとしていたほうが早くこの状態から抜け出せると最近ようやく気がついた。
もう十年以上前の話だが、母が亡くなったのがちょうどこの季節だった。
同じ屋敷の中にいても食事の時以外はろくに顔をあわせることもなかったし、顔をあわせたとしても何も話すことがなかった。
ロイの記憶の中で彼女はいつも物憂げに窓の外を見ているか、突然ヒステリーを起こして数日泣き寝入りしているばかりだ。
その人は母と言うよりも、自分の人生で通り過ぎた女のひとりと変わらない。しかも女性関係は得意だと豪語するロイの中では、いちばんトラウマになっている類の。
それでも彼女が死んだ季節が近くなると、それと自分で意識していたわけでもないのに、ぽっかりと頭か心臓かどこか分からないが何か大切なものを失ったように、空っぽに感じるのだ。
世界中には自分と、自分以外の誰かしかいないのだと。
このことだけは誰にも言ったことがない。
だから親友であるヒューズも、副官であるホークアイも知らないはずだ。
深く詮索はしないで、ロイの憑き物が落ちるのをただ辛抱強く待つ。
唯一の例外は多分、今日も己を探しに来て執務室に連れ戻すのだろう。
どうせ何もしないのなら、少しでも常に溜まりがちな仕事をしたほうがいいのは頭では分かっているのだが、かろうじて字面を追うだけで内容がまるで頭に入ってこないのだ。
一週間もすれば忘れてしまい、いつも通りに戻るのだが、この状態になったときは本当に駄目でまさに無能。
結局士官で仕事を振り分けて一週間凌ぐことになるので、ホークアイにはただでさえ忙しいのに加えて負担をかけることになるのだが、自分がやっても余計な手間をかけるだけなのである。
でもロイがさぼることには小言をしても、自分が忙しくなるとことには何一つ文句を言わない彼女は本当に自分にはもったいないほどできた副官である。
一生こうして甘えているわけにはいかないと思う。思うのだが、身体はやはり動かなかった。
もうこの際徹底的にサボリたおしてしまおうと心に決め、ごろんと横になって空を見上げれば青色ではなく視界いっぱいに金色が広がった。
「あんたまたこんなとこにいたんですか」
「ああ・・・ハボック」
唯一の例外のおでました。
そろそろ五年になるのだからいい加減学習してもよさそうなのに、今日もまた性懲りもなくロイを探しにきた。そのくせ執務室に連れ戻すと、仕事をしろというでもなくただ単に座らせているだけである。
勉強という意味においては彼は不得手なようだが、知能が低いという訳ではないのでロイがこの時期つかいものにならないことは承知しているのだろう。
それでいてわざわざ自分の仕事時間を割いてまで来る理由が分からない。
ぼーっと返事をしたロイに長身を折り曲げて手を差し出す。
「ああ・・・じゃありませんよ。まだ昨日の書類も片付いてないんですよ?今日まで残業したくないでしょう」
ほら、立ってと逞しい二の腕で決して大柄ではないが華奢でもない自分を軽々引っ張りあげた。
おなじ男の腕なのに、この違いはなんだろうと時々首を傾げたくなることがある。
体術も人並み以上には自信があるし、その上得意な錬金術は酸素や水素などの空気中にある可燃物質を使う、シンプルで分かりやすい破壊系。実戦と言う意味においてもイシュヴァールの経験は大きい。
一対一で本気でハボックとやりあえばその勝敗は目に見えている。
だがそれでも体力ではとうてい敵わない年下の部下を見ると、ロイが童顔やらを気にしていらぬ虚勢を張るような人生の回り道は少なく済んだだろうなと、妬ましいような羨ましいような不思議な感じがするのだ。
そんな胸中を知ってか知らずか、上着を脱いでロイの肩からかける。
不信げに見上げると頬に触れられた手が思いのほか熱く感じて、ようやく自分の身体が冷え切っていたことに気がついた。
「春が近いっつったってまだ風は冷たいんですから、何も考えなしにこのまま外にいたら風邪引くでしょうが」
「お前が来たからいいじゃないか」
「それが仕事だからです」
ほらほらとロイの背を押すのでされるがままに建物に戻る。
無骨と言えば無骨で女性のような柔らかさのない優しさだが、混じりけのない率直さをロイは好ましく思っている。
けれど、その分逆のベクトルで彼が冷静な人間なのだと人より経験の多い分ロイは知っていた。
優しいだけの男が、特殊部隊で生き残れたはずもない。寧ろ、肉体的にも精神的にもほぼまともな状態で通常軍務に復帰している人間ほど怖い部分もある。
上着を肩にかける優しさと、戦場で引き金を引く無常さがこの中に同居しているなど、誰が想像するだろう。
「ハボック。ひとついいことを教えてやろうか」
執務室へ続く曲がり角の手前で、ふいに思いついて振り向いた。頭ひとつ高い目をまっすぐに見据える。
やや警戒した色を見せながらもハボックもおとなしく立ち止まった。
「・・・なんですか」
「私は近々再び中央に行くことになる。そうすればお前もこんな仕事とはおさらばできるぞ」
よかったなとひとこと余計に付け加える。
本当は少しばかりの意地悪のつもりだったが、ハボックには効果的面だったらしく一瞬しまったというように青い瞳を逸らして俯いた。
普段は上官に対しても臆せずふてぶてしさの目立つ男だが、それは彼がものごとにたいして不敬だということではない。
彼が敬意を払うのは権力にではなくて、その人の生き様や魂だというだけで。
ロイには理解できないが、ハボックにはハボック自身にしか分からないひとつの通すべき信念がその魂をまっすぐに通り、いつでもそれにだけ忠実に生きているのだろう。自分の進むべき座標を見定めながら。
軍への忠誠も、誰かの執着も、まして金銭や権力などでその力を止めることはできない。
表面だけでも繕っておけば、実力はあるのだから今頃こんな僻地で少尉などではなく、別の場所でもっと高い階級を名乗ることもできただろうから勿体ない。
けれど、その信念に沿うということこそ彼の中でいちばん重要なのであり、曲げてしまえばもう飛び立つことすら彼には無意味になるのだ。
その理論でいけば自分は一応及第点はもらえたということなのだろう。
小さな衝突なら数え切れないほどあったし、本当に運命を決めてしまいかねない手痛い別れすら起こりえた。
それでも、出会ってから4年と数ヶ月。
離れ離れになることなど一度として考えなかった。
それはきっと彼も同じだ。
紙切れ一枚出せば容易く断ち切れるはずの関係に固執していた。
目にうつる傷を見ないふりをして、傷つけあうことも辞さないで、醜くさを見せることすら恐れないで。
他の誰かとならこんなことはできなかった。
「・・・失言でした。仕事じゃなくても、俺はあんたを探します」
「分かればいいんだ。まあでもお前が嫌だと言おうが私は・・・」
みっともなくても、哂われても、拒絶されたとしても、母への愛情や執着を捨てては行けなかったのだ。自分は。
今更気付いても、時間は戻ってこないけれど。
でも、もう二度と自分は捨てることを選ばないだろう。
両手に持ちきれないだけの荷物なら、引き摺ってでも連れてゆく。自分にしかできないのならば。
「お前を中央へさらって行くよ」

 

最初はそんなつもりではなかったのですが、これではヒューズ死後の話ですね・・・ごめんよ・・・。
公式設定が明らかになるまでは基本的に増田の背景は同じに書いてます。愛人の子で母とは死別。
ロイを男らしく書きたかったのですが別にいつも通り。でもロイはハボのことを可愛いと思ってます。つーても乙女ではなく小動物を愛でる感じで。
(05/3/26)
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