10 忠誠
女の子とは気軽に明るく楽しく付き合うのがモットー。
本気になりすぎて、追い詰めたり追い詰められたりしてはいけない。
軍人なんて何時何処で何が起こるかわからないので、そういう意味で親しく付き合う人間は危険でも足枷でもあるからだ。
もちろん恋人ができれば大事にするし、尽くすし、駆け引きの類は苦手なのでどちらかというと騙されるほう。それでも普通に女の子はすき。エッチもすき。
好みは結構アバウトだけれど、年上で気の強そうな美人にはとことん弱い。遊び慣れてるほうがリードしてもらえて楽だというのもある。大兄弟の長男だったので世話を焼くのは嫌いではないし、得意だと思う。
けれど手のかかる人間なんて、そんなのは上官一人で十分なのである。



午前十時。
彼女が出来た、と喜ぶハボックに一同はまたかと思った。
恋人ができ、振られ、彼女が欲しいと騒ぐのを大体三ヶ月単位で1クールにして繰り返すのである。
見た目は悪くない。モデルのようというには鍛えられた筋肉が付き過ぎているが長身で足も長い。日に当たれば輝く金髪は健康的な彼のイメージそのもので、明るいアイスブルーの瞳も見つめられればどきっとする。銜え煙草と若干の猫背は本人の意識次第なのでさして問題でもない。
生まれは東方よりも更に田舎で由緒ある血筋でもないが、20代半ばで准尉なので軍人としてはそこそこ出世組に入るほうだ。それは仕事の出来る証。性格も多少田舎くさい茫洋としたところはあれど、変に気取ったところもなくて明るいお人好し。
はっきり言って、ステータスだけ見れば十分いい男に分類されるだろう。
それなのに彼女が欲しいと常に言っている気がするのは、ひとえに「私と仕事、どっちが大事なの?」という太古より飽きるほど繰り返された疑問に未だ答えられないから。
恋の駆け引きが下手というよりも、馬鹿正直すぎるのである。
その最もたる原因が、彼直属の上官だった。
こちらは神秘的な黒髪と闇に濡れたような黒い瞳。中肉中背だが優雅な身のこなしに、やや童顔ではあるものの綺麗な顔立ちは性別を問わず人の目を惹く。士官学校以前の過去はかなり謎な部分も多いが、そのミステリアスさすらも彼の魅力だ。
そして現在25歳の彼はその若さで中佐という地位にあり、大佐への昇進も間近と噂されるほど切れ者で優秀な人物だった。これに国家錬金術師の肩書きも付くのだから神は二物も三物もこの青年に与えたことになる。
だがそれはあくまでも外側からの評価でしかない。
「あーっ!また逃げられた!畜生!」
もはやコーヒーとも呼べないような甘ったるいコーヒーを飲みながら、近所の花屋の奥方からもらったというクッキーを機嫌よく食べていたところまでは知っている。
正午提出の書類に肝心のサインが入っていないことに気付いて執務室へ行けば、もうそこはもぬけの殻だった。
東方司令部の切れ者司令官で知られるロイ・マスタングは平気でそういうことをする男なのである。
そして探し回るのはハボックと相場が決まっていた。以前はそれこそ司令部総出で探し回っていたのだが、去年新しく赴任してきたこの男は殆ど犬並みともいえるような嗅覚でロイの居場所を探し当ててしまうのである。負けっ放しなのが気に入らないのか隠れ場所もだんだん巧妙になってくるのだが、一度たりともハボックが見つけられなかったことはない。
今日はいい天気。加えてロイはさきほどクッキーを食べてほどよく満腹。きっと眠くなっているに違いない。
ロイのサボり場所は司令部中それこそ数え切れないくらい多いが、そこまで考えればなんとなく彼のいる場所がわかるのである。
本人にも理由はよく分からないので勘としかいいようがない。理詰めで探せるのならそれこそブレダなどのほうが得意なはずだ。
書類を手に持ったままいっきに屋上まで駆け上がった。ぐるっと見回して一目で分かる場所にはいない。扉の上の一段高い場所に手をかけて一息に上ると。
「見つけましたよ、大佐」
案の定、目的の人はすやすやと寝息を立てていた。
日頃とは打って変わってあまりに無邪気な寝顔をしているの起こすのは忍びなかったが、仮にも勤務時間中なので仕方ない。声をかけながら揺り起こす。
「ん・・・うむ・・・」
むにゃむにゃと寝ぼけながら腕に擦り寄ってくる。
ちょうど春から夏にかけてのいちばんいい季節。人肌が恋しい季節でもないが、ロイは寝るときにものに抱きつく癖があるので、ハボックの腕に安心したようにふにゃっとした顔をした。
これって飼いならされてるよなとあと10分だけ寝かせてやることにして、ホークアイへの言い訳を考え始めた。



正午。
午前中全然仕事のはかどらなかったロイと軍食堂へ連れ立って行く。
普通佐官クラスの人間はこんな汚い食堂などは利用しないが、ロイはさして頓着しない。
女尊男卑の激しい彼は食堂のおばちゃんにすら愛想を振りまくのを忘れない。歯の浮くような台詞をどうしてこうもすらすらと述べ、しかもどうして女性はそれに喜ぶのかかなり謎だが、ロイの頼んだオムライスが心なしか大きく見えるのは気のせいではないだろう。女性にもてるのは得だ。
気の利いた台詞なぞ言えるはずもないハボックは普通サイズのカツ丼をトレーに乗せて、ロイのオムライスとサラダを一緒に運ぶ。もちろんロイはさっさと席に座ってしまっている。
「はい、お待ちどおー」
目の前にふわふわたまごの特大オムライスを置いてやる。いい年をした男がこういう食べ物が似合ってしまうのもなんだか問題のような気もするが、無邪気なロイは嫌いではない。寧ろ日頃眉間に皺を寄せて難しい顔をしているときが多いので、食事の時くらい楽にして欲しいとも思う。
でも物事には限度というものがあるのだ。
「ちょっと中佐、またそんなボロボロ溢して・・・あっ、制服汚してるじゃないですか!コレ染み抜きするの大変なんですよ?!」
どうやったらそんな箇所に着くのかまずロイのほっぺたについたケチャップを拭い、続いて汚れた生地をとりあえず拭き取る。しかし綺麗には取れてくれない。ハボックが悪戦苦闘を続ける間にもロイ自身はまったくお構いなしにサラダに手を伸ばし、嫌いなトマトを勝手にハボックの皿に入れてから食事を続けている。
はっきり言ってロイはあまり人前に出したくない食べ方をする。仮にも士官学校卒のエリートなのだからテーブルマナーのひとつやふたつ心得ているはずだし、現にお偉い方との会食などでも苦情を言われたことはないのだが、普段は気が抜けすぎなのかわざとなのか子供みたいに零すし、汚すし、好き嫌いは激しいし散々だ。
「ハボック、お前母親みたいだな」
「25にもなってこんな手のかかる子供いらねーよ!」
周りの人間は少しだけ同情した。



午後二時。
がちゃ。ノックもせずにずけずけとロイ個人の仕事場に入ってくる人間はひとりしかいない。
「中佐、ちょっとは仕事はかどりましたか」
お茶汲みから護衛までなんでもこなすハボックは、昼休憩のあと仕事のはかどらなさに激怒したホークアイによって執務室に閉じ込められたロイに紅茶とケーキの差し入れをもってきた。
「ふぬう・・・」
相変わらず紙の山に埋もれているロイはうんともううんともつかない気の抜けた返事をする。
お茶を置く場所もないので山を傍らにどけると、激しく眉間に皺を寄せながら書類に目を通しているロイの姿があった。朝自分が持ってきた奴だ。もちろんとっくに締め切りを過ぎており、有能な副官によって6時間締め切りを延ばしてもらったのである。
「お前、汚い字だな」
「それは悪かったですね」
「田舎者くささが滲み出ているぞ」
「田舎者なので放って置いてください」
「それだからお前には彼女のひとりもできんのだ」
本当はできたばかりなのだが、この上司にそんなことを言えば面白がってネタにされるか邪魔をされるかなので言わない。
そんなハボックの内心も知らずロイは読み終わったらしい書類をぽんと置いて、人に言うだけあって綺麗な文字でサインをする。ぽんと判子を押して処理済の山に載せた。
「ちょっと一息入れてください。今日は定時までばりばり働いてもらいますからね」
「少しくらい見逃してくれ」
「駄目です。まだまだまだまだ未処理の書類はあるんです」
「・・・お前昔は可愛かったのに、だんだん中尉に似てきたな」
「俺だって学習しますよ。甘い顔を見せたら絶対さぼるんだから!」
「・・・・・・」
口で言っても平行線なのをさとったのか訴えかけるようにじっと見つめてくるが、その手には乗るものかとにらみかえす。かたまること数十秒。
ロイのほうが折れるのは早かった。何だかんだでケーキの誘惑に勝てなかったようで、飼い犬に手をかまれた気分だのなんだの文句をたれつつしっかりケーキは口に運ぶ。
ご機嫌取りのつもりが逆効果だったかなと前髪のかかる顔を覗き見れば、口ほどには機嫌は損ねていないようだ。憎まれ口をたたくのはもはや性分なのだろう。
一年前にいろいろあって拾われたときには、きっとすぐにこの人の下からいなくなるだろうなと思っていたのだが、いまとなってはロイ以外の人間のもとで働くことが考えられない。
朝起きられないだとか、仕事はさぼるだとか、すぐ前線に出たがるだとか、女好きだとか、人間として問題はいろいろあるがそんなものを撥ねつけてしまうほどに。
ひととひととの間に引力と言うものがあるのならきっとこれなのだ。



午後五時。
締め切りを延ばしてもらった書類を取りに執務室へ赴く。
その気になればさすが25歳にして中佐という史上最年少の佐官なだけあって仕事はあらかた片付いたようだった。いまはそれほど急ぎでもない書類に目を通しながら、ホークアイに淹れてもらったらしいコーヒーを片手にハボックを見るなりにやりと唇をゆがませた。
嫌な予感がするが、ロイはまたこわいくらいにこういう憎たらしい表情が似合う。
「何スか」
「ハボック准尉、お前彼女ができたそうだな」
中佐の耳に入れたのは誰だ。とっさに回れ右したくなるのをぐっとこらえて無難な答えを模索する。
「はあ、まあ。でも紹介はしませんよ」
「お前に取り持ってもらわないといけないほど不自由してない」
「・・・でしょうね」
なら聞くな。そっとしといてやるのも上司の仕事だと思うし、どうせなら百戦錬磨と名高いロイに恋の指南のひとつくらい授けて欲しいものである。
しかし常識というものをまるで解さない男は平気で続けた。
「どうせまた一ヶ月だ」
「・・・あんたね、部下の幸せを喜んでやろうとか思わないんですか」
「お前の場合、喜び損だ」
「そりゃどういう理屈ですか・・・」
「そのまんまだな。喜んでやってもすぐ別れるのだから勿体無いではないか」
確かにこれまでの人生平均して一月くらいで別れてしまっているのだが、何だかんだで三ヶ月以上途切れたこともないのだ。仕事が特殊なので興味を惹くのは簡単だが、仕事のせいで持続させるのが難しいのだ。
「そういう中佐は女性関係で悪い噂を聞きませんね。俺にもこつを教えてくださいよ」
「軍人を快く思わない女性を相手にする場合、もっと上手く立ち回るかそれでも離れられないほど引き付けておくかだ。でもお前には向いていない」
ひじを付いてこちらを見向きもしないのに、ロイの言葉はとても真実を付いているようでハボックはなんだか不思議な気持ちだった。
基本的にロイは性根がゆがんでいて常識知らずだが、核の部分でまっすぐなので時折残酷なほどに無防備な部分に入り込んでくるのだ。多分自分では気付いていないのだろうけど。
「だって仕事しなきゃ食っていけないでしょうが。まあよっぽど好きな女ができたんだったら、退役して田舎に引っ込むってのもありかもしれませんけど、今のところそんな予定はないですし」
「女ごときで気持ちが揺らぐようでは、軍に対する忠誠心なしとして処罰されても仕方ないな」
「生憎俺が忠誠を誓ってるのは軍じゃないんで」
「ほう?」
はじめてロイがこちらを向いた。
底の見えない黒光りする目。清濁飲み込んでここまで生きてきた、瞳。
「俺が忠誠を誓ってるのはアンタですから。マスタング中佐」
すっとその目が細められて、狩る者側である表情を見せた。人を食った笑みと上を向ける鋭い視線の合間にあるあまりに純粋で硬質な本性。
「いい心がけだな」
一瞬でその表情を消し去って、いつもの子どもっぽい顔に戻った。ふてぶてしい態度で椅子に深くもたれこみながら投げ出すように書類を手放して、ぴっと白い指でハボックをさした。
「お前はその女よりも私を選ぶ」
「・・・その自身はどこからやってくるんスか・・・」
あまりな発言に一気に脱力感が襲ってきた。今は自分もまだ若いし、この人だって一人身だ。
軍にいる限りはこの人のために力を尽くしたいとは思っているけれど、プライベートで世話を焼くのはなるべく早く切り上げさせて欲しい。下手をすればこのままずるずる一生世話をさせられかねない。
そんなハボックの心配もよそに、ロイは
「だってお前、私に忠誠を誓っているのだろう?いかなる理由があろうと私以外をとるような生半可な忠誠心は、私はいらない」
怖いものなど何もないというような絶対の宣告だった。
「賭けてもいい」
「・・・何を賭けるんで?」
「そうだな・・・勝つのは私だから別に何でもいいんだがな」
まだ日は沈まない。
いつもどおりの一日。朝ロイを起こす兼司令部までの送迎をして、午前中はロイに逃げられて探して、昼はロイと一緒に食事をして、午後におやつでロイの機嫌をとって、夕方締め切り近くに書類をロイに貰いに行く。まったくいつもどおり。
ロイのいない一日を自分はどうやって過ごしているのか思い出せない。
朝起きてご飯を食べて彼女とデート?そうだっけ?
「永遠の忠誠」
よく恥ずかしげもなくそんなことを口にできるなと呆れる反面、ロイの未成熟な部分を垣間見たような恍惚も湧く。完成されたような彼の意志のなかにある、柔らかい場所に少しだけ触れてみたい。その権利があるのなら。
「俺が勝ったらなにをくれるんですか?」
「なんでも好きなものをやる」
「あんたの命が欲しいといったら?」
「やるさ」
それはとても命のやりとりをしているようには思えない気軽さで、かえって腹がきまった。
「絶対に負けない自身があります」
「一年・・・いや、一ヵ月後に言ってみたまえ」
この上司が自信過剰なのは重々承知しているので普段なら軽く聞き流すところだが、自分のこととなるとさすがに気恥ずかしい。青い目を彷徨うようにロイからそらしてしまう。
ちょっとやそっとのことでは動じない部下のそんな初々しい反応が楽しいのか、くすりと笑い声すらもらしながらロイは真っ更な羊皮紙を机の中から取り出す。
売り言葉に買い言葉の賭けなのにそんな高価なものと言いかける唇は、無邪気さの中にもぴんと張り詰めて冴え冴えとさえしている横顔を見出してしまって何も言えなくなった。
正面から見ると子供顔だが、横顔は年相応に凛々しいなと新たな発見だ。
流暢な文字でロイ・マスタングと署名された横に、汚い字でジャン・ハボックと書く。
くだらないままごとのような証文。しかし二つ並べられたサインは、愛の誓いのしるしのようで気恥ずかしいようなくすぐったい気持ちにさせた。何かが自分たちの手の届かないところで起こったような。
婚姻届を出したことはないが、出す瞬間にたった一枚の紙切れが運命を束縛することに恐怖を覚えはしないのだろうか。
手も足も体も鎖に繋がれているわけでもないのに、確かに誰かと繋がっているのだという証。
ロイの机の一番上の引き出しに仕舞われる。がちゃりと鍵のかかる音がもう引き返せないという合図。
何も言わずに敬礼だけして、ロイの執務室から仕事場へ戻った。
そわそわするような得体の知れない高揚感。そして繋ぎとめられる独占欲が足を早くさせる。
この賭けにどちらが勝ったのかは、もう少し未来のお話。

 

時間的には4年位前で。ロイはまだ中佐。ハボは准尉。まだ双方自覚はありません。
ロイは甘いものと酒がすきそう。でも酒の味にはこだわらない。酔えればいいみたいな。そんで野菜が嫌いっぽい。トマト・ピーマン・人参・ニラ。ちなみにトマトとニラが嫌いなのは私です!ハボックは好き嫌いなさそう。ゲテモノでも食いそう。
(05/1/3)
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