1 東方司令部
デスクワークに飽きてきたロイがちらちらと時計を気にし始めた。
今日は朝から事件という事件もなく、実に平和である。
言い換えれば暇でもあるのだが、ロイに振り回されるよりはデスクワークのほうがよほど気楽なのでこのまま何事もなく過ぎてくれと、平和のほうが素通りしそうな破天荒な上司を持った面々は考えていた。
昼休憩からそろそろ二時間たつ。錬金術に関しては並々ならぬ集中力を発揮するロイであるが、他のことで彼を机上に縛り付けておくのはかなり難しい。
あれはそろそろ限界だと思って、ハボック以下司令部の面々はホークアイに指示を仰ぐべく彼女へ視線をおくる。
やや考えるそぶりをしながらも、ロイ付きとしては一番長い副官はもちろん上官がこれ以上使い物にならないことを理解していた。20分ほど前から書類を片付けるペースが格段に落ちている。
ただすぐに甘い顔を見せてはいけない。士官学校時代から中央勤務の親友に散々甘やかされているので、これ以上我侭に育ててしまっては将来がかなり危ぶまれる。
我慢と忍耐。
まずこれを身に付けさせなければならない。
仮にも将来大総統になろうという男が、もう30歳の大台も目の前にしたいい大人が、毎日毎日おやつの時間ばかりを気にしていてはいけないのだと。
きーんこーんかーんこーん。
そんなホークアイの思惑をよそに休憩時間を知らせるチャイムが鳴った。
がばっと椅子から立ち上がるロイ。冷蔵庫には昨日突然やってきた東方司令部中将の孫が持ってきた差し入れのケーキの詰め合わせが入っているはずだ。ショートケーキは私が食べると勢いよく宣言していたのを覚えている。
だがロイよりもホークアイのほうが早かった。
「マスタング大佐」
「なんだね、中尉」
「休憩時間になりましたが、あともう少しで皆の仕事が片付きます。とりあえず片付けてからゆっくり紅茶でも入れていただきましょう」
「し・・・しかし、私は・・・」
「大佐のお仕事もそろそろ片付きますよね?昨日からお渡ししているものばかりですから」
「・・・・・・」
反論するすべを持たないロイはすごすごと椅子に座りなおした。その他の人間も知らないふりをする。
ロイのほうがはるかに階級は上なのだが、ホークアイに勝てる人間などこの東方司令部にはいやしないのだ。



(ああ、イライラしてんなー・・・)
煙草が切れたときの自分のような落ち着かなさが、ロイの全身から流れ出ているのをハボックは横目で見ていた。今日は普段よりは真面目に仕事をしていたのだから、少しくらい多めに見てやってもいいのになあと思わないでもないが、ホークアイとて意地悪で言っているのではないのが分かるので口出しはしない。
(眉間に皺よってるし)
こうやって第三者として見ればロイは確かに、とりたてて美形と言うわけでもないが女が好きそうな小奇麗な顔をしているし、アメストリス出身らしいが肌の色の白さやこの国の成人男性にしてはややコンパクトな骨格や筋肉の付きにくい身体は、どこか別の血が混ざっているのだろう。
しかし最近心なしか全体的に身体のラインが丸くなった気がする。
もともと男にしては骨っぽくない身体だったが、先週久々に夜のお許しを頂いたときお腹まわりや太もものさわり心地が違っていた気がするのだ。ハボックとしてはもともと女が好きなので、多少丸くてもふにゃっとしたさわり心地は素敵だと思う。
だがそのことを口にすると「私がデブだといいたいのか?!」と的外れな反撃を食らってしまい、それまで気が向いたときに好きなようにしていた間食を一日一回と決めてしかも扉に張り出したのだ。
その節制の心がけはまあ悪くないのだが、結局一日一回のおやつの時間にそのエネルギーが一心に費やされることになってしまったのであまり状況は変化していない。
しかも今日はそのおやつ時間の先送りである。いつぞや己に向けて発せられた禁煙令に比べればまだ中止にされなかっただけマシだろうが。
りりりりりん。
ロイのいらいらを助長するかのような音が部屋に響く。
さっとホークアイが受話器を取り上げ、無言のままロイに差し出した。こうする電話の主はひとりしかいない。
「・・・ヒューズ、エリシア嬢が三輪車に乗った話も、新しいワンピースを着たら天使のように可愛い話も、誕生日が半年後だという話も聞いたぞ」
仕事中だというのに、平気で軍の回線を使って家族自慢の電話をかけてくる男である。
ついでにロイとは士官学校からの動機で唯一無二の親友だと先方は言っていた。さすがにロイはそこまでは言わないが、本心はだいたい同じだろう。
どんな会話をしていたとしても、その染みいるほどに優しい声音は彼以外の他者へ向けられることはない。
これも嫉妬と言うのだろうか。ロイはヒューズへ向けるのとはまだ別のベクトルで自分や他の部下たちを大事にしている。それは頭では理解していても、ヒューズのためのロイがいることは揺るぎない事実で、またそれがロイの中でかなり重要な位置を占めているのは彼氏としてはあまり面白くない。
「ああ。最近ちょっと調子が悪くてな・・・」
他愛もない会話をしながら、ロイの声が一段低くなった。
ここ数日忙しい日が続いて、なかなか家に帰れないので疲れがたまっているのだろう。普段ならもっと早く電話を終わらせようとてきぱきとしゃべるのが、今日に限ってだらだらと続く。
今日は久々に定時で帰れそうなのでロイを家に誘ってみようかなどと考えはじめたら、がちゃんと派手な音が響いた。
「馬鹿か!」
またヒューズがロイをからかったのだろう。最後に怒鳴り声を上げてロイが乱暴に受話器を下ろす。
「大佐、電話はお静かに」
すかさず注意してから、有能な女士官は手早く紅茶とケーキを準備してロイの前に差し出した。
「お疲れ様です。残りの書類は夕方までにお願いします」
完全に頭がヒートアップ状態のロイを一瞬で大人しくさせた。ロイの機嫌の取り方など朝飯前と言う感じで、ハボックとしては見習いたいばかりだ。ヒューズなどは分かっていてわざとロイを怒らせる場合も多々あるが、非常に変則的なロイの機嫌の波をコントロールできるという意味では彼以上の適任者もいないだろう。
とりあえず出来上がっただけの書類を持ってホークアイが席を立つのと同時に、ロイが待ちに待ったはずのケーキにフォークを突き刺した瞬間、顔色を変えた。
「・・・うっ・・・」
口元を押さえてばたばたと部屋から走っていく。ものすごい勢いでホークアイにぶつかったため、いくら有能でも避けきれずに腕から書類をばさばさと落とした。
「マスタング大佐!」
しかしロイはホークアイの呼びかけにも答えず、あっという間に廊下を駆け抜けてしまった。
ケーキにはエクスカリバーのように見事につきささったフォーク。
ぽかんと一同は見送った後、ホークアイは彼が散らかした書類を集めて何事もなかったように部屋を後にし、おそるおそるという風にフュリーが目の前で起きた珍事に口を開いた。
「・・・大佐、どうしたんでしょう?大丈夫でしょうか」
「あんだけダッシュする元気があれば大丈夫だろ。大方飲みすぎたとかじゃねえの。妊娠したわけじゃあるまいし」
フュリーが心配顔でロイの出て行った扉を見れば、ブレダが適当に安請け合いをする。
だが、いま何か引っかかる単語を聞いたような気がする。
「おい、ブレダ。大佐がどうしたって?」
「いや、だから飲みすぎたんじゃねえかって」
「違う。その後だ」
「はあ・・・?妊娠したわけじゃあるまいしなって冗談だよ」
「・・・・・・妊娠?!!」
一瞬の空白の後、ハボックの絶叫が部屋に響いた。



「うぎゃあ?!」
洗面場でひとりで顔を洗っていたロイは、突然後ろから声をかけられて変な声を上げた。
他人の気配には敏感なロイにそれとさとられず近づくような技を持っているのは、東方司令部には1人しかいない。
「大佐、大丈夫ですか」
その犯人は過剰なロイの反応にも、いつもの飄々とした調子で特に驚いた風でもなく問いかける。
「お前がおどかすからだろうが!」
「すんません」
頭を書くハボックをぐいぐいと押しのけてロイは廊下に出る。そのまま一緒に出てくるハボックを訝しげに見上げた。
「何だお前、トイレじゃないのか」
「いや、どうしても大佐に確認しなきゃいけないことがあるんですけど、その前に何か俺に言うことありません?」
「は?私が?何のことだ」
突然詰め寄ってくるハボックに何事かと思う。だが心当たりがないものはない。
先週ハボックには黙って女性と二人きりで食事に行ったが、ロイにしてみれば浮気のつもりでもなんでもない。というか悪いことだとすら思っていない。三日前に勝手にハボックの銃を弄ったことに関してはもう怒られ済だ。一度けじめをつければしつこい男ではない。勝手に冷蔵庫からビールのお供に買っていた高級チーズを食べたことはもう時候だろう。だいたい後日飲み屋で十分奢ってやった。
そして自分は何も悪いことをしていない(あくまでロイ比)という結論にロイが達したころ、ようやくハボックが口を開いた。
「・・・大佐、アンタもしかして・・・」
いつになく真剣な様子のハボックに、口元にハンカチを当てたままのロイは黙って続きの言葉を待つ。
「妊娠したんですか」
一瞬ふたりの間に、非常に息苦しい沈黙がおちた。
頭の回転に関しては人一倍、修羅場の数だって相当くぐってきたはずのロイを一撃で凍りつかせた言葉の威力は、ある意味偉大である。
「だっ、だっ、誰が妊娠したって?!」
「大佐」
どすっ
問答無用でロイの鉄槌がハボックの腹に繰り出される。
「・・・・・・いって〜〜〜〜!!!何するんですかっ」
「何と言いたいのはこっちだ!何をどうしたらそんなことになるんだっ。私は男だぞ?!」
「知ってますよっ。アンタの身体なんて隅から隅まで知り尽くしてます!」
「そういう下世話な言葉を使うな!」
「いや、でもマジな話。大丈夫なんですか?そんな照れなくたってできたんなら認知しますけど」
ぎろりとロイが睨む。
これ以上追求するとますますへそを曲げてしまいそうで、ハボックは大人しく降参のポーズだ。
「大体なんだってそういう話になるんだ。お前らしくもない」
「だって今日のアンタ絶対におかしいから・・・ケーキも食べないし、ヒューズ中佐に深刻な顔して電話してるし・・・俺はてっきり」
心当たりもあるし、なんてさらりと言うものだからロイは耳まで顔を赤く染めた。
日頃は滅多なことでは羞恥心を感じない鉄面皮なだけに、妙に新鮮で可愛いく見えてしまう。
ぷいと横を向いて言い訳をするみたいに口を尖らせる。
「ここ最近忙しくて食生活が不規則だったから、胃の調子が悪いだけだ」
思い返せば仕事が立て込んだので、夜にロイの家までご飯を作りにいくことがなかった。好き嫌いが多くあまり食生活に拘らないロイのことだから栄養剤やらお菓子やらでごまかそうと思ったのだろう。普段ならそれでも数日のことならば平気だが、ダイエット宣言中なのでお菓子を抜いていたのだ。胃が荒れるのは当然である。
「・・・俺が飯つくりに行かなかったからちゃんとご飯食べてなかったんですか」
「昼は食ってたぞ」
「自慢になりませんよ・・・まったく。心配させないでください」
「お前が勝手に早とちりしただけだろうが」
ふん、と不快そうにロイが鼻を鳴らす。
「子供が欲しいなら他をあたれ。いくら私が焔の錬金術師だからとて、子供だけは作れん」
「いりません」
間髪いれずハボックは答えた。
正直なところ子どもは好きだし、普通に女性と恋愛していればきっと普通に子供も欲しいと思っただろう。だけど、ロイを傷つけたくない。自分と正面を向いて恋愛をしている彼に、何ひとつとして負い目になんかして欲しくない。
それだけは、嘘偽りなく自分の中で正直な気持ちだからだ。
「子供なんか、いらない」
「・・・・・・」
「そりゃ普通に嫁さん貰って子供作って退役後は田舎でのんびりっていうのも素敵ですけど、アンタに惚れた地点で俺は選びました」
ハボックがゆっくりとロイの手を握る。
嬉しかった。
ハボックが仕方ないじゃなくて、選んだと言ってくれたこと。
この世にはどんなに願っても努力しても叶わないことが沢山ある。男同士ではどんなに愛し合っていたとしても生命はできなくて、だから神も同性愛を禁じてしまったように。
本来なら命を育むはずのハボックの精子は、命を宿すことのできないロイの中ではただ死んでいくしかないから。
けれど諦めたと言われてしまったら、それはとても悲しいことのような気がした。
「・・・子供、できるかどうか試してみるか?」
ハボックの指にキスしながら挑発すれば、ハボックはやや乱暴にロイの腕を取って他は誰も使用していない仮眠室へずんずんと進んだ。
扉の内側で愛してますと囁いて抱きしめる腕が、少しだけ震えていた。



一時間後、部屋を出て行ったきり戻ってこないふたりにホークアイが切れたのは説明するまでもない。
だが、今日も概ね平和な東方司令部である。

 

ありがちネタですいません。妊娠疑惑(笑)
ちなみに同性愛を禁止しているのはキリスト教ですが、アメストリスに宗教があるのかどうかは知らない上、禁止じゃないかもしれないんでそれは見逃してください・・・!
(05/3/3)
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