僕らは玩具の銃を手に。/7
どことなく気まずい雰囲気を拭えないまま、明後日にはもうロイは中央に帰る。何かの間違いでも起きない限り、彼と会うことも二度とない。
ロイに惹かれはじめていることを自覚しただけに、少しだけ残念な気もするが、多分これは旅の終わりにも似た貧乏くさい感傷が沸きあがっているだけで、それもきっとすぐに乾いて無くなってしまうのだろう。
今までずっとそうだった。彼と自分はまた別の道を行き、願うならば敵として出会うことがありませんようにと思うくらいで。
その日、いつも通りロイとホークアイをホテルに送り届けてから、護衛をはじめてここ数日行っていなかった下士官の溜まり場であるバーへと足を向けた。
足が遠のいていたのは疲れていたのもあったが、こんなところで時間を潰さなくても毎日が充実していたのもある。でもこの仕事が終われば、また自分は宙ぶらりんの便利屋に戻る。
そして恐らくまた戦場へ向かうだろう。かつて戦場から戻った自分がそう望んだとおりに生きるため。
本当に、そんなものを望んでいただろうか。
確かに今でも、軍の中で勢力争いをしたり出世のために自分を曲げようなんて気はさらさらない。
だけど、本当に欲しいものはそんなところになくても、どこか他の場所にあったんじゃないだろうか。
「ジャン、久し振りじゃねえか」
採光も風通しもまったく考えられていない薄暗い店内には紫煙が立ち込め、慣れない者はその匂いと煙にまずむせてしまうだろう。床も壁も澱んだ色をして、一目でここが健全な遊び場などではないということを知らせる。
こんな場所に通いなれるのは軍人か元軍人と相場は決まっていた。
「随分疲れた顔してるな。何だ、たまってんのかー?」
「お前がこないと賭けが盛り上がらないんだよ」
ハボックを見つけたこのバーの常連客が次々と声をかけてくる。
「あー、ちょっといろいろあってな」
適当に言葉を濁しながらテーブルの一角に席を取り、ウイスキーを注文して煙草に火をつけると、待ち構えていたかのように目の前に茶髪の、ハボックよりもひとまわりくらいは年齢の違う男が座った。
少し左足を引きずっているのは戦争で流れ弾に当たったからだ。
「よおハボック。お前が来るのを待ってたんだぜ。今日はこの間の負けを全部取り返してやるからな」
言いながらふたりの挟むテーブルの上にカードを置く。
途端周りにわっと人が集まり、狭い店の更に一角だけが異様な密度と熱を持った。
生憎今日はそんな気分ではない。
しまった、カウンターにするんだったと思いながら、手際よくカードはきられて仕方なくカードを手にする。
さっさと負けておしまいにしようとポケットから千センズ出したら、相手は本気なのか二万センズを賭けてきた。
「……悪いけど、今日は一ゲームしかやらないぜ」
「は、怖気づいたのかよ!」
「別にそうとってもらっても構わないけどな」
息を巻く相手のほうをハボックはちらりとも見ず、自分の手元にきたカードを一瞥した。
こんな会話をするふたりの周りに集まった人間も、どちらが勝つかもうひとつの賭けに昂じている。
プレイヤーのふたりは相手の表情や手札を予想して、はったりをかましながら相手の掛け金を吊り上げさせ、ギャラリーは駆け引きを見ながらどちらに張るかを見極める。
手軽だがスリリングなので下士官の間では人気の高いゲームだ。
昔から悪運と勘だけはいいので、ハボックはこの手の賭けには滅法強かった。
追い詰められれば追い詰められるほど、感覚が冴えてくるのだ。
こんな時のハボックの目は年齢にそぐわないほど鋭く、いつもは明るい空色の瞳がおそろしく深い海の底のような色に映る。ブロンドの髪はまるで手負いの獣の鬣のようだった。
相手は勝ちを確信したのか、もう一万センズを自らの掛け金に乗せる。
やれやれとため息を付きながらも、ハボックも更に千センズを上乗せして勝負に出た。
「これでどうだ!」
相手の手札が公開されて会場がどっと沸きあがる。もう勝負がついたかのような盛り上がり方だったが、表情を変えないハボックの手元に再び皆の注目が集まる。
一度溜息をついてから、テーブルの上にカードを投げ捨てた。
「悪いな、俺の勝ち」
掻っ攫うような鮮やかな勝利に場が一瞬静まり返り、すぐに先ほど以上の歓声に包まれた。
けれど戦争で生き延びるのも、カードゲームで勝つことも、多分ハボックにとっては暇つぶしでしかない。
行き交う金と歓声の只中にいても、それに我を見失うことも心を動かされることもない。
「もう一ゲームだ!」
納得がいかない相手は再び二万センズをテーブルに叩きつけた。
しかしハボックはひょいと口の端を動かして、煙草を銜えたまま突っぱねた。
「だから今日は一ゲームしかやらねえって言っただろ。それにこの前もそうやって結局負けが込んで終いにしたんじゃないか」
「若造が生意気言うんじゃねえ!!」
「あんたも元軍人ならゲームくらいでガタガタ言うなよ」
その後も男は憤慨して怒声を撒き散らしたが、ハボックは相手をするのも面倒になって欠伸をはじめたあたりで帰ってしまった。確か、覚えてろだとかそういう三流なことを言っていた気がする。
やっとゆっくり酒が飲めると思ったところに、今度は同僚の一人が横に座る。
ここにいる者は年齢こそばらばらだが階級は似たり寄ったりで、階級をかさにきて威張り散らすようなことはないので皆気安かった。
「久々に来たのにノリ悪いじゃん。そういえば最近射撃場でもあんまり見ないな。現場仕事してんの?」
「違う違う。こいつ、いま中央から来たマスタング中佐の護衛してるんだぜ」
「中央の士官の護衛?!マジかよ!」
カードゲームの盛り上がりの続きで、そのまま何人もが集まって噂話を頼りに話をはじめた。
「マスタングってあの焔の錬金術師だよな」
「焔の錬金術師っつったら、鉄血のグラン大佐と並ぶイシュヴァールの悪魔だろ」
「軍の最終兵器と言われた国家錬金術師の中でも、奴の破壊した土地には今でも草一本生えないって話だ」
「俺見たら、どっちかっていうと後ろで涼しい顔してる感じだけど、人は見かけによらないってな」
「俺らとたいして年変わらねえのに中佐だもんな。国家錬金術師のエリートは住む世界が違うよ」
どことなく荒んだ雰囲気はそれぞれが持っているが、それが湿っぽくないのは彼らは皆知っているからだ。
鳥が魚を羨ましく思わないように、余計な望みを抱かず自分の生きる世界での望みを叶える。
簡単なようでいてそれはとても難しい。けれど上を見ればきりがないし、そこに届こうとする努力はどこかへ置き忘れてしまったような人間ばかりだ。
それを捨てる勇気がないのならば、最初からこんな場に入り浸ったりしないだろう。
「マスタングってどんな奴なんだ?」
嫌な雲行きになってきたと退散しようと腰を浮かしたところへ、渦中の人の話を聞き出そうとひとりが乗り出してくる。引きずり込まれて、ハボックの手の中で空になったグラスの氷の溶ける音がからんと鳴った。
「どんなって……別に。角が生えてるわけでも目が三つあるわけでもねえし」
「何だよ。もっと気難しいとか怒りっぽいとかあるだろ。気に入らない部下のことはすぐに燃やすってホントか?」
「結構好奇心が強い人だった。でもそんな燃やすとかないだろ」
どうにも噂話のほうが先行しすぎで、いちいち答えるのもたいへんだった。うんざりとしながら答えも適当になってきたところだった。
「俺聞いたことあるんだけどさ、出世のために中央の将軍に足開いてるって噂じゃねえの?」
一瞬で意識が反応する。ハボックのかすかな変化などおかまいなしで、盛り上がりたいだけの男たちは好き勝手に話を続けた。
「あの顔だったらそれもアリだよな」
「なに、そんなに美形なんだ」
「美人っつーか可愛い感じ?すげー色とか白くてさ」
「ハボック。お前も頼んでみたら一回くらいヤらしてくれるかもしれないぜ」
「中佐の方が駄目だって。こいつとやったって何もいいことないだろ」
「でも男も一回やったらはまるらしいよ。満足させられるテクがあれば一回で案外めろめろかもしれないぜ」
どっとその場が沸き、げらげらと笑い声が響く。
誰も本気でそんなことを思っていたわけではないだろう。この程度の悪意のない中傷は瑣末な鬱憤を晴らすために日常的に行われているものだ。
ロイのことが話題になっているのもたまたまだろうし、酒の席での軽口を本気にするほうがどうかしている。
ただその時はどうしても許せないと思った。そんなくだらないもので彼を汚すのを。
どこかストイックさすら感じさせる姿に、イシュヴァール内乱での功績と出世スピード。
ハボックは軽く流していたが、その手の噂話はあとを立たない。
だけど、自分の手の届く場所だけでも守りたいと思うのだ。その尊厳に満ちた背中を。
「……うるせえ」
小さく呟いたその顔は、なまじ整っているだけに凶悪なまでに恐ろしく映った。
「―――っ?!」
派手に椅子のひっくり返る音がして、鈍い音が響く。考えるよりも早くハボックは目の前の男に殴りかかっていた。
空気が冷めたのは一瞬で、さきほどの賭けの時とは違う怒号と熱が一気に支配する。
「何するんだ、てめえ!」
「ハボック?!」
「おいよせって、ジャン!」
殴り返す者、ハボックを止める者、訳も分からず逃げる者、外野で囃し立てるうちに巻き込まれる者。
店はたちまち大混乱になったが、ハボックには何も聞こえてこなかった。
この感覚は覚えている。頭で忘れても身体が、心が。
しばらくして我に返ったときには怯えて縮こまる店員たちと、のびた同僚の中にひとりで立っていた。
まるで、戦場でたったひとり銃を撃ち続けた後みたいに。




翌朝出勤するなり、扉の前でロイが腕を組んで立っていた。
とてもロイに会う気分にはなれなかったので、ホテルまで迎えに行くのは他の人間に任せたのだが、ハボックがしでかしたことなど筒抜けなのだろう。
まだ今日はお呼びがかかっていないので無視して通り過ぎようとすると、道を遮るように踏み出してから新聞でも読み上げるような口調で昨夜の顛末を詳細に述べた。
「骨折による重傷者が二人、打撲などの軽傷者が六人、擦り傷切り傷、あの場にいた者ほぼ全て」
「………」
「若いものだな」
自分でも何をしているんだという気があったので、返す言葉もない。だが、自分の口から本当のことを言う気にはとてもなれなかった。
「とりあえずそのままではみっともない。入れ」
首を振って拒絶の意を表すと、しがみついて無理やり執務室の中へ引きずり込んだ。
仕方ないので言われるままソファに座って大人しくしていれば、ハボックのひざの上に乗り上げるようにロイが座って傷口にためらいもなく白い指を伸ばす。
何もかもが面倒で手当てもしていない状態だったので、ぴり、とまだ生々しい傷に痛みが走った。
「血気盛んなのも結構だが、お前の腕ではまともな喧嘩にならないだろう。そこまで我慢できないことでもあったのか?」
「………」
「言いたくないなら言わなくていい。私はお前の上官ではあるが、それも直属というわけでもないし、お前の考えまでどうこうする権利があるわけじゃない」
だからこれは忠告ではなく、私の独りよがりな願望だと前置きしてからハボックを見据えた。
こんなにも近くによったことはなかったなと、睫毛が数えられそうなほどの距離に何ものとも付かない息がこぼれる。
「お前は強くて頭もいい。それなりにどこでも誰とだってうまくやっていけるだろう。お前が望むのなら今のように将軍の気まぐれにつきあわなくたって、きちんとした部署で働くことだってできるはずだ。でも、くだらない上官にくだらない任務。毎日が鈍すぎて牙をむく先もない」
きつい言葉とは裏腹に口調はゆるやかで、責められているのか同情されているのかさっぱり分からない。
ロイも我を貫かずにもう少しうまくやれば、少なくともあの美人少尉の心労は減るだろうなと思ったが、それを口にするのをやめさせたのは諸刃の剣のような気がしたからだ。
頭のいい人だから分かっていないことはないのだろう。それでもゆずれない一線を守るために、あえて憎まれ役を買ってでもあんな振る舞いをしているのだろうとも。
ふいにロイが痛みに顔をしかめるような表情をして、でも一瞬でそれは姿を消した。
「だからこそ力の使いどころを間違えるな」
返す言葉がなくて黙ったままでいると、指で傷口を撫でていたロイは突然、舌で血を舐め取った。
紅い舌に紅い血の色が混ざる。癒すようなその仕草は、ハボックの内側にもっと別の情動をもたらした。
気付いていたけれど、認めたくなくて気付かないふりをしていた。
何故なのか、何に対してなのかも分からない。
ロイが離れていくのを捕まえるように肩を背もたれに押し付ける。間近で見える光彩に眩暈を覚える。
あまりに色が濃くて鮮やか過ぎるから、彼の目は暗く色が映らないのだと思った。
殆ど無意識のうちに唇を重ねあった。触れ合うだけの子供じみたキス。息が続かなくなって離れるまで、お互い意地のように目は閉じなかった。
無言のまま部屋を出て、その扉の向こう側がとてつもなく遠くに思えた。
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