視察は日程どおり順調に滞りなく進んだ。 士官学校では自ら教鞭をとって統率理論について講義までしたし、軍の武器庫を見に行ったときには警備の甘さを指摘して翌日には改定案まで作った。 その合間に執務室での仕事もこなし、お偉いさん方への挨拶にも行き、街で女性に声もかけるし、一体この身体のどこにそれだけのパワーがあるのだと思ってしまう。 しかし仕事中の彼はいつも別人のようだった。ハボックとふたりきりの時は甘えた子供のような顔を見せるくせに、他の人間の前にいるときの彼は完璧に中央司令部の中佐の顔だった。 だから仕事中にハボック軍曹、などと改まって呼ばれるとどこか反応が鈍ってしまう。 本当はその姿がいちばん正しいのだろうけど、ふとした気まぐれで触れてしまったことは、ハボックの中に得体の知れない苛立ちとかすかな期待を生んだ。 朝司令部についてからその一日のスケジュールを確認すると、中にぽっかりとあいた時間を見つけてハボックは何気なく尋ねてみた。 「今日はジェイガン将軍と昼食の後は時間がありますが、司令部に戻って仕事をされますか?」 「いや、行きたいところがある」 コートを脱ぎながらロイは粗末な机の上のファイルを指差した。取り上げて中を覗き込むと、見たこともない記号のようなものが雑然と並んでいる。 「街外れにある遺跡を見に行きたいんだ」 「遺跡?そんなもんありましたっけ」 「なんだ、お前ここに勤務しておきながら知らないのか?」 ロイが心底呆れた声を出す。 ハボックもまだ異動して二ヶ月ほどであるし、休みの日に街には出るが車もないのに郊外へわざわざ足を運ぶこともない。 しかしロイの意見は違うようで、いつ何時役に立つか分からないのでせめて己の住む町くらいは地理を理解しておけというものだった。 「もう何百年か昔のことになるが、この辺りに大地崇拝の洞窟神殿があるはずなんだが」 「もしかしてあの山のことっスか?それなら分かります。でもあんなところに何の用があるんですか」 「まあ言ってみれば知的好奇心だな」 横からロイがファイルを覗き込み、図形のひとつを指差した。 「ほら、これ覚えているか?先日逮捕した連中の中に、そっくりな紋様の刺青をしている奴がいたんだ」 「ああ。でもあいつらの身元の洗い出しは殆ど済んでるって聞きましたけど。出身も宗教も所属団体も」 念のためにロイに言っておくと、かたちの良い唇を引き上げて上目遣いに見上げる。 意地の悪い、けれどとても彼に似合っている表情。 「だから知的好奇心だって言っただろ?」 「ようするに、仕事外の業務なんスね」 「少尉の許可は取り付けてある。だが生憎私はノースシティの道は詳しくなくてね。誰か一人、この辺りの道を知っていて運転の上手な者を探しているところなんだ。ついでに護衛もできると助かるんだが。軍曹、そういう人間に心当たりないだろうか?」 「……ひとりだけよーく知ってますよ」 「ではすまないが、その人間に会食のあと私の所用に付き合うように伝えておいてくれ」 「Yes,ser」 言い終わってふたりで同時に吹き出す。 お互いにそれくらいの他愛ない時間を許せるくらいには、親しくなった自信もある。 たとえばロイのことを好きか嫌いかと聞かれたら、純粋な好悪の感情だけならばためらいなくすきと答えるだろうというくらいには。 それでもハボックには手放しに彼を信用することはできない。 一年前にあの情景の中にいたふたりが、何の隔たりもなしにこんな穏やかなものを共有できるなんて、自分の生んだ都合のいい幻想かもしれないじゃないか。 司令部の一室でロイが将軍との会食をしている間、ハボックは射撃場で一心に銃を撃ち続けた。 そうでもしないと落ち付いていられそうにもなかったのだ。 二時間もした後、ロイは司令部のことはホークアイに任せて、午前中に約束した場所へ向かうためにハボックの元へやってきた。 視界にロイが入ってきたので気が付いたが、ハボックはそのまま引き金を引き続け、最終的に的の頭部は綺麗に吹っ飛んでいた。 今回はロイは何も言わず、ただ行くぞとひとことだけ声をかけた。 いやに事務的な声で、ハボックはまだ自分の手にある彼の銃のことを思った。 それから車を飛ばすこと一時間。地図上にも定かではない周りに人家のひとつもない淋しげな道を進んだ先に目的地はあった。 「何か、立ち入り禁止って書かれてますけど」 「ああ。北部で問題があったときのために、とりあえず軍が統治下に置いているだけの場所だ。問題ない」 「……あんた最初っから俺に悪事の片棒を担がせる気でしたね?」 「人聞きが悪いな。お前を信用しているということさ」 悪戯にひっかかったような気分を味わいながらも、さして悔しくも思っていない自分に気が付く。 ロイの我侭や傍若無人さに腹が立たないわけではないのだが、どこか憎めないのは、ロイ自身に陥れようだとかいう類の後ろ暗さがないからだ。 無意識の甘えに狡いと思う反面、その奔放さに憧れもやまない。それは、いとしさにも似たもの。 「先に降りないで下さいよ」 「分かってる」 ロイはすぐ先に降りようとするのだが、初日にホークアイに扉の開閉時に最も危険が多いので注意するようにと厳しく言いつけられているので、周りに気を配りながら慎重に車から降ろす。 更に洞窟に入るためにコートとランタンを準備していると、今度はロイが先に中に入ろうとするので、俺から離れないでくださいと声を張り上げた。 確信犯なら一発殴ってやりたいところだが、ロイはハボックを困らせたいわけでもまして興味を引きたいわけでもなく、子供のように自分の興味に忠実なだけなので小言を言ったところでまるで直らない。 そもそも矯正できるものならホークアイがとっくにしているだろう。 「ほらちゃんとコート着て。念のために発火布も持ってますね?すぐ明り用意しますから不用意に入らないで下さいよ」 「見た目に似合わず神経質だな」 「見た目に似合わずは余計です。あんたは変なところで男らしいというか大雑把ですね」 「大胆さは私の専売特許なんだ」 横を向いてつんとしながらもどこか得意そうな口調に、呆れるというよりもお手上げだと思った。 駄目だ、絆されてしまいそうになる。 冷静に立ち返ればこんな破滅的な人間と思うのに、向き合うたびにかき乱されてますますロイのことが頭から離れなくなる。まるで恋でもしているような気にもなるがそんな上等なもののはずがなく、錯覚するほど畏敬の念を抱いているというのでもない。 ハボックにとってロイと出会うまで他の誰もその位置にいたことがなかったので、どう距離を取ればいいのか整理がつかない。 頭の隅にかすむ靄のような感情を振り払おうと、煙草に火をつけるためにライターを手にしたら、伸びてきた手に煙草をぱっと掠め取られる。 「…っぶねえ、ちょっと、何するんですか!」 「こんな密閉空間で火を使う馬鹿者がいるか」 「えー」 「可燃性のガスが溜まっていたら一気に大爆発を引き起こすぞ」 「でもここ、昔は神殿だったって言ったじゃないですか」 「昔の話だろうが。何年か前に軍の調査が入ったらしいが、人が暮らしていた形跡はあるものの肝心な祭壇が見つからなかったとかで、もう何年も人の出入りがないんだ」 それであの立ち入り禁止かと納得いくが、そんな場所へわざわざ足を運ぶロイはとんだ物好きだと思うし、つきあう自分も大概だ。 じゃり、とたまに石を踏みつけながら、入り口からかすかに射す光以外に採光がない道を奥へ奥へと進む。洞窟の中は湿っぽくて嫌な空気が肌を刺した。 「なんでこんなところに神殿を作ったんでしょうね」 何気ない疑問を口に出せば、ロイは科学者らしい真剣な眼差しで壁を見ながら、その問にひとつの解答を導く。 「かつてこの国では太陽信仰が盛んだったから、迫害を逃れてやってきた人間が作ったのが最初だろうな。そのうち一部の過激な人間が極端な大地信仰を推し進めた結果、太陽を否定することになって滅びてしまったのだろうが」 「太陽と大地が喧嘩だなんて、俺の故郷では考えられないっスよ」 「そうなのか?」 「だって作物をつくるのは大地で、実りをもたらすのは太陽でしょ?どっちか一つだけなんておかしくないですか」 「なるほど。確かにその通りだ」 ロイは感心したように頷く。 こんな陽の当たらない場所で、どんな想いで神に縋ったのだろう。 どこかで見たことがあると思ったら、このモノトーンな空間はハボックにとってとても近しいものだったからだ。 夜の間を抜けるように生きていた日々。そして今も。 自分の見る夢には色がない。 くすみのないまっさらな青空、夏には一面の青い絨毯となり秋には金色の実りとなる畑、脳の芯まで焼けつくようなあの日の夕焼け。 目を閉じれば昨日のことのように思い出せるのに、指の隙間から色だけ零れ落ちたみたいにひと時の夢の中では遠かった。 物理的な距離でも流れた時間でもなく、気持ちだけがどうしようもないほどに離れていた。 こころのどこかが何か違うものに生まれ変わってしまったように。 そんなちょっとした気の緩みが招いてしまう惨事を知っていたはずなのに、ふと前を行くロイの影が揺らいだのをハボックは見逃してしまった。 「っ?!」 「中佐っ!」 まるでスローモーションの映像でも見ているように、ハボックの目の前でゆっくりとロイの足元の床が崩れた。 咄嗟にロイに向かって手を伸ばす。しかし視界も足元も悪い中踏ん張りきれず、そのまま雪崩れ込むように仲良く滑り落ちてしまった。 「あいてて……」 肩をさすりながら上体を起こした。手と足を動かしてみて異常がないことを確かめる。 幸い一段へり出した部分に落ち込んだので、打身と擦り傷を負った程度で済んだらしい。手首を掴んだままのロイをそのまま引き寄せる。 「いたっ……」 「中佐、どこか怪我したんスか!」 「違う、お前の馬鹿力が痛いんだ!」 「……それは失礼しました。おどかさんでくださいよ」 「驚いたのはこっちだ!」 手探りでロイの身体を検分するが、特に痛む場所も怪我もなさそうでほっと胸を撫で下ろす。 わずかな灯りでも問題なく動けるように訓練は積んでいるが、目が暗闇に慣れるまでじっとしていたほうがよさそうだ。ランタンは手を伸ばしたときに落としてしまったので、おそらく上で割れて引っくり返っていることだろう。 「危ないから俺から手を離さないで下さいね」 「分かっている」 ハボックはともかくロイもこの事態にさして慌てていないようで、片手を繋いだままその場に座り込んでいると、お互いの息遣いが聞こえ、鼓動までも伝わるのではないかと思った。 何か話でもすればいいのに、何を話したらいいのか思考は無駄に巡るばかり。 そのまましばらくするとロイがもぞもぞと動き出した。 「ハボック、ライターを貸せ」 「え、さっき使うなって言ったじゃないですか」 「いいから!」 見えないが重みのかかり方で彼がこちらへ乗り出していることが分かった。 胸ポケットからライターを取り出して渡すとぼんやりと頼りない炎が指先から立ち上がる。小さな焔の前にロイはよりいっそう白く見えた。 「ハボック、見ろ」 そう言ってロイが照らした壁には、ロイが執務室で見せたものと同じような図形がびっしりと彫られていた。 「中佐、これ……」 「通りで今まで祭壇が見つからなかったわけだ。ここは死に逝くものが祈りを捧げる場所だったらしい」 「死に逝くもの…?」 「動くな。周りは骨だらけだぞ」 「ええっ?!」 確かにさっきよりも空気は湿っぽく、やけに地面がざらつくとは思っていたがまさかという感覚のほうが強い。 だがこの場でロイがいらぬ冗談をいうとも考えにくい。 「もはや死ぬ定めにある者しかここには来られなかったんだ。最期に信仰の忠実な証として光の入らない場所で神に祈りながら死ぬ。ここは彼らの祭壇であると同時に墓場だったんだな」 「でも逆に言うと、ここに来たら生きては戻れないってことじゃないんですか?」 「まあそうかもしれんな」 冷静な声とは裏腹にちょっと物騒な話である。そんなに距離がないとはいえ、普通の人間がよじ登れるような岩壁じゃない。 「悪いが私は何も持ってないぞ」 人の悪い声でロイが言う。暗さのせいで表情までは読み取れないが少なくとも困った顔はしていなさそうだ。 「あんた、こういう事体はまったく想定してなかったんですか」 「してたとも。そのためにお前をつれて来たんじゃないか」 「ったく……」 溜息をつきながらもロイが何か秘策を持っているとも思えない。 パニックにならないのはひとえに経験と、少しくらい自惚れてもいいのならハボックの腕を見込んでいるからだろう。 立ち上がって落ちてきたと思しき場所をぐるりを見上げる。視界は大分悪いが、ハボックひとりが動くくらいなら問題なさそうだった。 ポケットから登攀用に使う特殊なグローブを取り出す。 「中佐、コート貸して下さい」 「うむ」 「ロープがないんで上から引き上げるのは無理です。かといってあんたひとりじゃここは登れませんね。俺がひとまず登って出てから助けを呼んでくるってのもありなんですが」 「却下だ。少尉にばれたらまずい」 「だと思いました。なんでちょっと危険ですけど、このコートで俺とあんたを縛ります。死んだふりして大人しくしていてください」 「……大の男ひとり背負って登れるのか?」 「俺、体力には自信があります。きついことには変わりないでしょうけどそんなに高さはなさそうですし、他の方法を考えるよりも多分いちばん楽です。」 「なら任せる」 言うなりさっさとコートを脱いで渡す。長さがあればそれこそおんぶ紐のように結べるほうがいいに決まっているのだが、足りないので胴を縛っておんぶをするように腕を肩に掴ませる。 足場を確認して上る前に思いついて一応釘をさしておいた。 不安はないが、ハボックにしたって無事にここを出る確証があるわけじゃない。 「何かあっても恨まんでくださいよ」 「分かっている。だが、お前は失敗しないだろう?」 「あっさり言ってくれますね」 「お前の腕は信じているつもりだよ、これでも」 首筋にかかった吐息を振り払うようにハボックはそのまま黙ってよじ登り始めた。はじめはよかったがさすがに余計な体重がかかる上、重力にも引っ張られるため腕がしびれそうになるが耐えた。 どんな責任を負わされたわけでもないけれど、目の前のひとつひとつをクリアしていくことが大切なのであって、ものごとを損得で計算したり結果を考えてひるんだり、泥をかぶることを恐れて投げ出したりしたくなかったのだ。 それだけが特殊部隊の中で得た誇りだった。 ハボックは順調に上り進めたがあと少しでたどり着くというところで、しっかりと結んでいたコートは不安定な振動についに耐えかね、緩むのと同時にぐらりとロイの身体が宙に浮いた。 コートは舞い落ちる羽のようにさきほどまでいた底のほうへ落ちてゆき、ロイは何かすがるものへと咄嗟に手を伸ばして、何とか首筋にしがみ付く。 かわいらしい女性などではなく、成人男子一人分の渾身の力が首にかかったので一瞬呼吸ができなかったが、最後は這うようにして最初にくずれたところまで半分身体を乗り上げた。 ロイを引き上げるために片手で抱き込むように引き寄せる。 そのとき弾みでしがみ付かれていた首筋で、きん、とかすかな金属音がして、手を伸ばす間もなくハボックのドッグタグはみるみる内に闇の中に消えてしまった。 戦場で影も形もないような死に方をしても身元が分かるようにと着けることが義務付けられているが、自分自身の一部のようにお守りのようにしている人間も多い。 これを身に着けなくていいようになるのは、死んだときだからだ。 しかしそんなものを気にしている状況でもなく、なんとか這い上がってふたりで荒い息をついた。 体力的な疲れもあるが緊張に一瞬上がった鼓動を落ち着けようと深く息を吐く。 しばらくしてロイが少し離れた位置から暗闇の中を覗き込むが、ドッグタグはきらりとも光らない。 「すまなかった」 「別に構いません。単に習慣だったから着けていただけで、ただの金属に俺の何かが宿ってるなんて思っちゃいませんから」 あまりにあっさりと応えるので、かえってロイはハボックの内に暗い陰りを見た。 まだ二十歳になったばかりの青年がたったひとりで抱え込むには多すぎるものが陽炎のように纏わりついて。 同情や哀れみよりかは、締め付けるような痛みに耐えかねて口から本音が出た。 「お前の銃は、人を殺すための銃だよ」 「………」 「知りたかったんだろう?」 低く呟くと、ハボックの顔に乾いた笑みが浮かんだ。 「ええ。自分でも何となく分かってました。結局俺は戦場でしか力を使いようがないみたいですから」 冷静に答えながら、打ちのめされたような気分になった。 他の誰に言われても世界中の人間にそう思われてもいいと思っていたのに、どうしてかロイにだけはそう思われたくなかったのだと今更気付いて、自分の甘さにほとほと呆れる。 でも、もうロイと過ごす時間はそう長くはない。今は小さな傷となってもいつかお互いに忘れるだろう。 だからこそ尚更、執着心など口に出せるはずもなかった。 |
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