僕らは玩具の銃を手に。/5
それからぐずるロイをやっとのことで引き剥がして執務室まで送り届けたら、廊下で何やら急ぎ足のホークアイと出会った。
「ハボック軍曹、丁度いいところで会ったわ。マスタング中佐を見かけなかった?さっき執務室から勝手に出て行ってしまわれたみたいなの」
「中佐ならさっき中庭で会ったんで、部屋に戻しておきましたよ」
ハボックのその言葉にホークアイはため息をつきながらも、安堵した表情を見せた。しかしすぐにまたいつもの厳しい表情に戻り、ハボックの軍服の下に隠れている包帯のあたりに目をやった。
「あれから腕の怪我はどうですか」
「こんなの大したことないですよ。肩外したりしちまったら後から癖になるんで困りますけど、これくらいの傷ならしょっちゅうですから」
ぶんぶんと腕を振ってみせる。本当は銃弾にあたるような怪我は久しくしていなかったが、それはハボックの注意不足ではあってもロイのせいではない。
「中佐を守ってくれて有難う。私からもお礼を言わせてもらいます」
「これは俺のミスですよ。それに、中佐が殆どやっちゃったようなもんですし」
タイプではないにしろ、美人を困らせるのは趣味じゃないのでつとめて明るく振舞えば、一瞬驚いたような表情をしてから強い口調で一歩ハボックとの距離を縮めた。
咄嗟に身構えてしまうのはもう染み付いてしまった習性だ。
「あなたは平気?」
「何がですか?」
「中佐の焔を見たのでしょう」
まるで彼のために存在するような眩しい輝き。その凛とした美しさはとてもロイに似合っていると思った。
しかしこの様子だと、どうもそんな感想を求めているわけではないらしい。けれどハボックにはホークアイの意図は読めない。
「凄いですね、錬金術って。俺見たことなかったから感動しましたよ」
当り障り、がどういう解答になるかと思いながら、感じたままに返せば、ホークアイが黙ってしまったので何かまずいことを言ってしまっただろうかと思う。
「……あなたは不思議な人ね」
結局ホークアイはそうひとことだけ言った。基本的に表情の乏しい彼女の本心が実際どうなのかまでは読みとれなかったが、少なくとも気分を害したわけではなさそうだったので気に止めないことにした。
「それにしても驚いたわ」
「?」
「マスタング中佐はああ見えても人見知りが激しい方なのよ。先日東部に視察に行った時は、護衛の人間も二日でいなくなってしまったし」
「そうなんスか」
「それなのに貴方とふたりで視察に出られるなんて」
ホークアイの言葉はいつもロイへと向けられている。
心無い中傷や批判に彼が傷ついたりしないようにという配慮に満ちていて、それはどれだけ多く彼がそんなものに囲まれているかを思い知らされる。
ロイは警戒心が強く隙のない男だが、危険を顧みない無鉄砲さもところどころに潜んでいる。
それをたったひとりで守っているのだろう。女の細腕と舐めてかかるには彼女の言葉や立ち振る舞いには、男のそれよりも強い意志が通っていてそうはさせない厳しさがあった。
上司と部下以上にふたりがどういう関係なのかハボックには知る由もないが、ホークアイがどれほどロイを大事にし、すべてを捧げているのかはほんの少しのつきあいのハボックにだって分かる。
「子供みたいで困るけれど、目を離すと本当にすぐどこかへ行ってしまうの。でも貴方がいてくれて、少しは安心できます」
薄い化粧を施しただけの顔で、柔らかく微笑む。そこには男のような厳しさも女らしい優しさも凝縮されていて、ハボックは生まれて初めて他人を羨ましいと思った。
諦めるよりも最初に興味すら抱かなかった自分に、はじめて芽生えた感情だった。
踵を返して立ち去ろうとするホークアイの背中に、ハボックは思い切って声をかけた。ロイに与えられた謎賭けの答えを探すために。
「少尉は何のためにその引き金を引くんですか」
ホークアイはほんの少しもためらわずに、自分の手を見た。
女性らしくきちんと整えられた爪と、銃を握るものにできる胼胝のある指のアンバランスさは、これまで付き合ってきた何人かの女の子たちのように綺麗ではなかったけれど、とても尊いもののように見えた。
「護るべきひとりのためによ」
こちらを振り返ることなくそのまま静かに遠ざかる背中を見つめながら、ハボックは必要とされたいと思った。
それは苦しむ病人のもとに医者が行くようなこと、学校に通えない子供たちに文字を教えるようなこと、道で倒れた人にそっと手を差し伸べるようなこと。
当たり前の顔をして誰かのために生きること。



「おはようございます、マスタング中佐」
朝いつものようにハボックが扉をノックした。普段ならもう着替えを済ませて出るだけになっているのだが、今日はある理由からまだシャツを着たままの姿でとりあえず入れと招き入れる。
一応上官の私室に入ることに人並みの躊躇いは覚えたようだが、こんなだらしない格好のまま扉で押し問答をするほうが問題だ。
「寝坊でもしたんですか」
朝っぱらからの銜え煙草で人の部屋に入る無礼に文句をいう暇もなく、ロイは一気にまくし立てた。
「違う。シャツのボタンが取れた。着替えを全てクリーニングに出していてこれ以上替えがないんだ。悪いがロビーまで取りに行ってくれないか?」
「いいですけど、わざわざ今取りに行かなくたってボタンくらい付けたらいいじゃないですか」
「どうやって?」
「……針と糸以外何を使うんですか」
「ああ、なるほど」
からかったつもりはまったくなかったのだが、ハボックは呆れたような目を向けてくる。
「アンタ錬金術とか考えたんじゃないでしょうね」
「構築式さえ完璧なら、一瞬で人間の指なんぞより綺麗に元通りになるじゃないか」
「もういいです」
何でそんなに偉そうなんだろうと今更なことを考えながら、ハボックは備え付けのクローゼットの引き出しを漁ってみた。
長期滞在者を見込んだホテルには、探していたものがちゃんと備え付けられており、取り出してロイにはベッドに座るように言う。
「すぐやるんでアンタはそのままじっとしててください」
銜えていた煙草を、使わないので端っこに追いやっていた灰皿に押し付けると、長い足を折り曲げて足元に跪き、裁縫道具から針と糸を取り出した。
ためらいもなくするりと糸は針の穴を通り、ロイの肌を傷つけないように慎重に一針目がボタンに突き刺さる。
男の節の張った無骨な指なのに、何か別の生き物のようにするすると動く。
「器用だな、お前」
心底感心して誉めれば、この程度のことでというような照れが混じるのか、言い訳のように返事をする。
「家が商売してたんで小さい頃から一通りは仕込まれてるんです。それに男のひとり暮らしだって何年もしてれば、これくらいはできるようになりますよ」
「お前は今何歳なのだ?」
「二十歳っス。そろそろ二十一になりますけどね」
「……私も、ひとり暮らしだが」
しかも、士官学校を出てからかれこれ七年も経っている。
「はは。そりゃ中佐くらいになれば世話を焼いてくれる女もいるでしょ」
「うーん……でも、家には上げたことがないからな」
「そうなんですか?じゃあ掃除洗濯は中佐ご自身で?」
「いや。家のことはハウスキーパーに任せきりだ。まあろくに家にも帰らないし」
ロイが何気なく口にした言葉をどう取ったのか、ハボックはそのまま黙ってしまった。
他人の言動を気にするようなタイプではないくせに、この青年は人一倍感受性が豊かと言うか他人の気持ちに敏感だ。
結局それ以上はその話題に触れず、ハボックが黙々と針を動かすのをただ目で追うだけだった。
この間中庭で出会ったときにロイの髪に触れたのもこの同じ指だ。
当たり前だが女性のような可愛らしさも繊細さも感じられないが、壊れものでも触るように最初はおっかなびっくりといった様子で、でもいつまでも優しく撫でていた。
あんな風にされると、たいせつにされているみたいに錯角をしてしまう。
気を許してはいけない。ここにはホークアイ以外の誰も自分には信頼できる味方なんていない。
だけど、ハボックのあの蒼い瞳。あれはかつて南部で一度出会った。
「はい、おしまい」
針を何度か行ったり来たりさせて、最後に糸を引きちぎるとロイのシャツには元通りボタンがついていた。
ぽん、と上からかるく押されて思考を止めた。
「有難う、助かった」
「これくらいでよかったらいつでもやりますんで」
「では、今度からボタンが取れたらお前のところに送ることにしよう」
「お礼は煙草一カートンでいいっすよ」
「馬鹿、一パックで我慢しろ」
そんな軽口を叩きながら上着を羽織って身支度を整える。
ハボックは遠慮もなしにまた煙草を銜えてのんびりと待っていた。
もう急かしてもいい時間なのに、犬が寛いでいるかのような風情で、いつも何かに追われるように目まぐるしい生活を余儀なくされるロイには、この穏やかさはどうにもくすぐったいような落ち着かない気分になる。
彼は誰にでも優しくて、その逆すべての人間に冷たくできるだろう。
いつもは明るい瞳の色が、ふと氷のように見えるのは鈍い勘違いなのだろうかと思う瞬間がある。
先日巻き込まれた事件の際、彼が手の中に隠し持っていたものをロイは知っている。
たった今シャツにボタンを縫いつけた男の手があんな危険なものを構えて、そして人の目を潰そうとしていたのだ。
もしも使うようなことになりそうだったら自分の手でカタをつけるしかないと思っていたが、まったくの死角になっていた場所からの狙撃から助けられ、その上隙をついて彼は三人を伸してしまった。
ホークアイに厳しく言いつけられていたので、使うつもりのなかった錬金術を披露することになったのは計算外だったが。
それでも彼は焔練成を目の当たりにしておきながら、間抜けとしかいいようのないコメントをするだけで、嫌悪も恐怖も抱いていないようだった。
この焔を見て動じなかったのは四人目だ。ひとりめは誰よりもロイの才能をいち早く見抜いて導いてくれた師匠、二人めは付き合いも十年目になる大親友、三人めは厳しくも優しい美しい狙撃手。
普段ぼんやりとしている青年が、引き金を握るときに鋭い牙をもった生き物に変わるギャップは面白いといえば面白いが、その尋常ではない密度での変化に対する野蛮さは、とても日常生活に対応できるとは思えない。
だからといって自分にどうこうする力があるはずもなく、あの昏い目をもう一度目にした時が終わりだと思いながら。
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