僕らは玩具の銃を手に。/4
ハボックが問題児なら、ロイ・マスタング中佐という中央司令部のエリート佐官である男は、超が三つほど付く問題児で変わり者だった。
軍に所属していれば彼の噂には事欠かない。総じて軍人は噂好きな生き物である。
曰く、昇進の最年少記録を塗り替えるエリートという納得できるものから、無類の女好きでたらし、昇進のためなら赤子ですら喜んで殺すという軍人にありがちな悪口、身長二メートルの怪力、実は女である、絶世の美形だの見るもおぞましい醜男だの訳の分からないものまでとりあえず聞けば聞くほど実態がつかめない。
ただ、彼の名前すら知らなかったハボックでも知っていたことが一つだけあった。
『焔の錬金術師』
国家錬金術師である彼の二つ名だ。
家族に軍人もなく土地も運良く戦火に巻き込まれなかったハボックは普通のハイスクールに通っていたので、未来の幹部候補の通う士官学校で戦史を学んだものにくらべればその手の知識も少ないが、軍養成所で学ぶ教養でも彼の二つ名は習うのだ。
表向きにはイシュヴァール内乱で多くの敵を葬った英雄。
しかし言外に、軍には一晩で街を焼き尽くすことのできる悪魔がいるということを。
焔の英雄、焔の悪魔。背中合わせのふたつの呼び名。
軍が彼を手元に置きたがる理由も、恐れる理由も、すべてはその焔に所以するのだ。
けれどハボックはその言葉に恐れを抱くよりも、憧れにも似た不思議な昂揚を覚えた。
今、あの時のような気持ちになってる。




改めて目の当たりにするとロイの焔は想像以上の凄まじさで、これは上層部が警戒するわけだと納得もいく。
テロリストたちがたとえ遠く離れた中央の士官とはいえ、ロイの噂を聞いて警戒するのも頷ける。
あの場で出くわしたテロリストは北方で活動する宗教系の過激派グループの一員ということが、あとになって分かった。ハボックに撃たれた者を含めて死者四名、重傷者三名、軽傷者十余名。
ロイの焔は見た目よりずっと力をセーブしていたようで、一週間もすれば取調べに応じられるということだった。
「どーぞ」
はじめに怪我をした利き手の手当てを受けてから簡単な事情聴取と状況説明が終わり、司令部に戻ってからこちらにいる間だけ借り受けている仮の執務室で仕事を始めたロイに、時間が空いてしまったハボックは自分の休憩がてらコーヒーを淹れて持って行った。
要人の執務室に出入りすることなどないので、ついいつもの調子でノックもせずに入ってしまい、一応咎められはしたがコーヒーを目の前にすると、ロイはまるで始めて見る飲み物のようにティーカップをまじまじと眺め、きょとんとした様子で傍らのハボックを見上げた。
襟元からは無防備な白い喉が覗く。首から顎にかけてのすんなりと伸びたラインは綺麗な曲線を描いて、触るとどんな感触がするのだろうと、一瞬手を伸ばしてしまいそうになった。
何だ、今のは。
手を上げかけたところで我に返るというよりも、ぎょっとして自分の中で無意識に湧き上がった感想に驚く。
たしかに顔はいい。けれどぱっと見る限り女らしさは見受けられないれっきとした男性で、下には多分自分と同じものがついている。女性の趣味にあまりこだわりはないとはいえ、少なくともそういう趣味はない。
ハボックが内心動揺しているのに気付いていない様子で、ロイはティーカップに小さく呟いた。
「北方司令部では護衛がお茶汲み係までするのか?」
なるほど、中央のエリートらしい疑問である。
「別にそういう決まりはありませんけど、ここは事務員の人数も切り詰めてるんで飲み物はセルフサービスです」
「そうなのか……面倒だな」
溜息をつきながら、それでもカップに手を伸ばして口へと運んだ。
さくら色の唇も自分や他の同僚たちとは違い、いかにも育ちがいい感じでつい目がいってしまう。
「……っつ…っ!」
出されてすぐに口をつけたコーヒーは熱く、舌を火傷してしまったのかロイは涙目になった。
中央の切れ者という噂よりも随分子供っぽいのに若干呆れつつも、世話焼きな性分なのか見ているとついつい手を出してしまう。
すぐさま水差しから水を汲んでその口もとへ差し出すと、雛鳥のようにハボックの手から直接水を口に含んだ。
「焔の錬金術師の癖に猫舌なんですね」
猫みたいだ。水が嫌いなのに魚がすき、熱いのが苦手なくせに誰よりも焔を操るのが得意。
「やかましい」
「次からは少し冷ましてから出しますよ」
馬鹿にされたと思ったのか口を尖らす様子は可愛らしく、ますます軍人に見えない。
これが敵は勿論のこと、味方にすら恐怖させた人間兵器なのだろうか。
実際に何もないところから焔を練成する姿を目の前にしたにも関わらず、あのロイといま目の前にいる人物がどうにも重ならない。
「煙草、いいっスか?」
「好きにしろ」
「じゃ、遠慮なく」
一応気をつかって執務室に入るときと車の中では煙草を控えていたのだが、外では銜えっぱなしだし何よりもう体臭として染み付いているその香りに、ヘビースモーカーであることなどバレバレだったのだろう。
そこら辺に灰皿がある、と棚の上を指差して、将軍閣下のところへ行くときは煩いから気をつけろよとだけ言った。
爆発現場では当然煙草など吸えないし、事情聴取の間も当然煙草は吸えない。
食事と風呂と寝る時以外はほぼ一日中銜えっ放しなので、数時間ぶりの紫煙は肺に染み渡った。
ロイはさきほど舌を火傷したコーヒーに息を吹きかけて、冷ましながら少しずつ嚥下する。
こく、と小さな顎が動く様子も猫みたいだと思った。
「そう言えばさっき、ようやく中佐の言ったことの意味が分かりましたよ」
「……錬金術のことか?」
「はい。確かに銃よりもよっぽど強力みたいですね」
銃の腕前がいかほどかは見たことがないので何とも言えないが、錬金術なら弾切れも弾詰まりの心配もないし銃よりも確実に彼の身を守ってくれるだろう。
「でも何であれ、爆弾に引火して暴発しなかったんですか?」
「私の錬金術は正確には焔を起こしているわけではない。特殊な手袋で火花を起こしてその周りの空気を調整して焔を操っているんだ。だから火が広がらないように周囲の酸素をなくしただけのことだ」
「凄いんですね、錬金術って」
感嘆の声をあげるハボックにロイは曖昧な笑みを返した。
彼のことなのでてっきり錬金術の話を自慢げに語るかと思いきや、誤魔化すように中央ほどではないがここのコーヒーもまあまあだな、とコーヒーを飲みながらハボックが書いた調書をぱらぱらとめくった。
しかし途中で一旦手を止め、神妙な表情でこちらを見つめてきた。
「どうかしました?」
「お前どうしてあの場で、他に人質がいないと思った?」
「あの場?」
「爆発現場に飛び込んだときのことだ」
現場に飛び込むなりハボックは声をあげた。今回の場合、結果的に問題はなかったが、人質や別の場所に共犯者がいた場合など、状況によっては非常に好ましくない結果を招いた可能性もある。
しかしロイを含めて普通の軍人ならば、あの状況から瞬時に情報を選り分けて判断を下すのは難しい。
訓練である程度は身に付くようになるが、どうしても超えられない一線と言うのは必ず出てくる。
それは努力すればするだけ強く。
それを軽々と飛び越えてしまうのを、才能のひとことですましていいのかは分からないが。
ずっと気にかかっていたのだろう。挑むような眼差しで、ファイルを握る手に力が入っていた。
「どうしてって言われても非常に困るところなんですが……俺があそこまでたどり着くのに十分はかかってません。それなのにもう周りから殆ど人がいなかったってことは、最初から人通りの少ないとこを選んだんだと思ったんです。だとしたら無差別テロの可能性は極めて低くなる」
「走っているときにそこまで計算していたのか?」
そう問い詰められると返事に窮してしまう。深い理由があったわけではないのだ。
ただあの場を見た途端、すべきことが勝手にハボックを動かしただけで。
今までも何度かこういうことはあった。
ハボックは超能力者でも何でもないが、それは気まぐれにやってきて自分を危険から救った。
強いて言うなら極限状態を生き延びる中で身につけた、危機感知能力とでも言うのだろうか。
謙遜なしに他人に自慢できる能力でもないのだが、ハボック自身は当てにはしていないが信用はしている。
それでも人間は少しでも己を違うところのあるものを排除したがる傾向にある。
まったく無意識のうちに働く勘を気味が悪いといい、最悪なパターンとしてはスパイと疑われたことまであった。
錬金術のように理論のあるものではないのが余計にそれを際立たせる。
しかしロイはそんなハボックを目の前にして、不快そうな顔をすることはなくふと視線を和らげて、ただひとことだけこう言った。
「面白いな」
もっともその胸の内には自らに向けられた言葉に対する感情も若干含まれてはいたのかもしれない。
化け物だとか人間兵器だとか、イシュヴァール内乱で武勲をたてて英雄と叫ばれる裏側で。
「お手柄だったと、憲兵が誉めていたぞ」
「そうですか。まあ、中佐から見ればまだまだなんでしょうけど」
「誰がそんなことを言った?お前の銃の腕は優秀だよ。あの状況であれだけ撃てるものなど、士官学校で正規の教育を受けた人間でもそうはいないからな」
「そうなんスか?」
「まあ、我流すぎて問題がないとは言わないが、結局軍人など現場で生き残ったものの勝ちだからな」
そこまで聞かされて悪い気はしないのだが、何かがしっくりしない。
腑に落ちないのはロイはハボックの戦闘能力を、思った以上にかってくれているらしいという点だ。身体能力も勘も銃の腕も。
「じゃあどうして、あの銃を寄越したんですか」
「……それは、自分で考えろ」
それっきりロイは黙って仕事を再開してしまい、それ以上問い詰めることもできないハボックは、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。




結局その一件がきっかけで、ロイはこちらが戸惑ってしまいそうになるほどハボックに心を許すようになった。
ホークアイがいなくても気軽にハボックを伴うようになり、ハボックも自分でも意外だったというべきか、最初の頃にあった危惧もどこかへロイの護衛に馴染んできていた。
彼の醸し出す雰囲気は開け広げでいて、そのくせまるで執着心とは無縁。酷く楽で心地よかった。
ハボックが女性と長続きしない原因のひとつとして、束縛を嫌っているからだ。
思いやりがないという訳じゃない。けれど自分だけを見て欲しいなんて相手の望むようにするのは無理だった。
自分と他人が違う個体である以上、それ以上の接触を望めるのはセックスだけで、こころの結びつきまでを相手に求めるのは非常に難しい話だと思う。
結婚適齢期だとか見栄だとかそういう生臭いものに鼻が利くだけ余計に。
ロイは束縛もしないし、ハボックに何かを求めたりもしなかった。
ただそれだけに一瞬で忘れることの出来なくなった焔の印象は強烈だった。今でも先ほど見たようにリアルに感じることができる。
そしてあの日、ハボックを無心に駆り立てた衝動心はぴたりと鳴り止んだ。
真っ赤な夕焼けを見ながら、何かを掴もうとしたかつての。
今まで感じた事のない種類の磁力が再びハボックを動かす。深く考えないでおこうとすればするほど頭の中はそれでいっぱいになり、自然と解答のほうからハボックのほうへ近付いてきた。
面倒なことは極力避けてきたはずが、気がつけばその中心部に限りなく近い場所にいたのだから驚かずにはいられない。
大事なのは物事の確信に近付きすぎないタイミングだと思ってきただけに、ちょっとした後ろめたさのようなものを感じたけれど。
「昼寝とはいい度胸だな」
頭上から降って沸いた声に、意識が引き戻される。
朝から急な要請で出向いていた外から帰ってきて、まだとれていなかった昼休憩も兼ねて中庭で一服していたところ、いつの間にかうとうとしていたらしかった。
懐かしい夢をみたと思う。お互い確認をしたことはなかったが、あれがロイとはじめて会ったときのことだ。
「報告書は戻ってすぐ少尉に渡しておきましたよ」
「ああ知っている。お前の雑な字を解読するのに時間がかかった。暗号かと思ったぞ」
「それはスミマセンでしたね」
面倒ごとを人に押し付けておきながら労う言葉の一つもなく、高慢な態度で見下ろしてくる上司にいちいち腹を立てるほど人間できてなくはない。
軍服のポケットから煙草を取り出して、ジッポで火をつける。目の前にいる人に紫煙をかけないように、横を向いて深く吸い込んだ息を思いっきり吐き出した。
さきほど見ていた夢も火の夢だし、出向いていた用件も爆発事件の後始末だし、この上官も焔の錬金術師。なんだか火に縁のある一日だ。
ハボックが取り合わないので、つまらんなどと言いながらロイは隣に腰を下ろした。
人になんだかんだ文句をつけても、ようは自分もさぼりで来たらしい。
陣取っていた場所は日があたって肌寒いこの季節にはちょうど気持ちいいのだが、窓ガラスに反射する光がまぶしいのかロイはわずかに目を伏せた。白い肌に黒くまつげの影が落ちる。
他の人よりもくっきりと鮮やかな濃い影になるのは、おそらくこの白い肌から生まれる白と黒のコントラストのせいだと思う。
ロイは中央の生まれだと聞いたことがあるが、ハボックのように土地に根付いたアメストリス人ではないだろう。
この指先までの色の白さ、上等な絹糸のように柔らかく光を帯びる黒髪、闇に濡れたようなどこまでも深く黒い瞳。それらが相まって不思議な魅力をかもし出している。
「ああ眠いな……」
人前なら多少遠慮がちにすればいいものを、ロイは盛大に大口を開けて欠伸をしながらハボックを膝枕にしてごろんと寝転がる。
かたいと文句を言いながらも、離れる様子はなくしがみ付いたままだ。
もう外で無防備に昼寝をするような季節ではない。おそらく寒いのだろう。
振り落としていいものかと思いながら、太腿の上をすべる髪の毛に触れてみる。見た目どおり柔らかくて、指をさらさらと通って額に滑り落ちる。
特に嫌がる風でもなく触られるままにして、ロイは瞳を閉じていた。
こんな風に簡単に触らせるのは、安心しているのか安心させたいのかどちらなのだろう。
「中佐ー、少尉に見つかったら怒られますよ」
「お前だってサボリだろうが」
「俺はまだ昼休憩をとってなかったんです!それにもう戻るつもりですよ」
「……うるさい、眠いんだ」
そういって寝返りを打つ。足に額がぐりぐりと押し付けられる。
「アンタねえ……」
呆れた溜息が出るが、それでもハボックには振りほどくことができない。
今まで来るもの拒まず、去るもの追わずで面倒な付き合いなんていうものは一切しなかったのに。
ロイと向き合うといつも水を掴んでいるような気がした。
触れあえるほど傍にいるのに、決して掴むことができない陽炎のようなものを追いかけている気分。
それでも放って置けないのはこの瞳の中に、ひどく真っ当で用意周到なふりをして、どこか少年のような危なっかしさが見え隠れしているからだ。
髪の毛に触れながらその頬に触ることを躊躇ったのは、正直に言えば自信がなかった。
何の自信があればよかったのかも分からず。
得体の知れない気持ちを振り切るように、さきほどの現場検証を思い出して膝元にいるロイへと声をかけた。
「そういえばさっきまで爆破現場に行って来たんですけど、今後勝手に出歩くことは控えてください。先日のアレですが、あんたを狙った可能性が高い」
仕事の話をするのは卑怯かとも思ったが、それ以外に話題がない。ボキャブラリーの貧困さが身にしみた。
ロイはぼんやりとした目を向けてくる。
「今回の視察は公的なものじゃないから、司令部以外には公表していないはずだが」
「でもどこかから漏れてるんです」
司令官以外にもロイを快く思わない人間はいる。直接手をくだしたら足がつくが、危険に晒す方法はいくらでもある。しかもロイは危険に怖気づくことはないし、せめて護衛と思ってもそれすらあまりつけたがらないのだ。
「いいスか。外へ出るときは必ず俺かホークアイ少尉を護衛に付けてください」
「お前、この間アレを見ておいてまだ私の力を信用してないのか?」
「違いますよ。でもあんたが強いことと、あんたに危険がないことはイコールじゃありません」
「……分かったよ」
放っておけば平行線になりそうな会話を遮るように強い口調で念押しすれば、彼にしてはめずらしく少し呆れたような、でも照れたような柔らかい笑みを見せた。
言いながらハボックも、何をいっぱしの護衛官のようなことを言っているんだろうと、自分で不思議に思った。
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