翌日ロイが街の視察に出るというので、ハボックも朝からその護衛に駆り出された。ホークアイは今日は錬兵場での演習に参加するとのことで傍らにはいない。 車を準備していけばコートを羽織ったロイが玄関で待ち構えていた。 「どちらに行かれますか?」 「軍の施設は中央にも資料があるし、明日だったか明後日だったか行く予定があるからな。今日はこの街で一番の繁華街を見てみたい」 「一番の繁華街……やっぱ駅前の通りっスかね」 「じゃあそこに連れて行ってくれ」 「了解」 アクセルを踏み込んで、他に車のない空いた道を快適に進む。バックミラーを覗きこめばロイは無表情なまま窓の外を見ていた。 そんな気はないのかもしれないが、彼の横顔はいつも何かに向き合っているように見える。 正面から見るには強すぎる眼差しのせいかもしれないし、きつく結ばれた唇のせいかもしれないけれど、なまじ整った顔立ちのために、銀幕の世界の住人を見ているような奇妙な気分だった。 目を見張るほどの美形というわけでもないのに、強く惹きつけられるものがある。 いつもあの美人の副官が彼を守るように傍にいて、ふたりきりになったことがなかったので、どうにも沈黙が気まずい。 しかし天と地ほどにも階級差のある上官相手に馴れ馴れしく離しかけるわけにも行かず、大人しく運転に集中しようとハンドルを握りなおせば、いつの間にかロイは正面を向いてハボックのほうを見ていた。 「ハボック軍曹も最近北方司令部にやってきたそうだな。生まれは東部と身元証明書には書いてあったが」 「ええ。東部の田舎ですよ。そこで養成所を出てからしばらく南部の国境付近で後方支援をしていました」 ハボックの過去は表向きは特殊部隊ではなく、一兵士として補給部隊にいたことになっている。肩書き以外にだいたい嘘は無いので、少なくともこれまでは困ることはなかった。 嘘もすべてが嘘だとボロがでるが、限りなく真実の嘘ならば真実を知る確率は極端に低くなる。 「ああ……大規模な戦闘こそなかったものの、あの辺りもしばらく小競り合いが続いていたな」 「中佐も南部に行かれたのですか?」 「一度だけな」 そこでロイは短く話を切って、お前の故郷に美人は多いのかと聞いてきた。 「東部には美人が多いと言う噂だが」 「さあ……街は知りませんけど、中央のご婦人と比べてとりたてて美人ってことはないと思いますよ。少なくとも俺の田舎ではね」 「私は中央を離れたことがないからよく分からないんだ。見識を広めるためにあちこち視察にも行っているつもりだが、やはり短い日程では見えることなど知れているから」 「でも中央には地方から様々な事件も情報もくるんでしょう?わざわざこんな辺境まで中佐自ら出歩かなくてもいいんじゃないんですか」 「それは学者の言い分さ。私が生きている存在である以上、生身の経験ほど確かなものはない」 まるで自分自身に言い聞かせる呪文のように、ロイはきっぱりと言った。 これか、と思う。彼が向き合っているものは。 しばらく走ってから市街に近くなったため適当なところに車を止め、そこからは徒歩であちこちの店を覗いた。最初は軍人に警戒をしている店の人間も、ロイが買い物などをしながらにこやかに話しかければ、大抵の人間はおしゃべりに興じて来た。 その後もロイは積極的に街の人間と話をしたり、北方名物を口にしたり、果ては町でカップルに人気のスポットにまで足を運んだ。そこで物売りの少女から買った、ペアで持てば永遠に結ばれるなどと言う胡散臭い文句つきの、小指にもはまらない指輪をプレゼントだと言って寄越してくるので丁重にお断りした。 佐官の給料を聞くのも馬鹿馬鹿しいので口には出さなかったが、そんな調子であれこれ買ううちに、いつの間にか紙袋いっぱいになった買い物は今はハボックの腕の中である。 これでは視察というより観光ではないだろうかと、内心思っていると顔に出てしまったのか、軒先で買った干菓子を口に放り込んでいたロイが視線を上げた。 「何だ?」 「いえ、別に」 「はっきりしないな。言いたいことがあるなら遠慮せずに言ったらいい」 「とんでもありません、サー」 「じゃあ変えよう。言いたいことははっきり言え」 暗に命令だと言われ、ハボックもしぶしぶ口を開いた。 「いや……何か、視察っていうのが想像と違うなあって、思ったり思わなかったり」 純粋な疑問だったが、これが気難しい上官相手だったら不敬罪で咎められてもおかしくはない発言である。 ハボックとしては何もお咎めを恐れたわけではなく、一般常識として上官に不要な発言は控えたというだけだが。 しかしロイは軽く口角をあげただけで、それ以上は何も追求しなかった。これが中央の流儀なのか彼個人の気質なのかと考えて、恐らく後者だろうと思う。 ハボックがド素人護衛という点を差し引いても、今まで他の将校相手だったらとっくに首を切られていてもおかしくない態度や言葉遣いに、細々とした文句や注文は付けるものの無礼者と三行半を突きつけるわけでもなく、どこか面白がっているような節さえ見える。 端から田舎者だと馬鹿にしているというわけでもなく、懐が深いというのでもなく、けれど彼は一度足りともハボックを軽んじたりしなかった。将軍達にむかって決して怯まないのと同じラインの真面目さで。 どんな馬鹿馬鹿しい話題にも、ものごとの外郭や先入観だけで排除したり侮ったりはせず、きちんと考えを受けとめた上で話をする。 佐官クラスの人間ともなると、下士官など便利に動く手足くらいにしか考えていない者も多い中で、とにかく謎の多い男だった。どちらかというと脳が単純な構造しかしていないハボックには、彼のそれが演技なのかどうかまでは判断がつかない。 「では参考までに聞くが、ハボック軍曹。お前の考える視察とはどういうものだ?」 「って言われても困りますけど、少なくとも俺がこれまで見てきたのは、司令官の接待とか受けてそれっぽい式典に顔を出して、あとは大体執務室にこもってましたね」 「なるほど。確かに視察とは言っても中央の権威を知らしめるためだけに行われることが多い。本当に何か調べることがある際は専門家を寄越すからな。あとは適当に部屋で仕事をしていればいいだけのことだ」 「そうなんですか?中佐は随分忙しそうだと思ってましたけど」 「言っただろう。私には知っておかなければならないことが山ほどあるんだ。せっかくこんな辺鄙な所へ来たのだから、その時間を無駄にするつもりはない」 力んで語るわけじゃないのに、すとんと心の中に落ちるような強い響きがあった。軽口をたたく内側で時々あまりにも無防備に本音が入り混じっている。出会って間もないただの護衛に向けるには怖いくらいに。 それ以上聞きたいと思ったけれど、深入りするのは危険だと本能のどこかが告げていた。 「そろそろ帰るか」 三時間も歩き回ってようやく気が済んだのか、司令部へ帰る車に乗り込もうとしたその時だった。 「キャー!!!」 甲高い女性の悲鳴が聞こえた。悲鳴に爆発音が重なる。音のしたほうを振り返り見ると白い煙が上がっていた。 もともとあまり治安のいい土地柄ではないが、近年はイシュヴァール内乱のあった東部に比べて大分落ち着いているものと思っていたが、それでも裏社会の暗躍が完全になくなるはずもなくテロが絶滅することは無かった。 記憶の中をひっくり返してみれば何日か前に司令部あてに犯行予告が入っていたような気もするが、中にはいたずらも混ざっているのでそれらすべてにいちいち対応できるほど軍も暇じゃない。そのために放置されていた中に今日の日付けが入っていたものがあったのだろう。 こんなタイミングで最悪だと思ったが、現場に最も近い場所にいながら退避するわけにはいかない。ひとりで犯人を押さえるまではいかなくても、状況把握くらいはできるはずだ。 考えるよりも早くハボックの足は地面を蹴っていた。後のことをあれこれ考えて躊躇しないのはハボックの短所でもあり長所でもある。 「中佐は下がっててください!」 走り出しざまそう後ろに畳み掛ければ、ロイもハボックにくっついて音のしたほうへ走り出していた。 「馬鹿者、二人しかいないのだから、私も戦力の一人になるしかないだろう」 「いいから下がって!こんなところでわざわざ危険に巻き込まれる必要ないでしょう」 状況が把握できていない以上、下手に人数を増やすよりも周囲に気を配らずに済むだけ自分ひとりのほうが動きやすい。スタンドプレイは得意とするところだ。 それに護衛対象である人間をみすみす危険に晒すなんて、さすがのハボックでもやりたくない。 「心配されなくても自分の身くらいちゃんと自分で守る」 だから安心しろとでも言いたいのか、そういう問題じゃないと思うハボックの心境などそ知らぬ顔でロイはあっさりと言ってくれる。しかしここで余計な押し問答をしている時間はなかった。 わずかな付き合いでも分かったことだが、ロイは一度口にしたことは何があっても曲げない。 まるで彼の意志の中には針金でも入っているかのような意志で成し遂げてしまう。 一途といえば聞こえはいいが、どちらかというと頑固というほうが正しい。 中央ではそれくらいの度胸と図々しさがないとやっていけないのかもしれないが、それにしたって人の気持ちなんて変わりやすいものなのにとてつもなく強靭な精神力だ。 見た目がそうは見えないだけに、そのギャップもなんだか不思議だった。 もうどうにでもなれと半ばやけっぱちになりながら速度を速めた。 ぐんぐんと風を切るそのスピードに、いつかジャングルの中を全速力で駆け抜けた過去の自分が重なる。 全身の神経を研ぎ澄まし、視覚ではなく感覚で知る。 遥か遠く、もう誰の記憶にも残っていないような昔から変わらず、今でも血の中で疼く獣の本能で。 戦場に恋しているわけではないが、ぴんとした独特の空気にこれまでの人生の中で唯一見定めた場所があるような気持ちになる。 ぎりぎりの緊張感と昂揚感。ここで自分は生き、死んでいくのだ。そう考えるだけで安心できた。 逃げてくる人の波を掻き分けながら逆走し、現場に飛び込んで状況を一瞥するなり、鋭い怒鳴り声を上げた。 「アメストリス軍だ!大人しくしろ!」 恐らく自爆テロだったのだろう。爆破箇所にはおびただしい血が飛び散り、肉片や巻き込まれた何人かが倒れている。 その周囲に同じような格好をした男が三人ほど立っていた。身体には皆、爆弾が巻きつけてある。 抜き取った銃をそちらに向けながらも、この状況ではうかつに発砲できなかった。 街の繁華街には必ず表と裏がある。さきほどロイと二人で歩いた通りはいわゆる表で、商売人や買い物客などが集まって賑わいを見せている。 けれど、人の集まる場所には必ずもう一種類の人たちも集まるように出来ている。貧困と犯罪が支配する裏の。 「悪魔に魂を売った民どもめが」 憎憎しげにひとりが吐き出した。この言い草は恐らく反軍過激派ではなく、宗教的なテロリストだろう。 彼らには神がいるので死を恐れない。非常にやっかいな類だ。 どうしようか。 今にも崩れそうな粗末なレンガの組み合わせられた家。一度目の爆発でもろい壁が崩れ去っている。 これ以上続けばこのあたり一帯が崩落してしまう可能性が高い。 下手に動けば周囲に害を及ぼしかねないのではこちらが不利だ。 近距離戦は得意なので自分ひとりならば懐に飛び込むことも可能だったが、いま斜め後ろに庇うようにいるロイをひとりにしてしまうのでそれはできない。 右手で銃を構えながら制服の襟に仕込んでいるニードルのような武器をそっと手の中に握る。 できれば人には見せたくないが目を潰すために誕生した武器だ。 勿論こんなものの使用は正規の軍では認められていない。しかし今下手に発砲すると刺激する可能性が高い。隙を突いて取り押さえるためにはいちばん楽なのである。 間合いを計りながら最初のターゲットを決めたその時だった。走り出す足が強張った。 何か妙だと頭でも心でもない場所がハボックに告げる。 この手の勘は外れたことがない。そしてハボックはいつもそれにだけ忠実だった。上官の命令を蹴ってでも。 だからこそ過酷な戦場を生き抜いてこれたのだ。 何かおかしい。 何がおかしい? 前方に佇む三人の男。ただ人を巻き込んでテロを起こすならどうしてこんな辺鄙な場所を選んだ。 理由を考えるよりも早く後ろを振り返った。斜め後ろに閃光のように光る影を見る。 やっぱりと頭で思うのと同時に、乱暴なほどに強い力でロイを引き倒して胸の中に庇った。 途端、銃弾の嵐がロイの立っていた場所を襲い、抉れた道から粉塵が巻き上がる。 何とかロイを庇ったハボックの利き腕を銃弾が掠めて、皮膚を破って浅く肉を抉った。 じんわりと真っ赤な血が滲み出す。 「ハボック!」 「出るな!」 すぐさま飛び上がろうとするロイに一喝してから、上体を捻って怪我を負った右手で狙撃手が狙ってきた方角へ続けざまに3発発砲した。 一発目は外れたが残りは命中し、眉間に穴の開いた狙撃手の上体はぐらりと傾いだ。 恐らく絶命しているだろう。 バネのように起き上がりざま男たちが立っていた方へ向き直って、一足飛びで咽仏へ鋭い手刀を見舞う。 返す手でもう一人の顔面を殴りつけ、鳩尾を蹴り上げればろくに受身も取れないままよろよろとその場に崩れた。 ラスト、と呼吸ひとつ乱れぬまま手元に隠し持っていたピックを握りなおすと、男はこの世のものとは思えない薄暗い目をして銃を構えていた。 その銃口はロイのほうへまっすぐに向いている。 「中佐っ!」 「伏せろ、ハボック!」 咄嗟にハボックが庇おうと一歩乗り出したのと同時に、ロイは腕をまっすぐに天に向かって伸ばし、地割れかと思うほど派手な爆音が耳を塞いだ。 火柱が上がる。 それはまるでいつか見た夕焼けと同じ燃え上がるような紅。そして、一度だけ見た焔と同じ色。 フラッシュバック。 今、思い出した。それど同時に何故今まで気が付かなかったのかと己を叱咤したくなる。 「だから銃は要らないと言っただろう?私自身が悪魔の兵器なのだから」 呆然と立ちすくむハボックに向かって、冷たい声とは裏腹に鮮やかに微笑む。 いつの間に変えていたのか、外に出たときはただの白い手袋だったはずが、今彼の手に嵌められているのは不思議な模様の刻まれた手袋だった。 男は全身灰だらけになって火傷を負っているのだろうが、ぴくぴくと痙攣しているので死んではいない。 やむを得ない状況でも、己の力をいかにコントロールしているのかを見せ付けられる。 この季節外れに北方司令部にやってきたその人とは、一度だけ会ったことがあるのだ。 戦場の片隅で。 敵として。 |
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