地道な捜査というものを翌日一日かけて行ってみたが、町の人間は本当に誰もその男の行方を知らず、そもそもその男に関することを知っている人間が少なすぎた。 結局ハボックは東方司令部から直接指示を仰ぐことにした。 『家が無い?本人も不在?』 電話口でホークアイも驚いたような声を上げていた。 「そうなんスよ。しょっぱなから捜査が難航しまくりで」 『それは困ったわね。さっき大佐は仮眠室に行ってしまわれたのだけれど、呼んで来た方がいいかしら』 「いや、また掛けなおしますよ。大佐今日は定時あがりっスか」 『ええ』 「それじゃ失礼します」 受話器をおろすとため息が漏れた。本当は少しだけ期待していた。ぞくりとするような低めのテナーボイス。 もう三日も声を聴いていない。 もはや身体の一部ともいえる煙草に手を伸ばして煙を灰一杯に吸い込む。 健康に悪いだの煙臭いだの文句だけは散々言ってくるが、ロイは皆の仕事場である司令室はおろか、個人的な執務室ですら一度たりとも禁煙を命じたことがなかった。 それどころか煙草を吸っていないと、吸わないのかとわざわざ聞いてくる始末だ。 都合よく解釈すれば煙草込みで自分のことを憎からず思ってくれているのだと思う。だが逆に禁煙させるのが面倒だから放っているというのもありうる。 そんな日常的で些細なことほど本音が見えてしまうことがある。だから聞けない。 投げ出されるということは、ある意味嫌われることよりも辛い。 根本的に必要とされていないなら、転がっている小石や道ですれ違っただけの人間と変わらない。 そういう意味ではたとえ家政婦の真似事だろうが、便利屋だろうが、家事の出来ないロイのためにあれこれ世話を焼ける分、まだ自分は必要とされていることに安心もした。 国家錬金術師の年一度の査定でロイはいつも数日家に引きこもるのだが、ハボックがロイ付きになってはじめての査定が終わった後、ホークアイに頼まれて彼の部屋の様子を見に訪れた。 そこで人の生活空間とは思えないほど蔵書と実験道具で散らかった部屋の惨事に、生来の面倒見のよさのためかあれこれ片づけから何からしてしまい、数日分の睡眠を一気にとっているらしい人のために料理まで用意してやったのだ。 もともと実家では料理なんてしなかったが、一人暮らしをするうちに自然と作らざるを得ないはめになって、今では下手な飯屋よりも上手いと誉められるほどになってしまった。 その手料理を誰よりも最初にお気に召してくれたのが他でもないロイだった。 よく話を聞いてみれば、驚いたのは栄養になればいいというほどいい加減なロイの食生活。 好き嫌いがないだけに、ただでさえ仕事人間で人間らしい情緒に乏しいのに、これ以上機械のような生活をさせてはまずいんじゃないかと、仏心を出したのがまずかった。 それ以来、休日を除いてどちらかに夜勤が入っていなければ、家政婦のようにまめに食事を作っている。 思えばそのせいで、この普通ではありえない状況に身を置くことになったのかもしれないが。 おいしい、と言って笑ってくれたのに幸福の原石を垣間見たような気がして、今でも忘れられない。 たったそれだけに絆されてしまったらしい自分も大概単純だが、悪い気分ではなかった。 先ほどの電話から煙草とコーヒーで時間を潰して一時間ほど経ち、そろそろかなと再び電話ボックスに入る。 「東方司令部のハボック少尉だ。マスタング大佐に繋いでほしい。コードは……」 しばらく通信音が響いた後、明らかに寝起きの間抜けな声が電話に出た。 「大佐、ハボックです。まだ寝てたんですか?」 『忙しいんだ。……そんなことより、件の奴がいないらしいな』 不機嫌な声を隠そうともせずに応対する。自分以外の人間ならこんな態度に出るだろうか。 「いませんね。家も本人も半月前に煙のように消えてます。昨日今日と聞き込みした限りではよほどの人嫌いだったのか、親しくしていた人間はひとりもいませんでした」 『ふむ……』 「もうちょっと嗅ぎ回ってみますか?」 『いや、無駄だろう。それよりももう一度そいつに関する情報を全て洗い出せ。とにかく資料にあたれ』 「アイ、サー」 『頼んだぞ』 ロイは親友とは違い、男の長電話はみっともないと主張していて、ましてや仕事中の身なので用が終わるとさっさと切ろうとする。 久しぶりなのに少しも名残惜しんでくれないことに、彼が恋愛感情というものを理解しようとしないことは承知していても、落胆に似た気持ちが湧いてくる。 少しだけでいいからその存在を引き止めておきたくて、無駄話をふってみた。 ヒューズからの電話で学んだことだが、電話というのは相手の時間に侵入する。 「あー、大佐」 『何だ』 「ちゃんと飯食ってますか?」 『子供じゃないんだから、それくらいちゃんとしている』 「栄養ドリンクとかでごまかしてないでしょうね」 『……大丈夫だ』 沈黙に若干の肯定が含まれているが、ホークアイがいるので多少なら平気だろう。 「なるべく早く帰りますから。そしたらちゃんとしたもの食わしてあげます」 『男の手料理なんて空しいが、外食も飽きる。さっさと帰ってこい』 ロイとしては何気なく言った言葉かもしれないが、帰るという響きにぞくぞくした。 待ってくれる場所や人がなければ、その言葉は成立しないということに彼は気付いているのだろうか。 無意識だとしてもそんなことにすら喜びを感じてしまう自分は大概安上がりでおめでたい。 いい若者が初恋のように浮かれているのは冷静になれば馬鹿馬鹿しいような気もするが、いまはこの感情は風を起こして、嵐の前触れのように波立っている。 それはもう初恋なんてものが色褪せるくらいに激しく。 ぼんやりと窓の外を見る。 まだ寒さに身を縮めるような季節ではないのに、夜の暗さとだだっ広いだけの一人きりの部屋はガラスに頬を当てるような硬質な冷たさがする。 空に浮かんだ欠けた月は、まるでその部分だけ夜を切り取ったようだった。 ここ数日追われっぱなしだった仕事にようやく一段落付き、久々に自宅に帰ったものの、男一人暮らしの家にそう心を喜ばすようなものが待ち構えているはずが無い。 おかえりを言ってくれる相手も、温かい食事も。 自分では久しく使わなかったキッチンの冷蔵庫を覗いてみても、チーズと水とアルコールが入っているだけだった。 ロイは自炊などしないのでどうせ腐らせると思い、ハボックが帰省する前に冷蔵庫の中身を綺麗に片付けてしまったのだ。 ふいに空腹を覚え、ここ三日で己の口にしたものを思い返す。 ハクロ少将との不愉快な会食とホークアイが夜食に差し入れてくれたサンドイッチ以外、貰い物のお菓子やら栄養ドリンクやら錠剤やらしか胃に入れていない気がする。 普段なら昼食は司令部の人間と軍食堂でとるが、あまりに忙しすぎてまともに執務室から出られなかったのだ。 外へ食べに出ようかと思うが、時計を見てそんな気も失せる。空腹を満たすためにわざわざ外へ出て、帰る時間を考えると割に合わない。 誰に聞かせるわけでもないため息をついて、とりあえず冷蔵庫にあったチーズとビールを取り出した。 こんな時、ヒューズなら嫁をもらえと言うのだろうし、ホークアイなら家政婦を雇ってはどうかと言うのだろう。ハボックなら食事を作ってくれるのに。 確かに女性は好きだ。柔らかくて優しくて、温めてくれる肌はいつも愛しいと思う。 だが結婚という言葉が絡むと急にその魅力が曖昧になって、よく分からなくなってしまう。 ヒューズがグレイシアを選んだようには、誰かをたった一人の存在として信じることなど、自分にはできないのではないかと思う。 大佐の給料に国家錬金術師の研究資金を合わせれば金も腐るほどあるから家政婦の一人や二人雇うのは簡単だが、錬金術の研究資料、軍事がらみのキナ臭い調べ物などを考えるとよほどの人選が必要になる。それも面倒だった。 結局のところ自分は一人用の器の人間なのだろう。 だから背負うものは国家一つ、けれど依存できる繋がりなど何も無い大総統になろうとなどと考える。 理解・分解・構築による錬金術だが、操る焔は壊すことのほうが専門だったので、尚更そう思えた。 つらつらと考え事をしつつ一人でビールを空ける。 空っぽの胃にアルコールは刺激が強すぎたようで、ほどなく眠りに落ちていた。 浅い眠りの中で見た夢は錬金術師が赤い光に包まれて高笑いし、顔も思い出せないのにその恐怖だけがぺったりと張り付いて目が覚めた。 あれは、焔だったのだろうか。 町へ潜入してから二日目。普段よりややボサボサ気味の頭のまま、ハボックは町役場にいた。 足での捜査が駄目なら頭を使えといわれたのでとりあえず資料を当たってみることにしたのだが、朝から捜査を始めても目新しい手がかりになりそうなことは特になかった。 居住者の台帳から分かったことといえば、男はもともとここの出身ではなく戦後何のつてもなく突然引っ越してきたことくらいで、それくらいはロイから預った資料に載っていたことだ。 族や同居人の類は特になく天涯孤独の身。国家資格は返上したものの研究以外に特技もなかったようで、とある民間の生物学研究所の末端に在籍して生計をたてていたようだ。 男が得意としたのは細胞を腐敗させるという錬金術だった。 ハボックには錬金術のことは殆ど分からない。だが身体の構成物質を操ることで、肉体を腐らせ使い物にできなくさせるということは分かる。 戦争に行ったことがないので実際にそんな状況を目にしたことは無いが、怪我を負った際身体の末端へ血が回らなくなればそこから腐っていくということは、知識として知っている。 恵まれた体躯を生かした力仕事のほうが多いが、頭の回転は早い。 だから錬金術は分からなくても理論を説明されればそうなのかとは思う。だがそれだけだ。 国家錬金術師を上官に持ちながらも、等価交換の原則に乗っ取った理論は理解は出来ても、納得は出来ないというのが本音だった。 男の資料をぱらぱらとめくる。前回の調査では特に問題はなかったようだ。 それもそのはず、男は戦争の終結直前に自らの錬成に失敗し片足を失っている。 機械鎧という便利なものもあるが、決して安くはない維持費と想像を絶する痛みを伴うため、戦争などで身体を失った者でもそれを身に付けるものはそれほど多くはないと聞く。 男も普通の義足で生活していたため、戦後治療を終え軍病院を出た後も、監視を巻いて逃走することなどできなかったのだ。 その調子で資料を洗いなおしてみたが、結局午前中は収穫なしだった。 よくよく考えたら切れ者のロイの頭で分からないことが、やすやすと自分に分かるはずもない。充分に昼食をとり、一服をおえてから、 「よし!」 気合を入れなおして図書館へ向かった。 東方司令部にもロイの自宅にも数多くの蔵書があるが、基本的にハボックには本を読む習慣は無い。本を読むより身体を動かしているほうが好きだからだ。 だが手持ちのカードがなくなってしまった以上、新たな情報を得るにはここが一番手っ取り早かった。 ロイの親友の情報通の男を頼ることが出来ればいちばん楽だが、事件が起きたわけでも無いのに忙しい男の手を借りるわけにはいかない。 消えた錬金術師を探して、図書館という慣れない場所でページを繰る作業に没頭する。 小さな図書館ではあったがよほど利用頻度が少ないのか、資料が詰まれるだけ詰まれて整頓されていない薄汚れた本棚から目的のものを探し出すのは、想像以上に骨の折れる作業だった。 あちこちひっくり返すと埃が立ち、開いた本からは黴臭いにおいがする。おまけに火気厳禁のため煙草を吸うことも出来ない。 「あー……クソ」 ニコチン中毒者特有のイライラを抱えながらも、一刻も早く面倒を片付けて帰りたいので作業を中断することなく片隅に積んだ本のページをめくる。 男の監視資料以外に調べるものといえば、とりあえず国家錬金術師が絡んだ戦争以外に考えられなかった。 記録でしか知らないとはいえ、苦いものしか残らない酷い戦争だった。 こんな一般の図書館にあるくらいだから、国家機密レベルの内部文書に比べれば曖昧な部分も多い。 だがこういった公的でない文書のほうがあの戦争の傷跡を、人間の悲惨さをまざまざと映し出しているように思えた。怒りを隠さない、生々しい恨みが言葉の端々から滲んでいる。 東方司令部のメンバーで戦争経験がないのはハボックとフュリーだけだ。あとは多かれ少なかれあの悲惨な戦争の末端を経験している。 『戦争は誰も幸せにしない。殺し合いでは誰も幸せになれない』 あの戦争で英雄と謳われ出世したロイだが、戒めるように彼は時々そう呟く。その本音を隠しながら軍の狗として焔を操り、人を傷つける彼の葛藤はいかほどのものなのか。 物思いに陥りそうになる頭をなんとか引き戻して、再び本に目をやった。 「……これ」 若さと体力でごまかしているものの、行ったり来たりのハードスケジュールに多少の疲労の色を滲ませた顔が、ようやく見えかけた成果に少しだけ明るくなる。 人体を腐敗させる錬成のことについて触れた記述が目に留まった。夢中になってページを繰る。 焔の錬金術師であるロイや、また鉄血の錬金術師グラン准将、いまは囚人の紅蓮の錬金術師キンブリー、彼らの操る錬金術は確実に大量殺戮向きだ。 だが人の腕や足を腐らせ使えなくしたところで、すぐ命に別状があるわけでも敵の数を減らせるわけでもない。 その彼の錬金術が役に立つのは、見せしめのためだ。 見覚えのある地名がよぎり、記憶の糸を手繰り寄せる。イシュヴァールの首都からほど近い地図から消えた小さな街。たまたま信じる神の名が違っただけで、戦火に巻き込まれ死んでいった人たちの街。 ここに潜伏していたイシュヴァールの兵士を捕まえ、見せしめのために生きたまま身体をじわじわと腐敗させ……反抗心を煽り立てた。 相手が武器を持てば理由が出来る。その夜、街は一晩で地図の上から無くなったらしい。 正確には消された、だが。 記憶の糸に引っかかったのは、ロイが一度だけ口にしたことがある地名だったからだ。彼が、焼いた。 唐突にばらばらだったピースが、歪つな完成系を描き始める。 国家錬金術師とイシュヴァールを最も強く結びつけるものは。 あの戦争で国家錬金術師たちは何をした? 人を殺し、街を破壊し、大地すらも焼き尽くしたという。 人間兵器と呼ばれた彼らは兵器そのものだった。命令一つで簡単に人の命を奪った。 何故それが可能だったのか。 イシュヴァールの英雄と呼ばれる己の上官の焔を思い出す。 通常であれば、空気中に存在する可燃性の物質などしれている。 等価交換の原則に従う限り、いくらロイでも一晩で街を焼きつくすことは難しい。 だが一瞬にして街を焔に包みこむことが可能になったのは、等価交換の原則を無視させるモノが存在したからだ。 軍籍を離れた元国家錬金術師。彼らが監視される理由。それは。 「……賢者の石」 知らず考えが空気を振動させて漏れた。不完全ではあったらしいが錬金術の力を増幅させるという賢者の石。 冷や汗が背中を滑り落ちる。 戦争の中で己の練成によって身体を一部失ったこと、イシュヴァール殲滅戦のあとに軍籍を返上したこと、ひっそりと町外れに住み誰とも接触を持とうとしなかったこと。 失った肉体を再生させるには並みの錬金術以上の力が要る。 イシュヴァールではその並みではない力の片鱗を国家錬金術師たちは手に入れた。そして誰とも接触をもたないで篭ってすることといえば。これなら合致が行く。 ―――男は、賢者の石の研究を行っていたのではないだろうか。 たまらず電話ボックスへ駆け出した。 |
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