あらしもやまない/12
ホークアイに集めさせた資料を検討していくと、うすうす感じていた奇妙な予感が、予感では済まなかったことにすぐに気が付いた。
ここ一ヶ月ほどで多発していると思われる誘拐事件。地図上にその発生した場所すべてに目印をつけ、線で結んでいく。連続殺人などの時、犯人の行動範囲を特定するために憲兵がよく使う手だが、原始的な割には役に立つテクニック。
できあがった線はやや歪んではいたが、ある街を中心にしてほぼ一定の間隔で存在していた。こちらを撹乱するためにわざと仕向けたとも解釈できるが、あまりにも期間が短く手段も雑すぎるのでその線は低いだろう。
何にせよ、調べてみる価値は充分だ。そう判断したとき、執務室にフュリーが駆け込んできた。
「失礼します!マスタング大佐、今緊急で通信室に災害連絡が入ってきました」
「何があった」
「イーストシティに向かう列車の線路が、ロルカ地方の先で崩れた土砂に埋まって断たれてしまったとの情報が」
「ロルカ…あの、南部寄りの田舎のほうか」
「はい。それで現在いくつかの列車が立ち往生している状態です」
「待て。正午以降ここを通過した列車の数は」
「ありません」
「乗客名簿を調べろ。もしかしたらハボックの奴が乗っている便があるかもしれん」
「了解です!」
フュリーの後姿を見送りながら、めまぐるしく頭の中を動かして今後の作戦を組み立ててゆく。
本人は気がついていないが、考え事をしているときの彼は、獲物を前にした猫科の動物を思わせる目付きをしている。
なるべくなら司令部を空けないほうがいいのは分かるが、緊急事態の場合、自分が動くのが一番早かった。
東方司令部はイシュヴァールに最も近い司令部であったということもあり、屈強な兵士が多いが、戦場では個々人の強さよりも集団としての強さが問われる。
ロイは自分を人間兵器だと思っているが、優秀な指揮官でもあった。
十分もしないうちにフュリーが持ってきた乗客名簿には、しっかりと部下の名前が載っていた。珍しい名前ではないが、同姓同名の別人と考えるには材料が乏しすぎる。
「……まずいな」
まったく嫌な予感ほど的中してうんざりする。しかし、起きてしまったことを嘆いてもどうにもならない。
事実が明らかになったなら己のすべきこともひとつだ。
「よし、とりあえずその街の駅なり憲兵の詰め所なり思いつく限り連絡して、ハボックと通信を確保」
「それが、さっきから試しているんですが、駅員がハボック少尉と話したのを最後に、どこかに行ってしまっているんですよ……」
「あの馬鹿!」
皮肉や嫌味はいつものことだが、こんな風に悪態をつくことは珍しい。それだけロイは本気で腹を立てていた。
日頃の自分の無茶はきれいさっぱり棚に上げて、危険と知っていて飛び込んでいくのを勇気だと褒める気持ちは爪の先ほどもない。まだ何かあると決まったわけじゃないが、嫌な予感がする。
ハボックが、危ない。
列車が使えなくても足はある。あまり感心できたことではないが、緊急配備とでも何とでもいって、幹線道路を車で飛ばせば二時間ほどで辿り着けるだろう。
「ホークアイ中尉。今すぐハボックの隊のジェフリー副長を呼べ。あと幹線道路を一時的に封鎖。十分後にここをたつぞ」
「了解!」
嵐が、来る。




とりあえず一通り敵を全滅させ、中には息のある者もいるだろうが、歯向かってくる元気はないと断定する。
麻薬で無理やり潜在能力を引きずり出して、一時的に身体能力をあげてはいたものの、その麻薬のせいで精神も身体もぼろぼろなのだから、起き上がってハボックに渾身の一撃を喰らわせようという気概などとうに侵食されてしまっているだろう。
さきほどまで鬼神のごとき動きをしていたとは思えないほど落ち着きをはらった顔をしているハボックは、今しがた伸した人の山を飛び越えて、再び部屋から出ようとする。
かつん、とつま先で何かを蹴った。
何しろ至るところに腐乱死体と、今しがたできたばかりの新鮮な死体と、ついでに生きている何人かが転げおちているという有様なので、気にも留めるほどでもない微かな衝撃だったのだが、蹴り飛ばしたものが視線の先に転がっていく様を見て、ハボックははっとそれを拾い上げた。
小指のさきほどの大きさの赤い石だった。ルビーよりももっと沈んだ色をしている。そう、血の色。
小石に血がついて緋色に見えているわけではない。向こう側が透ける石の中心部からは、硝子のような人工的な色とは明らかに異なる強い色が滲み出ている。
宝石にも石にも詳しくないハボックは、普通ならそれが何なのか分からなかっただろう。
だが、今日はちょっとばかり状況が違う。普通の人間である自分が持ってみても何の変化も起こらないが、これが賢者の石ではないのだろうか。
ごくりと、唾を呑みこんだ。
「――っ?!」
そのとき、何が起こったのかまったく理解できなかった。この地下に入り込んだときから澱んだ殺気のようなものはあったが、明らかに人の気配は感じなかった。視線を下げれば自分の腹部に真っ赤なものが滲んでいた。
あまりの衝撃に、痛いというよりも熱い。
ざっくりと切り裂かれている。内臓まで抉り出されはいないが、どれほど傷つけられたか判断できない。自分でも分かるほどの重傷に、立っていられず膝を突く。
まずい。ショックで即死しなかっただけ助かったが、このままではそう遠くない内に出血多量で死ねる。
「まったく、僕の手を煩わしてくれちゃって困るよ。あのドクター。大人しく渡してりゃ死なずにすんだのにさ…あれー、よく見れば焔の大佐の側近?もしかしてもうバレちゃったの?まあついでだから死んでもらおうかな」
「……くそっ」
姿は見えないが、頭上から少し険のある少年らしい声が耳に入る。聞き覚えはないが相手はロイを知っているような口ぶりだ。自分のことまで知っているということは、軍の関係者か?
迂闊だった。他の人間の殺気にまぎれていたが、一番はじめに感じた殺気はこの相手が発していたものだったのだ。
激痛と緊張に脂汗が滲む。
―――自分は、死ぬのだろうか?
死ぬときには昔のことを思い出すって本当だな。
遣り残したことも言い残したこともないとは言わないが、振り返ってみればそこそこの人生だっただろう。
どこにでもある田舎の村で、貧しくも裕福でもない家に長男として生まれ、賑やかな家族に囲まれて育ち、そして村を飛び出して軍人となった。多少立ち止まりもしたが、嬉しいこと楽しいことだって沢山経験したし、仲間にも恵まれて命をかけてもいいと思えるほどの出会いもあった。
できることならこんな場所でこんな風に死にたくはなかったが、死とは予期せぬ場所でも、容赦なくやってくるものだと腹をくくる。
考え始めれば心残りは尽きないが、どんな最期を迎えたとしても、自分で選んで生きてきた人生が悪いものだったとは思いたくない。だがもしもひとつだけ、心残りを取り除いてくれるというのなら、ロイのことだ。
自分が調査など命じなければ。きっとそう考えて悔やむのだろう。
逆の立場ならハボックだって同じことを考える。しかし、彼の傷痕として残りたくなどない。
さよならを言うこともできない状況が、果たして良かったのか悪かったのか。
気を抜けば一瞬で遠のきそうになる意識を、何とか持ちこたえさせようと歯の奥をかみ締める。目の奥が熱く、こめかみが痺れるような感覚が生まれるが、今意識を失ったら確実に死ぬだろうということは分かった。
「さ、その石を渡せよ。それはお前らが持ってても仕方がないものなんだから」
声の位置からして、少年は自分とは少し距離をとっている。だが、どういう手段を用いたかまでは分からないが、彼は遠くからでも自分を攻撃することが出来る。
「別に僕はお前を殺してから奪ってもいいんだけど。そうしたらあの焔の大佐の歪んだ顔がみられるかもしれないし、それはそれで面白いかな」
世間話でもするような口調で、物騒なことを口にしてくれる。
どこの誰だか知らないが、冗談に付き合ってくれてやるような命はないから他をあたれ。
何とか起死回生の方法はないかと荒い息の下で考えるが、名案は出てこない。相変わらず少年の気配は読めないし、自分は重傷だし、このどうしようもない状況に笑いたくなってくる。
―――ごめんなさい、大佐。
そう胸の内で謝ろうとした瞬間、どおん、と上階から派手な爆破音がした。続いて複数の足音。
新たな戦力であることは間違いなさそうだが、敵か味方かまでは分からない。しかし少年は小さく舌打ちをした。
「噂をすれば影?ったく、いいトコだったのになあ。でもま、プライドから軍とは余計な接触を持つなって言われてるし、今日はこれで退散してやるよ。命拾いしたね、少尉サン」
そう告げるなり、やはり気配を感じさせずに声だけが聞こえなくなった。
よく分からないが、とりあえず味方が援軍に来たらしい。だが声をあげようにも腹に力が入らない。
「ハボック!!」
時間にして爆発から五分もたっていないだろう。まさかと思ったが、この場に飛び込んできたのはロイだった。
「…た……いさ……」
「喋るな、じっとしていろ。重傷には間違いないが、私が来たからには死なせない」
「賢……じゃ、の…石……」
何とかポケットに隠した石を取ろうとするが、上手く力が入らない。血を失いすぎて脳が朦朧とするせいか、あちこちの神経までもが麻痺してきているような感覚がする。
ロイがハボックの代わりにジャケットの内側に手を入れて、お目当てのものを引きずり出した。
血で汚れてもその色は変わらない。紛れもなく、賢者の石だ。正確にはその紛い物ではあるが、ハボックにはそんなことまでは分からない。
「!よくやった。これでお前の怪我を治せる」
「………」
こんなところで、死んでたまるか。
意地だけで保っていた意識が、糸が切れるようにことりと途切れた。
ぐったりとした身体に一瞬まさかと焦ったが、微弱ながらも心音も脈拍も残っている。普通の手段では助からないかもしれないが、それを可能にするのが錬金術だ。
錬金術よ、大衆のためにあれ。
外面だけの戯言など、そんなものは簀巻きにしてトイレにでも流し込んでしまえ。自分は自分のやりたいようにやる。他の誰でもない、自分の部下を助けるためなら。その一心しかなかった。
「まさか、もう一度お前の力を借りることになるとはな」
こんな再会になるとは思っていなかった。
ロイは発火布を外し、自分の手の甲に直接、ハボックの血で錬成陣を描いた。
本当は治療系の錬成は専門外なので得意ではないのだが、生体系に関する基本的な公式を当てはめて賢者の石の力で底上げすれば、応急処置くらいにはなるだろう。その程度のこと即興でやってみせなければ、国家錬金術師の名が泣く。
無我夢中で錬成式を構築すると、血の錬成陣が描かれた手に賢者の石を持って、ハボックの腹部に手をかざした。錬成反応特有の緑がかった青白い光があふれ出す。
傷口に触れてみれば、とりあえず止血には成功したようだ。だが失われた血までが造血された訳ではなく、青白い顔をしたままのハボックが予断を許さない状態であることには変わりない。
「死ぬなよ、ハボック」
血まみれで瀕死に近い状態のハボックを目の前にしても、頭は意外と冷静だったが、心は動揺しているのか声は震えていた。
こんなところで死ぬなんて許さない。自分勝手に終わりになどさせてやらない。
「マスタング大佐!」
途中で指示しておいたので、ホークアイが担架を抱えた部下と共に駆け下りてくる。急いでハボックを車まで運んで、病院まで飛ばすように命じる。
この場に残って調べたいのは山々だが、今はハボックのほうが優先だ。残りのことはとりあえず補佐官に任せ、ロイも病院へ向かった。
車の中では軍の救護班の人間たちが、必死にハボックの名を呼びながら輸血をしている。
人体の仕組みについてなら国家錬金術師となる際にみっちりと学んだが、それは単なる知識にしかすぎず、いかすことのできる技術を持たないロイは何をできるわけでもない。
生死の境を彷徨っている部下を目の前にして、自分はただただ無力だった。
勿論、己が万能だとも無能だとも思わない。できないことがあるのは理解している。だから仲間が必要だ。自分にできないことを可能にする仲間が。そして彼らにできないことを自分がする。
けれど、今は傷ついたハボックに対して何もしてやれない自分が無性に苛立たしかった。
何故だろう。これまでだって同じような目には何度も立ちあってきたし、失ったことだって一度や二度ではない。
そんな経験を重ねるたび、やり場なく無力さを痛感するのではなく、彼らを守ることが出来るようにもっと自分は強くなろうと思った。それなのに目の前にいる男に対しては違う。
なんでもいいからしてやりたい。
「ハボック」
湧き上がるはじめての感覚に戸惑うことさえ思いつかず、ロイは無意識のままにハボックの手を握った。
治療をしている人間にしてみれば邪魔だったかもしれないが、意識をなくしている人間に対して、親しい人間が触れて呼びかけることは生への意識を呼び覚ますことに有効だという。
とうとうハボックは意識を取り戻すことがないまま、車は東部中央病院へとつき、集中治療室へと移された。
さすがにそこまでは入ることは出来ない。手術が無事に終わるくらいまでは待っていようかとも思ったが、不安を抱えてまんじりとしているよりも、ハボックが掴んだ手がかりを無駄にしないようにすることが自分の本分だ。
そうはっきりと意識すると気分もぴんと立ってきた。ハボックが目を覚ましたときにはすべて終わらせていよう。
ロイはホークアイからの報告を受け取るために、足早に東方司令部に戻る道を行く。
元国家錬金術師だった男は、すでに消されていると思って間違いない。彼は賢者の石を研究していた。それも間違いない。だが、それに何ものが関与していたのかは分からない。
自分たちの知らない場所で、何かが動き始めているような感触はしこりのように残るが、今はこれ以上下手に動かないほうがいいだろう。今はまだ。
「いつかすべてを白日の下に晒してやるぞ」
睨みつけた太陽は、無言のまま地上を見下ろしていた。
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