あらしもやまない/11
このままここにいても、復旧するよりも日が暮れるほうが早いだろう。
それならば何か手がかりを探してみようと、ハボックは駅員に少し街へ行くとだけ告げて、駅を後にした。
件の男はやはり珍しい余所者で、しかも片足が義足となれば相当目立っていたようで、少し聞いてまわれば何人か記憶にある人間に行き当たった。彼はここに腰を落ち着けるつもりはなかったらしく、街の中心に唯一ある宿屋で寝泊りをしているという情報を得た。
早速そちらに向えば幾分とうのたった女性が、つまらなさそうに店番をしていた。
しかしそこそこハンサムで若い男が入ってきたと見るや否や、唇を三日月形にしてにこやかに挨拶をしてきた。
客じゃなくて悪いんだけど、と前置きしてからここに宿をとっているはずの男の所在を尋ねれば、また思いがけない返事が返ってきた。
「その人なら、一週間くらい前に突然いなくなっちゃったわよ。三ヶ月分は宿代をもらってたから私は気にしてなかったけど、母さんが気味悪がるし、さすがに憲兵に連絡したほうがいいのかなって考えてたのよ。そしたら二日前に知り合いって人が、急用で引き払うことになったからって荷物引取りにくれて、どうしようかと思ってたから助かっちゃった。前払いでもらってた宿代も返金しなくていいって言うし」
もう最後のほうはよく聞いていなかった。
何かが掴めそうになるたび、蜥蜴が尻尾を切るようにすり抜けていってしまう。
ロイが危惧していたとおり、今回の事件は何か得体の知れないものが関与している気がしてならない。
この辺りで手を引いたほうがいいのだろうか。意地になるようなことでもないはずだ。
だが、ロイがこのまま放っておきはしないだろうと思うと、引っ張られるように足が向いてしまう。
「その男のことなんだが、どこかに出かけたりしてなかったか?それともずっと部屋に引きこもっていたのか?」
食い下がるハボックに女はようやく怪訝そうな表情を向けたものの、刺激の少ない街に飽いているのか、そのことについては特に触れずに相手を続けた。
「だいたい篭もりっきりで、部屋の掃除もいらないって言われたわ。出るときは食事くらいだったしね。ああ、でも私は知らないけれど、母さんが街外れのほうに歩いていくの見たって。あっちのほうに行っても随分前に潰れた廃工場があるだけだし、気のせいじゃないって聞いたら、たまに部屋で誰かとしゃべってるような声もしたから絶対頭が変な人だって、それで嫌がってたのよ」
「その廃工場さ、子供が遊びに使ってるとか、言葉は悪いけど、チンピラみたいなのがねぐらにしてるとか、そういう可能性はないのか」
「ないんじゃない?チンピラだってもうちょっとマシな街選ぶわよ」
「ありがとう。参考になった」
お礼を言って出ようとすれば、女はカウンター越しに手を伸ばしてハボックの腕を捕まえた。その目は明らかに好奇心で充たされていた。
「ねえお兄さん。あなたあの男の知り合いなの?」
「いや」
「それじゃあ探偵?憲兵?」
「俺は軍人だよ」
口にした途端、するりと女の手は離れた。田舎では軍人はあまりいいイメージを持たれていない。
特にイシュヴァールのことがあり、国家錬金術師による殲滅戦のことは一般人には公にはなっていないが、長引いた戦争による国の疲弊はこんな田舎にも響いている。
あからさまに疎んじるような顔はしなかったが、係わり合いになりたくないという意思ははっきりと分かる。
ハボックは最後の会話はなかったように宿を後にした。
火のついた煙草を銜えて、件の廃工場へと向う。
駅からまっすぐ続く繁華街以外は、たまに子供のかん高い声が響く以外どこも静かな様子で、男がかつて暮らしていた街と見分けがつかないほどだった。
イーストシティはもっと賑やかだし、故郷の村にしたってここよりは活気があると思う。何か目的があって、わざとこんな場所を選んでいるに違いない。
女の言葉通り街外れにある廃工場は、遠目に見る限り工場というよりも倉庫のようだった。
窓が殆どなく、建物自体も四角い箱みたいに無骨なものだ。周囲には家などはなく、工場の中で何があっても人の目は殆どなさそうだった。
あまり周りをうろうろしているところを見られたら怪しまれる。それでなくとも余所者というだけで充分怪しい。
ハボックはざっくりと周囲の観察が終わると建物の内部へと侵入する。
入り口は鎖で雁字搦めにされて鍵がかかっていたが、すぐ傍に硝子が割られた窓があった。
誰かが出入りした跡だろう。銃弾を無駄遣いはしたくないので、ハボックもその誰かにならって窓から入った。
建物の中は、無人となって久しい寒々しさと埃っぽい汚れはあったが、想像していたほど荒れた様子はなく、時折捨て置かれたままの机や棚があるが、閑散としているという印象のほうが強い。一通り見てまわったが特にこれといったものはなかった。
やはりそう上手くは行かないかと、廃墟を後にしようとしたとき、何か背後から小さな音が聞こえた。
鼠の類かもしれないが、気になって音のしたほうへ足を向けてみると、先ほどは気付かなかったが、床の一部が何ものかが開け閉めしたかのように赤茶色に変色していた。屈みこんで手をかけてみる。
力を込めて引いてみると上開きになっており、予想通りそこには地下へと続く階段が存在していた。
開けた隠し扉以外光が入らないのか、暗い地下は底がかろうじて見えるもののそれ以上は降りてみないと分からない。
罠の確立は半々といったところか。
すぐに引き返したほうがいいかもしれないが、罠だとすればもしこれから東方司令部に連絡を入れて軍が到着するのを待っていたら、その前に手がかりは消え失せてしまうだろう。
近距離に殺気は感じられないので、いきなり四方を敵に囲まれる可能性もなさそうだ。せめて尻尾なりとも掴んでからのほうがいい。一瞬でそう決断を下すと、ハボックは暗き影へと踏み込んだ。
地下に降りたつと、湿っぽい濁った空気が辺りを覆いつくしていた。
次第に目が慣れてくると、壁も上の建物は打ちっぱなしのコンクリートであったが、地下は何かの実験施設であったかのように金属で更に覆われている。等間隔で扉が並んでおり、その整然とした様子はハボックにも馴染み深い場所に似ていた。
すなわち、刑務所。
近くの扉を開けて中を覗いてみたが、椅子一つない部屋があるだけで、ここで何が行われていたのかまでは分からない。他の部屋も見てみたが、どれも同じような有様だった。
それよりもさきほどから気になっているのが、地下一帯を覆っている臭いだった。
「……鼻が曲がりそうだ」
酷い腐臭がする。下水道に何時間も潜んだり、腐乱死体の解剖に立ち会ったり、大概な経験はあるハボックでも思わず鼻を覆ってしまうほどの強烈な悪臭だった。肺までもが腐ってしまいそうだ。
間違いない。近くに動物か人間か、両方かもしれないがとにかく大量の生物の死体がある。
その臭気は奥に進むほど強烈になり、目的の場所が近いことを本能に告げてくる。
やがて、鉛色の扉の前にハボックは辿り着いた。警戒しながら足を踏み入れると、中はだだっぴろい小さなホールほどの大きさの部屋だった。
汚臭の源はすぐに目に付いた。というよりそれしか視界に入ってこない。
おびただしい数の人間の死体だった。
戦争を体験していないハボックはこんな数の死体を一度に見たのははじめてだった。生理的な嫌悪感は抱くが、人の死体を見て恐怖するという時期はとっくに終わっている。
それに、どちらかというとその手の情緒が人より鈍く出来ているらしく、年齢の割には落ち着いていると言われることもしょっちゅうだ。
五体満足なままの死体もあれば、原型を留めていないような酷いものまである。どちらにしろ、死んでいるという一点において変わりはないが、できればこういう細切れの死体にはなりたくない。
止まって調べたいところだが、これは援軍を呼んでおいたほうがいいだろう。部屋を出てから地上に戻ろうと踵を返したところで、粘りつくような嫌な気配を感じた。
洗練されたというより、寧ろどんよりくぐもったような殺気。
足を止めたのはまばたきするにも満たないほどの時間で、咄嗟にそのまま全速力で更に奥へとハボックは跳んだ。さきほどまで自分が立っていた場所に数発の銃弾が打ち込まれ、抉れたコンクリートの破片が跳ねた。
リボルバーを構えつつ、曲がり道に入り込んでとりあえずの盾を確保。下手に部屋に入ってしまうとよほど広い部屋でないと、手榴弾などを投げ込まれてしまえば一発でアウトだ。
その間に、ぞろぞろと蟻が列をなすように、ざっと十五人ほどの男が階段を降りてきた。
最初の銃弾はハボックを狙ったというよりも、階下から遠ざけるのが目的だったようだ。もしも階下にいたままだったら、銃で狙えば間違いなく一人ずつ楽に殺せている。
男達の年齢は二十代後半から四十代半ばまでまばらで、人種も一定ではなさそうだったが、全員同じように澱んだ目をしていた。素人ではないだろうが、素人に毛が生えた程度の相手だろうと見当をつける。
狭い階段ならまだ戦いようもあったが、廊下は平坦でしかもあちこちに分かれ道や障害物となり得る部屋の扉などがあるため、多勢に無勢の状況では混戦になりやすくあまり戦場にはしたくない。
しかし闇雲に逃げ回っても地理勘のない自分では、下手なところに追い詰められかねない。
結局ハボックが思いつく限りで一番いいのは、あの死体が転がっている部屋だった。あそこならそれなりの広さがあるので追い詰められることなく戦うことができる。
背を向けて走れば、男たちはすぐさま追ってくる。そのままあの鉛色の扉を開くと肺まで腐りそうな臭いに眉を顰めるが、自分が死体になるよりはマシだ。
ある程度の距離をとって追ってきた男たちは、部屋の中を見ても驚かなかった。
「こいつを見られたからには、返すわけにはいかないぜ」
悪役の台詞に気の利いた言葉を期待しても仕方ないとは思うが、それでももう少しくらい頭の良さそうなことは言えないのだろうか。
「……何だかなあ」
銃口を向けられてもハボックは少しも慌てる素振りを見せない。
逃げられそうならば逃げようと思ったが、ここ以外に出入り口はなさそうだし、倒すしかないと腹を括る。
その様子に苛立ったのか、声をかけてきた男はためらうことなく引き金を引いた。
ためらいがないということは人を殺すことに抵抗がないということ。間違いなく地獄に落ちてもいい類の人間だ。
相手との距離は約二十メートル。ハボックは一歩も動かなかった。だがそれは相手との距離と銃口の弾道を計算した上で判断したことで、弾丸はハボックをかすりもしなかった。
勘違いしている素人は多いが、拳銃はもともと中・遠距離戦には向かない武器なのだ。
刃物などに比べれば多少の距離は開いていても問題ないが、指だけで銃身を支えなければいけないという特性があるため、ライフルのようにしっかりと目標を捕らえにくく、射程範囲内でまっすぐに撃ったつもりでも意外なほど当たらない。どちらかというと十メートル前後の近距離用武器と考えたほうがいい。
「くそっ!」
それでもめげずに引き金を引き続けるが、はっきり言って弾の無駄遣いだ。ハボックは最小限の動きでそれらを避け、リボルバーの照準を目の前の男に合わせた。
「悪いけど、俺はプロだぜ」
素人に毛が生えた程度ではあたるはずもないが、言葉通りプロとは話が違う。
両手できちんと構えれば三十メートルくらいならば問題ないし、片手でも十五メートルくらいならば当てられるだろう。余談だが、いくら凄腕であろうと五十メートル以上離れると、拳銃の殺傷能力自体が殆どなくなってしまうので、意味はない。
撃鉄を起こして引き金を引く。乾いた音がして目の前の男の眉間に穴が開き、念のためにもう二発心臓と腹に打ち込んでおく。
周囲の男たちが反応する前にすばやく横へ移動しながら、あと三発、他の標的に照準を合わせてそれぞれ急所を狙った。たったの六発で四人が絶命する。
これくらいの実力差を見せ付ければ、もっと浮き足立ってくれるかと期待していたのだが、相手はまるで怯んだ様子も見せずにそれぞれ獲物を構えては突進してくる。
薬か。
これはロイにも秘密にしていることだが、東方司令部に来る前、どちらかといえば柄の悪い連中との付き合いの多かった時期に少しばかり試したことがある。
手が付けられないほどはまる前に、こんなものかと興味のほうがつきてしまったのだが、確かにあれは使い方を誤れば、いや、正しく使えばかもしれないが人間を簡単に廃人にし、思いのままに使えるようにすることもできるだろう。
喉の奥に苦いものを感じながらも、聖人君子でない自分は見ず知らずの奴のために殺されてやれる訳にはいかない。それにここまで症状が来ていたら、今更薬をやめたところで普通の生活に戻れないどころか、もう命だって長くはないだろう。
六発撃ったところでリボルバーをホルスターに戻すと、続いてオート・ピストルを取り出して安全装置を外す。
すぐに撃てるようにスライドはひいた状態にしていたので、そのまま引き金を引いてセミオートで弾丸を叩き込んだ。たちまち三人が倒れる。
そこでようやく正面から向っても駄目だと悟ったのか、敵が三方向に展開した。
いくらハボックでも周りを囲まれると危ない。一つずつ相手しようと、後退するのではなく裏をかくために真正面へ突っ込んで、残りの銃弾を撃ち込む。全員が倒れる前に引き金がかしゃんと軽い音をたてて銃声が止まった。
弾切れでホールド・オープンしている。相手はその隙を逃さずに次々と乱射してくるが、場数ではハボックとて負けてはいない。東方司令部司令官の左腕は荒事には滅法強い。
冷静にベルトに仕込んでいたナイフを引き抜いて、勢いを殺すことなく一気に相手との距離を詰める。
ハボックは通常、軍での戦闘時は、拳銃よりも好んでライフルを使うことが多い。特に中距離に強く破壊力のあるアサルトライフルは、銃での一撃必中よりも、敵を撹乱するために弾をばら撒いて接近戦に持ち込む戦闘スタイルを得意とするハボックには、なくてはならない武器だ。
凄腕の狙撃手であるホークアイにはあまりいい顔をされないが、自分には彼女ほど狙撃の才能がないので、その分は身体能力でカバーするしかない。
接近戦の距離に入ったところで、少し力を入れて頚動脈を一線で切り裂き、振り返りざま回し蹴りの要領でもう一人、首の骨をへし折っておく。この技は威力は高いがそれに伴って動作も大きくなるため、外したときの隙も大きいという理由から、正式な軍隊格闘術には採用されていない。
だが反射神経がずば抜けて高く、殆ど我流に近い格闘術を駆使するハボックは技と技の間の隙が極端に少ないため、このような大技を使ってもその長所が充分に生かせる。
その間に片手で空になったマガジンキャッチを落とし、ポケットから出した新しいマガジンを装填、スライドストップを解除。時間にしてわずか五秒。
血のついたナイフをベルトに戻すと、再び満タンになった銃弾で至近距離から頭を狙って撃ち込む。
これは士官学校で習ったことでは一番役に立っている知識で、一発で敵を仕留めたい場合、心臓よりも頭を狙うほうがずっと効率がいい。心臓だと上手く狙わないと殺し損ねる確立が、頭を狙ったときよりも大きい。
数的不利を打開するためには、確実に仕留めなければならないと本能が囁きかける。
集中力が研ぎ澄まされ、心臓が正しく脈打ち、血がざわざわと騒ぐ。意識よりも感覚にすべてを委ねる。
まるで、原始の生き物に戻ったように。
人を殺すのが楽しいと思ったことはないが、この感覚は抗い難い恍惚をもたらす。周囲が思っているよりも、ずっとぎりぎりの場所でハボックはいつも戦っている。
敵の数が数えられるほどに減った頃、倒れた人間お向こう側にもう一人、視界に入ってくる。
何の染料を使っているのか知らないが金髪の一部を赤く染めており、自分とさほど年の変わらない青年だった。
おそらく、他の人間より強い。仲間の死体を躊躇いなく盾に使って、やや小振りの三十八口径の銃で的確にハボックの頭を撃ち抜こうとしていた。
わざと地面に倒れこんでその一撃を回避する。続けざまに雨のように放たれる銃弾を転んで避けるが、避けきれなかった一発が肩口をかすって血が滲んだ。しかし今はその痛みの相手をしている場合ではない。
いいようにやられっぱなしでいられるかと、反撃に出るため倒れこんだままの体勢から後ろにバック転をして跳ね起きる。青年はその間に銃弾が切れた一艇目の銃を投げ捨て、二挺目の銃をハボックに向けた。
ハボックも手にした銃で狙うが、肩に受けた傷のせいで若干だが弾道がずれる。
十秒ほど撃ち合いをしたところで、一人で奮闘していたハボックのオート・ピストルが再び弾切れを起こした。
思わず舌打ちする。予備のマガジンはまだあるが、その隙を見逃してくれるような相手ではない。
唸るような銃声の後、倒れていたのは赤い髪の男だった。
咄嗟にリボルバーを抜いたハボックの銃弾に、その頭部を吹き飛ばされていた。
リボルバーは六発が主流であることは、銃を使うものなら知っている。だからこそ三倍近くが撃てるオート・ピストルが開発されてここ数十年主流となっているわけだが、今回はその知識が仇となったのかもしれない。
ハボックの持っているリボルバーは七発撃てるのである。
もしもの時のために最後の一発を残しておくのは、軍人の習い性みたいなものだ。
銃弾ひとつで人は死ぬ。その金属の塊の重みが、今更腕を痺れさせた。
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