あらしもやまない/10
『鋼のが耳にしたら飛びつきそうな話だな』
お手柄だと、根性の捻くれ具合なら大陸一と親友に言わせた男が素直に感心の声を上げた。
ハボックの話は、実際その石を使用したことがあるロイを納得させるには効果があったらしい。
軍が秘密裏に研究していた不完全な賢者の石を実際目にしたものはそう多くない。
石について一番詳しかったと思われる結晶の錬金術師は現在消息不明で、石の精製法も彼と共に謎ということになっている。
だが、不完全だとしてもそれがどれほど力をもったものだったかは、東部内乱に関する資料などからでも容易に想像できる。利用方法はどうであれ、錬金術師にとって魅力的な代物であるのは間違いない。
男が人目を避けていた理由は推測ではあるが、賢者の石がらみだとハボックは半ば確信を抱いていた。
何せロイのお墨付きだ。
「でも肝心の奴の行方は分かんないんスよね……」
『不慮の事故などではないだろうな。何者かが一枚噛んでいるはずだ』
「軍の監視を逃れるにために、このタイミングで消えちまうほうがかえって怪しいですもんね」
『だとしたら、軍以外の人間が絡んでいる可能性も視野に入れなければならなくなるな』
数瞬ロイが押し黙った。過去の事件を反芻しているのだろう。
軍としても最重要機密事項であり、本物に関しては伝説の代物なので大っぴらにはできないが、鋼の錬金術師から賢者の石に関する情報はいくらか流れてくる。
「大佐、その賢者の石ってそんなに一般に知られてるものなんですか?」
『伝説としてなら国家錬金術師でなくても錬金術師なら知っている。だが、軍で研究していたこととなると軍の中でもかなり限られてくる。東部内乱に投入された国家錬金術師数十人に絞られるな』
苦々しい声でロイが言う。無意識にでも東部内乱のことを思い出しているのだろう。
こんな時だ。胸を掻き毟るようなやるせないものがこみ上げて来るのは。
自由な環境で育って来たおかげか、ハボックは基本的に物事に執着しないし後悔もあまりしないで生きてきた。
けれどもしも時間を巻き戻せるとしたら、どうかあの戦争をこの人だけに味あわせたくないと思うのだ。
戦争を好きだと思ったことはないし、命を奪うことに対する罪悪感は完全には抜けていない。
それでも、焼き尽くすような激しい熱に理由を求めるのなら、あの戦争しかないと思う。
せめてその焔に彼だけが傷つくことがないように。
だがやたらに胸を逆なでする苛立ちの理由は分かっているのに、その解決方法だけ分からなかった。
言葉を捜して頭の中で逡巡していると、返事を求める間もなくロイが興味をなくしたように、所詮完全な賢者の石など我々が目にすることはない、と打ち切った。
それはロイが時折見せる、無防備で真摯で、絶対の自我だった。
憎まれ口を叩き嫌われ役を自ら買って出ながら、本当は誰よりも淋しがり屋。
それでも胸のうちを抉る傷の深さだけ、甘えたり依存したりすることを彼は許さない。英雄というオブラートに包まれて、彼が奪ってきた命の重みを他者に預けることはしない。
それを自分のこと以上に誇らしいと思う反面、少しくらい自分に預けてくれればいいとも思っている。
親友ならもうちょっと上手に彼の甘えを引き出せるのだろうが、付き合いも短い上に年下だという事実は、ことのほか彼のガードを固くさせている。対ロイマニュアルはまだまだ発展途上だった。
電話越しの声はそんな微妙な男心などまるで気付かない様子で話を戻した。
『詳しい現場状況は、あとで現地の憲兵に資料を送るように指示してくれ。もう現地捜査をしても無駄のようだ』
「了解。それで俺はどうしましょう」
『帰ってきていいぞ』
「……は?」
突然の言葉に思考能力が追いつかない。すると煩わしそうに内容が復唱される。
「いいんスか?」
『いいも悪いもお前がそこにいても無駄だろう』
「でも監査の仕事は」
『実際上層部はそれほど監査に重きを置いているわけでもない。適当に報告しておく』
「でも」
『お前が心配する必要はない』
なおも言い募ろうとすると、ぴしゃりと言いつけられて黙らざるを得ない。
一般人が賢者の石に関わるのはリスクが大きすぎる、とロイは言いたいのだろう。
過去にも賢者の石に関する噂は少なからず存在した。
その殆どが単なる作り話だったが、実際に表沙汰になったものは今でも迷宮入りになっている事件が多い。
エルリック兄弟の動向をロイがことさら気にかけているのもそのためだ。
多少の危険なら覚悟の上だが、部下をみすみす危険にさらすことをロイは良しとしなかった。
また負担になっている。この人の力になりたいと思うことが、逆にロイを孤独に追い詰めている。
大丈夫だから。ひとりになんてしないから。
何の確証もなかったけれど、多分自分はロイと関係ないところでは死なないだろう。
柄にもなくこの人のためなら死ねると思っている。そんなのは真っ平ごめんだと返されるだろうけれど。
今は、ただ抱きしめたい。




受話器を下ろすと、ロイは椅子に深く凭れかかる。
いつもなら陽射しが差し込む時間であるが、空にはハボックが旅立った翌日からずっとどんよりとした雲がかかっていて、昼間だというのに部屋は薄暗かった。
先ほど耳にしたことと、それまでに調べて分かったことを照らし合わせて考えれば、そこから導き出される答えはひとつだ。
即ち、賢者の石の生成。
事態は想像していたよりも、ずっと複雑なものになっているのかもしれない。
まだ四年前、もう四年前。どちらが相応しいか、今が一番中途半端に思える四年前のある日、イシュヴァールの戦いの終戦直前に不完全なものではあるが、ロイは軍から支給された賢者の石を使い、街ひとつを一晩で焼き尽くした。
中には賢者の石の力を使いすぎ、リバウンドが起きた者もいたが、残った賢者の石はすべて軍に回収され、その後破壊されたのか保管されているのか、それともまだ密かに使われているのかは明らかにはされていない。
ロイもそれとなく探ってみたこともあるが、殆ど有益な情報は得られなかった。
まるで賢者の石そのものがなかったかのように、完全に存在が消されてしまったのだ。
勿論、石を支給された国家錬金術師たちはきつく口止めされている。万が一漏らすようなことがあれば、自身の命は当然、死よりも苦しい罰が与えられることになるはずだ。
今このタイミングで再びそれが表舞台に出ることになれば、第二のイシュヴァールの内乱が起きるであろうことは、火を見るよりも明らかだ。
何かが起こっている。
キング・ブラッドレイが大総統の椅子についてからというものの、この国は戦争が多くなったが、イシュヴァールの内乱までは歴史の中にしばし起こりうる程度のものだと考えられた。
だが、あの内乱は発端からして随分と妙であったし、一応の終結を見た今となっても、アメストリス各地からは血の臭いが耐えない。
もどかしいが、今のところ自分に分かっていることは殆どないと言ってよかった。
適度に牙を出しつつも、飼い殺しにされながら野望のために地道に軍人を続けるしかない。
考えなければならないことは山のようにあったが、それでもここ何日かの忙しさが少しは落ち着き、ベッドでまともに睡眠をとれたおかげか気持ちは大分安定していた。
会議の予定もなく急ぎの書類は午前中に片付けていたので、傍らに置きっぱなしにしていた新聞を取り上げる。
東方司令部の司令官代理などしていると、大概の事件は新聞に載るよりも早く耳に入ってくるものだが、どこでどんな情報が役に立つか分からないので、日々めぼしい新聞は目に通すように心がけていた。
適当にめくっていると、片隅に行方不明という記事が見えた。
何か頭にひっかかって文字を拾っていくと、東部のイーストシティから南東に何キロか行った街で、行方不明者が出たというものだった。
ふと既視感を覚えて、処理済の書類をひっくり返してみると探していたものがあった。
ここ最近、東方司令部管轄の地域で突然人がいなくなる事件が多いのだ。
しかも、多くのものは身寄りがなかったり、家族と離れて暮らしていたりするために、すぐに発覚せず一ヶ月ほどたってようやく、周囲のものがおかしいと気付く始末。
それで東方司令部に特別対策部隊を立ち上げることになったのだが、自分がハボックに調査を命じている男も行方不明になっている。
多発する行方不明事件。一ヶ月たった今になってようやく表沙汰になっているという時期の一致。
気にしすぎかもしれないが、軍人も長くしていると事件に対して鼻がきくようになる。
ロイは新聞の記事を大雑把に手で破いてから、承認済の特別部隊設置の書類をホークアイに渡した。
「ホークアイ中尉。いますぐこれを調べてくれ」
美貌の副官は何も聞かずに、イエスとだけ答えた。




長かったようなそうでもないような、五日ぶりにイーストシティへの帰路についたハボックだったが、一日にたった三便しかない列車の最後の便に滑り込んだまではよかったが、駅を出てから一時間弱。
次の駅に停車したきり動かなくなった。窓の外で駅員と乗務員が行ったり来たりしている。
じっとしていても事態は変わらないので、ハボックも車内からホームに降りて、手近にいた駅員をつかまえた。
「何かあったのか?」
「すみませんね。今入ってきた情報なんですが、この先で線路が駄目になったようでして」
駅員の話を要約すれば、季節はずれの帰省の発端となった大雨のせいでゆるくなっていた地盤が、時をおかずして再びイーストシティを中心に降り出した雨に、ついに線路の一部が決壊してしまったとのことだった。
「こいつもついてねえなあ」
車両から降りてきた機関士が、駅員とハボックに近付いてきた。
浅黒く健康的な肌の、三十代後半といった風情の男だ。機関士らしく、捲られた袖から覗く腕には見せかけではない逞しい筋肉がついている。駅員とは顔見知りらしく、本当ですねと穏やかに返していた。
一人蚊帳の外になってしまったハボックに気付いて、駅員は苦笑交じりに説明する。
「つい一ヶ月ほど前に、この街に来る途中で同じ汽車が故障して、立ち往生してしまったことがあったんですよ」
はじめはセントラルシティと各地の重要都市を結んでいただけの鉄道も、ここ数十年で格段に整備を整えていた。
まだ一部の特権階級の乗り物である車を持てない一般人であっても、早く気軽に遠出ができるようになったが、技術者はまだまだ人手不足の状態で、どこかで事故が起こるたびに何日も汽車が使えなくなってしまうなんてことはよくある。
かといって悠長に復旧するまで待っているわけにもいかないし、幸いなことにハボックは軍人だ。地理的にもイーストシティからさほど離れてはいない。
司令部に連絡を入れて車を出してもらえば、今日中に帰ることができるだろう。そう頭の中で段取りをつける。
「そういえばあの時の、もうここは出たのか?」
「言われてみれば……私が勤務しているときには出て行かれるのは見たことないですね」
「いるんだったらまた頼んでみたらどうだ」
「あの時のって、誰だ?」
「ああ。立ち往生した時、たまたま乗り合わせていた中に錬金術を使える方がいて、おかげで線路上で夜を明かすことなく済みましてね。その人はこの駅で降りたんです。ここは観光名所もない田舎町だし、誰かに縁のある人なのかなって思ったんですが、街の人に聞いてもどういう素性の人か結局分からないままですが」
「ふうん、それってまさか、金髪で派手な赤いコートのガキとかじゃなかったよな」
「いえ。大人の男性でしたよ。特徴的ではありましたけどね」
「どんな?」
知り合いの小生意気な少年を思い出し、つい口にしてしまったが、そういえばロイに彼は今イーストシティよりも更に東へ行っていると聞いた気がする。
そのまま何の気なしに相槌を打っていたら、機関士の口から予想外の言葉が出てきた。
「片方の足が義足だったんだよ」
「……なんだって?」
予想していなかった方向に話が動いたのに気がついて、ハボックは間抜けな声をあげた。
別の街で消えた男によく似た特徴のある男が、同時期に別の街に現れたことは、偶然とは思えない。
それに時期もあっている。どうして男が元居た街を捨てて、しかも自分がいた痕跡まで綺麗に消したのかまでは分からないが、一度は途切れてしまったと思った道が再び見えてきた。
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