有邪気/14
殺そうと思った。
それは己の内にある身勝手で都合のいい幻想だったかもしれない。
けれど刃を向けた瞬間、梵天丸を殺してその存在を奪われたくないという欲望を抱いた。
何にも興味を抱けなかった小十郎にとって、生々しい興奮だった。多分、剣を向け合ったり誰かと情を交わしたりするよりもずっと。
こんな古臭いだけの城の中に閉じ込もったまま、いつか誰かに、たとえば義姫のために梵天丸が自分の前からいなくなってしまうのであれば、いっそのこと今。
死んでもいいと思った。
彼を殺して自分も死ぬ。もう何ものにも傷つけられることはない。
保身や損得を考えて、躊躇したり迷ったりする自分になりたくなかった。
指先一本分の隙間を開けて、鋭い銀の光をまとう刃先が止まる。
あと少し勢いをつければ柔らかい皮膚に達する。一思いに突き刺してしまえば、それほど苦しませずに済むだろう。
「怖いのか」
ふいに声をかけられ、意識が引き戻された。
大人しくしていた梵天丸が目を開いて、小十郎を見あげている。鋭く凛とした眼差しがずっと遠くから俯瞰するように見据えている。水分を帯びた球体の表面がつるりと光る。
口の中が乾いて声が出なかった。
怖かったのかもしれない。この世界からこの声が、この目が、この人がなくなってしまうこと。閉ざされてしまうこと。
ここですべてを終わりにしてしまえば楽にはなるんだろう。
でもそんな形でこの想いを成就させて、一体誰の望みが叶ったことになるのだろう。
暑い夏の日、自分が見つけたのは簡単に叩き割れるような硝子玉ではなく、金剛石の原石だったはずだ。
ほんの一瞬よぎったひとりよがりな物思いで、その輝きを曇らせてはいけない。
「安心しろ。誰にも、俺を傷つけることなどできやしない」
小十郎の迷いや葛藤など全部見透かしたように、ふわりと緩やかな声で囁く。
刃を向けられているのがまるで自分のような錯覚までわきあがる。
大きく息を吸う。左手を構えなおす。死なせやしない。
貴方の行く道が、光のある方向へ続いていますように。どうか幸せに。
大きく息を吐き、肌を切り裂いた。
「……っく、あ……ぁ…っ!」
か細い悲鳴が梵天丸の喉から上がった。
盛り上った右目に刃を突き立て、力を込める。肉を斬るのとはまた違う酷い感触だった。
おぞましい光景に気を弛めれば投げ出してしまいそうになるが、梵天丸はそれ以上の痛みに耐えているのだ。こんなところで自分が負けては駄目だと叱咤して切り取った。
抉り出された眼球が鮮血と共にどろりと眼窩から流れ落ちる。
「梵天丸様!気をしっかりお持ちください!」
激痛と出血に失神しかけている梵天丸の名を呼び、何とか意識を引きとめる。
泣き叫びはしないだけさすがだったが、それでも痛みは耐え難いのか呼吸が荒く浅く、苦悶の声がひっきりなしに漏れている。小十郎は脇差を捨てて手を休めることなく傷口を洗い、血止めの処置を行なった。
「死んではなりません。貴方は、生きるんです。梵天丸様」
「……じゅうろ」
「ここにおります。俺はここに」
こくりと小さく頷くと、そのまま左目が力なく閉じられる。
致命傷には到っていないはずだが、医学の心得のない小十郎には確かなところは分からない。もしも梵天丸が死んだらその時は、自分も供をするだけだ。冥途へ一人ではあまりにも淋しい。
どんな暗闇の中でもどこまでも付いてゆこう。それが自分に出来る唯一の覚悟だ。
気分はさきほどよりも随分と落ち着いていた。
軽い身体を抱き上げ、部屋を出る。後はもう梵天丸の生命力を信じるしかなかった。
階段を降りたところで血塗れの二人の姿にやってきた梵天丸の小姓が腰を抜かした。
「梵天丸様!? 景綱、何があったのだ!」
後ろから顔を覗かせたのは綱元であった。
小姓や侍女を除けば、自分以外の臣下がここを訪れることなどはじめてである。
だが今はそんなことを問いただしている場合ではない。
「薬師を呼んでください、綱元殿」
綱元のほうが問いたいことは多かっただろうが、低い小十郎の声にその場は頷いて引き返していく。
すぐさま薬師が呼ばれ治療が施された。出血は酷いが命には別状はないとの診断にひとまず安堵する。
しかし梵天丸は依然として意識を失ったままで、予断は許されない状況にあった。
普段は忌み子として避けられる梵天丸であるが、さすがにこの話は風のように伝わって城内を騒然とさせた。
小十郎ただ一人が、冷静だった。
丁度輝宗は家臣たちを連れて外出をしていたところで、ひとまず綱元が場を収めるのに奔走している。
その喧騒も小十郎にとってはどうでもいい話だった。ただ昏々と眠り続ける梵天丸だけを見る。
話して、触れて、想って、息をして。まだ終わりじゃない。始まったばかりだ。
梵天丸と出会ってからの日々は楽なばかりではなかったが、己の境遇を言い訳に全部を諦めたふりで生きてきた小十郎にとってはじめて、損得ではなく自分以外の人間に向き合えた時間だった。
救いを求めているんじゃない。退屈も不安も、前に進む力に変えたい。
その先にあるものがなんであろうと構わない。理由も損得も関係なく、ただ生きて欲しいだけだ。
父でも母でも誰のためでもなく、梵天丸自身のために。
緘口令を敷いて事態をひとまず落ち着かせた綱元が戻ってくると、梵天丸の眠る部屋の前で正座をして待つ小十郎の横に座り込んだ。
「何があったのかは今は聞かない。だが景綱、お前は大丈夫なのか?」
「俺が自分の意思でやったことです。覚悟はできてます」
「喜多は承知しているのか」
長らく顔を会わせていない義姉の顔がふとよぎる。男勝りで腕も気も強い女だが、人一倍情に脆い。
小十郎が死んだら悲しむだろう。でも小十郎が覚悟を決めてやったことだと知れば分かってくれるはずだ。
男の勝手な言い分だなと、母親代わりとなって導いてくれた義姉に申し訳ない気持ちもあったが、一度決めたことを曲げたりしたらそれこそ殺されかねない。
「以前綱元殿は俺の剣に志がないと言いましたね。俺は多分、やっとそれを見つけたんです。しばらくは窮屈な思いをさせるかもしれませんが、姉上ならばきっと認めてくれると思います」
「そうか。なら私も余計な口を差し挟むのはやめよう」
多くを聞いてこない綱元の心遣いが今は有難かった。
ずっと一人で生きていたような気がしていたけれど、自分は一人ではなかった。
手を差し伸べるだけが優しさじゃない。黙って見守ってくれる人がいる。信じて待ってくれる人がいる。
そんな遠回りの果てに、守りたいものができた。
何も持っていなかった自分に憧れや恐れや渇望を与え、引き換えに小十郎の中の自由を奪い取っていった。
体感時間が早いのでいつの間にか通り過ぎていて、気がついたときには元いた道ははるか彼方にあり、その道行きがどんなものだったか、ここからは目を眇めて見ることすら出来ない。
きっと同じように、自分も梵天丸に何かを与えて何かを奪い取ってきたのだろう。
満たし、満たされるような上等なものじゃない。奪い、奪われ、心の隙間を隠して、感情を投げつけあって、その傷が癒える前にまた新しい傷をつけて。そうして少しずつ相手の中に自分を残して。
消えない、消せない。だからこんなにも離れられない。
西の空を焦がした太陽はもう瞼を閉じ、薄く透きとおった紺碧の夜が目を覚まそうとしていた。




輝宗が戻るのを待たず、小十郎は自室で謹慎するように言い渡された。
本当は梵天丸の意識が回復するまで待っていたかったが、刃を向けた以上仕方ないだろう。
小十郎に対する重臣たちの声はいずれも厳しいものだった。主君の目を抉った不忠に対して、すぐさま打ち首だとか切腹だとかすっかり罪人扱いである。
綱元から話を聞いた鬼庭左月が他の人間たちが先走ろうとするのを止めていなければ、無傷ではすまなかったかもしれない。
夜半輝宗が戻り、十数人の重臣たちが待つ部屋の中へ小十郎は連れて行かれた。
二十以上もの瞳が一斉にこちらを向き、容赦ない非難が浴びせられる。
日頃は近寄ることも、近寄らせることもしないくせに好き勝手なことをと冷ややかな感想を抱いただけで、小十郎は怯むことなくまっすぐ前を向いて上座に座る輝宗を見た。
嫡男の傅役という立場ではあるが、小十郎の地位はまだ最下層に近く通常当主の前に出ることなどない。
「皆の者、殿の御前であるぞ。静かにせい」
左月の重々しい声が響き、ようやく場が静かになる。
小十郎が下座に正座をすると、輝宗は相変わらずの穏やかな様子で口を開いた。
「久しいな、景綱」
「ご無沙汰しておりました」
「しばらく見ぬ間に凛々しい面構えになった。梵天丸の傅役としてよくやってくれていることは、方々から聞き及んでいる」
「勿体無いお言葉でございます」
我が子を傷つけた家臣を前にしてこれほど鷹揚な態度をとれるとは、やはり人の上に立つだけの大きなものを持っているのだろう。
「医師の見立てでは梵天丸は命に別状はないとのことであるが、まだ意識を取り戻さぬ。此度の一件について、申し開きがあれば聞こう」
「何もございません」
潔いけれどどこか不遜な態度に周囲の人間たちがかすかに色めき立ったが、輝宗は表情を変えなかった。
何故梵天丸の右目を抉り取ったのか。その理由は言わずとも分かっているはずだ。
今まで誰もそれをしなかった。そして自分はそれをした。つきつめればそれだけのこと。
「聞けば梵天丸の目に刃を向けたとのこと。如何な理由があったとしても、このままではお前に何らかの処罰を申し渡さねばならなくなるぞ」
「恐れながら私の主君は梵天丸様ただ一人にございます。他に申し開きをすべき方はおりません」
自分のしたことは分かっている。死罪や流罪を申し付けられても黙って従うつもりでいる。
一つだけ心を残すことがあるとすれば梵天丸と義姫のことだが、今回のことがきっかけとなって少しでも良く変わればいいと思う。
しばらくの間、衣擦れ一つしない静寂が部屋を覆った。ゆっくりと輝宗が立ち上がり、皆がその動向を見守る。
「道理である。よろしい、梵天丸の意識が回復するまで景綱の処罰については保留にしておこう」
「しかし殿!こやつは」
「不敬の念を持って、梵天丸の見えぬ右目を抉ったわけではあるまい。それに抵抗した形跡がなかったのであれば、梵天丸自身が望んだことでもあるのだろう。しばらく様子を見ることにしてそれからでも遅くはあるまい。皆に言い渡す。梵天丸が回復し、沙汰があるまでは勝手な処罰をすることは儂が禁じる」
何か言い募ろうとする家臣の言葉を遮りそれだけ述べて輝宗が去っていくと、納得のいかない顔をしながらも臣下たちもお開きとなった部屋を出て行く。
小十郎自身も意外な展開であったが、最後に立ち上がると握り締めていた左手が汗でべったりと濡れていて、乾いた笑いが漏れた。




ひとまず処罰は保留となった小十郎だが、城下の屋敷で連絡があるまでの間謹慎が命じられた。
傅役として城で暮らすようになってからは殆ど立ち寄りもしなかったので、一人で寝起きしているとほんの半年ほど前までの毎日を妙に懐かしく思い返したりした。その間もずっと梵天丸のことは頭から離れなかった。
また長雨や強風などの異変が起こるかもしれないと少し気にかかったが、何もおかしなことは起こらなかった。
綱元が訪ねてきて、翌日の昼過ぎになって梵天丸が意識を取り戻したことを聞かされた。更に二日経過して登城の報せが届いた。着物を着て袴を穿き、刀をさして城へ向かう。
通いなれた階段を上り、仄暗く少し湿った空気の流れる廊下の向こうにある部屋に静かに入った。
「お加減はいかがですか」
大仰に撒かれた包帯が傷を物語っていたが、部屋の中で梵天丸は身体を起こしていた。
残された左目だけで小十郎を一瞥し、疲れたような声で答えた。
「良くも悪くもない」
「悪くないのであれば上々でしょう。傷は痛みますか」
「見てみるか?」
試すように言うと返事も待たずに包帯を解き始めた。生き物のようにうねりながら床へと落とされる。
晒された白い肌の上、眼球がなくなったせいで瞼をあけられず、閉じられた右目にまだ乾ききらない新しい刃物の傷とすでに朽ちた疱瘡の跡が見えた。顔を近づけて覗き込む。
醜く崩れた右目がなくなった顔からはあの嫌悪感をもよおす恐ろしさが削ぎ落とされ、彼が本来持っている美しさと清廉さが引き立って見えた。華々しく匂い立つ大輪というより、ふと思い出すような慎ましい一輪の花。
梵天丸の香の香りが甘く部屋に立ち込めている。
「よいお顔をされている。もうご自分で見られましたか」
「……いや」
「今度鏡を持ってこさせましょう。きっと驚かれますよ」
「好きにしろ」
素っ気ない答えは以前とまったく変わっていない。それどころか会った当初に戻ったような感じだ。
右目を切り取ったくらいですぐに全てが上手くいくと考えるほどおめでたくはないが、梵天丸の反応は予想よりもはるかに鈍かった。どこか虚ろにも見える。
「梵天丸様、本当にお加減は悪くないのですか」
「くどい。良くも悪くもない」
「ではお聞きしますが、お力のほうは何ともありませんか。俺が観察している限りでは、ここ数日不審な死を遂げたものや異常気象は起きておりませんが」
「知っておる。右目を除いても依代としての力には変化がないということは、お前の言うとおりあの目はただの俺の未練だったのだろう。未練を断ち切った俺が変われたなら、お前や虎哉が望むとおりの筋書きだ」
突如梵天丸の口調が、嘲るようなそれに変わる。
顔を上げると梵天丸は笑っていた。何かが崩れ去る直前のような、危うさを含んだ笑みは小十郎には永遠に理解できないものにさえ見えた。
梵天丸の小さな手が小十郎の頬を包む。ひんやりと冷たいてのひらが、かたちを確かめるようにゆっくりと撫で、自分の頬が強張っていることに気がついた。
ああ、そうか。
分かったような気になって、自分は本当は何も分かっていなかった。誰が、本当に何を望んでいたのか。
輝宗も義姫も梵天丸も。手に入らないもの、戻らないもの、温かい家族の幻を見ていたのだ。
それが複雑に絡みあって歪んで、修復しようもなくなったところで自分たちは出会った。
誰にも顧みられない孤独な子供。だから自分だけが梵天丸の味方なのだと思っていた。
そうじゃない。小十郎が傅役として梵天丸へ仕えるようになったのは、三人の未練を断ち切るためだったのだ。
自分はいつも真実の外側にいて、後になって気付かされる。
浅い溜息はどちらのものだったのか。
小十郎も手を伸ばして梵天丸を引き寄せると、瞬きひとつ逃すを惜しむほどに顔を寄せた。
あと一歩でも踏み込めば軽く触れ合ってしまいそうに近くても、やはり梵天丸は自分を見てはいない。
傅役として長い時間を傍で過ごし、己の手の内を隠し相手を量るようにしながら少しずつお互いを知って、心の隙間に入り込んだ。その終着がこれなら、現実とは随分非情なものだ。
「あなたは、本当は俺に何をさせたかったんですか?」
低く囁くと、梵天丸が少し目を見張って驚いた表情をした。そしてゆっくりとその唇が三日月形に引き結ばれる。
与えるのではなく、何かを奪いとって自分のものにするための、純然たる貪欲さで。
「は…はは、ははははっ! 気付いておったのか」
「気がついたというより、今知ったというか」
正解をいきなり目の前に突き出されたのに近い。
梵天丸は笑いを収めると、頬を包んでいた手で小十郎の両目を覆った。
「何故、殺さなかった」
「! 梵天丸様、何を」
「あの瞬間、お前、俺を殺そうと思っただろう?」
殺意、を抱いたのははじめてだったかもしれない。戦で人を殺したのはそれが仕事だっただけのことで、殺したいと思っていたわけじゃない。
ばれていたことよりも、もっと違う衝撃に鼓動が大きく鳴った。
「お前ならばと思ったが、やはり咎を恐れたか。それとも単に怖気づいたのか。また生き延びてしまった。これで三度、死に損ねたな」
最初から、何もかもが終わりへ向かう決まりごとだったのだろうか。
懐いたふりでわざと、小十郎に刃を向けさせた。
柔らかく温かく変わっていく日々の中で、梵天丸はずっと何を想っていたのだろう。
一生傍にいる。あの気持ちを嘘にさせはしない。
「……俺に、貴方を殺させるつもりだったんですね」
「人の考えることなど容易い。忌み子と遠ざけられ母にも疎まれ、すっかり心を閉ざした可哀相な子ども。少しも哀れみを抱かなかったとは言わぬであろう」
あまりに残酷な告白に、憎しみや怒りや苛立ちで衝動的に何もかもを壊したいような気分になる。
けれど手が動かなかった。指先一つ、自由にならない。
胸が震える。突き放そうとして、惹かれて、繰り返してそれでも最後には求めてしまう。
自由だった自分を捨てても、その不自由さをもう他の何ものにも代えることができない。
「もう一つだけお聞きします。梵天丸様、貴方にとって俺は刀や縄と同じ、自分を殺させるための道具だったのですか?」
どこかから入ってきた風が、梵天丸の髪の毛を揺らすのを指の隙間から見ていた。
随分と伸びたように思う。自分たちが出会って過ごした時間と同じだけ。
息を吸い、吐き、食べ、眠り。望まなくてもひたすら生命の営みは止まることなく彼を生かす。
無意識に唇を噛んでいたのか鉄の味が口内に広がった。目ざとくそれを見つけた梵天丸が、小さな舌を出して血を舐め取る。ざらざらとして生暖かい感触にされるがまま、空白の時が流れる。
「お前は俺に、何を期待している。伊達の跡目も臣も民も、俺が望んだわけじゃない。ただ静かに息を潜めていることすら俺には許されないのか」
「貴方が、本当にそれを望むのであれば俺が全力で叶えて差し上げる。ですが、貴方は俺のこともご自分のことも何も信じようとはしてない。怖いものから目を塞いで逃げているだけの子供だ」
どうしてそんな気持ちになったのか、小十郎自身にも説明がつかなかった。
ただ自分を否定されたそのことよりも、梵天丸が己自身を粗末にするそのことが何よりも小十郎を駆り立てた。胸のざわめきが治まらない。それなのにどこかが冷たく凍えている。
愛情とか忠誠とか目に見えないものを信じるというのは難しい。だから金銭なり地位なり身体なり形あるものでそれを証明しようとする。
自分は何を持って、それを梵天丸に信じさせてやれたのだろう。
この歪で温かく身勝手な感情のほかに、何を差し出せば良かったのだろう。
だが梵天丸は怒りも何も見せず、心底理解できないというように瞼を閉じて小十郎を拒絶した。
誰にも彼を傷つけることなど出来ない。
「もう良い。俺を恐れながら離れようとしない物好きはお前がはじめてだったが、所詮化物には人の考えることなど理解できぬ。お前も駄目だった。用済みだ――もうここには来るな」
細い腕が離れてゆく。だらりと自分の腕が布団に落ちた。風はやんでいる。
皮肉な話で、右目の上に残された傷痕が唯一梵天丸に残すことができたものだった。
梵天丸に向かって放った言葉が、どこかで棘のようにちくりと痛む。
これは、自分が奪い取った梵天丸の感じた痛みなのかもしれなかった。
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