梵と時と小十郎のかくれんぼ
「梵! こじゅ! 遊びに行こ!」
年明けて梵天丸十歳、小十郎二十歳になっていた。
梵天丸は相変わらず人目につかない薄暗い自室で寝起きし、小十郎以外の人間が出入りすることは殆どないままだが、少しずつ自ら外に出て他の人間に馬や弓を習ったりするようになっていた。
何もかもが急には変わらない。
今でもまだ忌み子という呼称は家臣たちの間に根強く残ったままだし、視線すら合わせようとしない者も多いが、梵天丸自身がそれを望んで受け入れていたこととそうでないのは大きな違いだ。
少なくとも、彼は飛び立つことを選んだ。あの穏やかな薄闇の鳥籠から抜け出して。
んな日々の中で最近一番大きな変化といえば、傅役以外に新しく近習が増えたことである。
とはいっても梵天丸より一つ年下の少年にはまだまだ臣下という意識などなく、当面は遊び相手程度のもので構わないと、自分を傅役に推挙した変わり者の老臣は言っていたが。
名を時宗丸という。先々代稙宗の血を引く伊達一門の中でも直系に次ぐ生まれで、小十郎にしてみれば主君筋にあたる人間だが、そこはまだ子供。手のかかる弟が一人増えたようなものだった。
「時宗丸様! まだ写経が終わってないでしょう」
「えー、だってつまんない!」
「つまらなくてもやってください。今はまだ分からないかもしれませんが、貴方はいずれ梵天丸様を支える武士となるのですから。終わるまでは外出禁止ですよ」
今日は虎哉和尚の寺で勉強をする日である。小十郎は勿論のこと、時宗丸も梵天丸に従って学ぶ。
しかし独特の扱いにくさはあるものの、子供っぽい我侭を言わない梵天丸に比べて、時宗丸はすぐに居眠りをしたり外の景色に目をやったり、ほんの半刻も大人しく座っていない。
剣の稽古をしているときは熱心なのに、それ以外のこととなると途端に愚図りだす。その度に小十郎が宥めすかして、何とか半日場をとりもっているという感じだ。
梵天丸は端から興味を持っていないし、虎哉和尚も悪童の躾は小十郎に任せておこうと傍観者を決め込んでいるのが丸見えである。
黙々と筆を動かす梵天丸の隣で、時宗丸は早くも足を投げ出していた。この年頃では勉学より武芸を好むのは仕方がない。どう考えても梵天丸のほうが特異なのだ。まるで、この世の理をすべて知ろうとでもしているような。
どっちもどっちだ。先が思いやられると嘆息しながら、時宗丸の足をぺしりと叩く。
「お行儀が悪いですよ。それが終わったら今日はお終いにして、稽古でも遊びでもお付き合いしますから」
「梵、梵も一緒に遊ぶよなっ!」
「……俺は別に」
「皆で遊んだほうが絶対楽しいもん!」
「小十郎がいるからいいだろう。俺はまだ読みかけの書がある」
大体いつもこんな調子で素っ気ないやりとりをするのだが、不思議なことに時宗丸は梵天丸に懐いている。
子供同士という連帯感以上に、小十郎が感じたような人を惹きつける何かを感じ取ったのかもしれない。何かと梵天丸のまわりをちょろちょろしている。
今までずっと大人ばかりに囲まれる生活で、その大人にさえ己を隠す術を覚えた梵天丸だ。
屈託なく感情を表に出す時宗丸に些か困惑している姿を見せるが、他人に無関心を貫いていた頃から見ればそれだって大きな進歩だ。
出会った頃に比べて、自分と他人の間にある呼吸のようなものができてきたような気がする。
あと五年もすれば梵天丸も時宗丸も大人になり、従兄弟は明確な線引きをもって主従となる日が来る。その関係を二人が理解するのはもう少し先の話だろう。
できることならどうかこのまま、この関係が信頼となり絆となっていくことを願わずにはいられない。
「梵天丸様も一緒に行かれると宜しい。世の中というのは書物だけで学べるものでもありませんからな」
ここに至るまでやりとりを黙って見ていた虎哉和尚が横合いから口を挟む。
無邪気に喜ぶ時宗丸とは裏腹に、当事者の梵天丸はむすっと口を引き結ぶが、この食わせ物の僧が勿論その程度で怯むわけがない。悪人ではないが、手放しに信用するには危険な相手だ。
小十郎の傅役としての真価が問われるのはこれからとしても、梵天丸の複雑な人格形成の一端は間違いなく虎哉和尚が原因だろう。それでも概ねこちらの実情を理解し、力を貸してくれているのだから文句は言えない。
四半刻が経った頃、写経を追えた二人を連れて庭へと降り立った。
「それで、時宗丸様は何の遊びをご所望なのです」
「かくれんぼ!」
「はいはい、分かりました。では小十郎が鬼を務めますので十数える間に梵天丸様と時宗丸様はお隠れになってください」
実のところ小十郎自身、幼い頃は養家で学問と武術に必死だったためこういった遊びの類はあまり経験がない。
子供ながらに認められたい一身だったのだろう。今となってはもう恨む気持ちもないが、懐かしさよりかはどこか苦い記憶のほうが強い。だから梵天丸には温かい記憶となって残ってほしいと思う。
自分じゃなく、誰かを想うこと。かつて自分が決めた生き方とは変わってしまったけれど、それはそんなに居心地が悪いものじゃない。
最近、久しぶりに義姉に会った。お互い同じ城に出仕しているはずなのだが、傅役となってからは屋敷に帰らなくなったせいで、まともに顔を合わることもなかった。
かつての荒れていた自分を誰よりもよく知っている彼女は、小十郎の変わりように驚いていた。自分でも意外だったのだから、当然だろう。
少しばかり面映い思いをしながらも、素直に今の自分のことを口に出せることが、無性に誇らしくて嬉しかった。
「ひとーつ、ふたーつ……」
ゆっくり十まで数え終わったところで振り返ると、そこには、先ほどとまったく同じ場所に梵天丸が立っていた。
「……梵天丸様、何をなさっておいでですか」
「時宗丸はどこかへ走っていってしまったのだが、小十郎、『かくれんぼ』とは何だ?」
一瞬からかわれているのかと思ったが、あくまで真面目な様子の梵天丸に本気だということが伺えた。
考えてみれば今まで近しい遊び相手など一人もいなかったのだから、無理からぬことである。
分からないことが分からないなんて、分かる側の傲慢だ。
難しい異国の書物には、かくれんぼの遊び方など書かれていない。誰かと遊ぶという経験をしたことがなければ、一生分からない。
当主や和尚の真意がようやく読めた。梵天丸より十も年長でも、親になったこともなければ人を育てたこともない自分では気付きもしなかっただろう。
この子は、仏教や歴史や兵法などよりも大切な学ぶべきことが沢山ある。
腰を落として梵天丸と視線を合わせる。
「かくれんぼ、というのはですね。鬼を決めて、その名の通り鬼に見つからない場所に隠れる遊びです。最後まで見つからなければ勝ち。見つかれば負けです」
「随分厄介な遊戯ごとだな」
「厄介、ですか?」
「人為的に神隠しを行なうのであろう。子供同士の遊戯であればさほど問題にはなるまいが、もしも俺がやったら厄介なことが起きるかもしれんな」
「それは考えすぎじゃないですか」
「だが根本としては『忌み』と同じことだ。特に子供は大人よりも本能が発達している。悪しきモノを避けるために無意識のうちに歪みに迷い込んだりする可能性は否定できない。俺自身がそうなることだってな」
あの事件の後、表面上は梵天丸の周囲は落ち着いている。だが何が解決したというわけでもないのだ。楽天的に考えてばかりいられないというのは正しい。
「その時は、必ず小十郎が見つけ出します。この世の果てだろうがあの世だろうが」
「お前のその根拠のない自信がどこから出てくるのか、俺には不思議でならぬ」
「根拠ならありますよ。人に誉められた人生じゃありませんが、俺は約束だけは一度も破ったことがないんです」
問いかけるような眼差しで梵天丸が見つめてくる。大きく頷いて小さな手を握った。
小十郎のことを信じると言った梵天丸の言葉を守っていくのだ。一生。
一年前なら笑っていたかもしれないが、今は一生分の重みと天秤に掛けて微塵の躊躇いも感じない。
それはきっと梵天丸に、一生に値するだけのものをもらってしまったからだろう。
「ところで小十郎」
「はい」
「時宗丸はどこへ行ったんだ?」
―――すっかり失念していた。



慌てて探しにいくと、物置代わりに使用している暗い倉庫の屋根裏に半べそ状態の時宗丸がいた。
どうやら上るのは上ったものの、降りられなくなったらしい。手も届かないようなところによく器用に登ったものだ。
「……梵〜、こじゅ〜」
鼠のように縮こまっている時宗丸を引っ張り出し地面に下ろしてやると、ほっとしたのかぐすぐすと泣きながら梵天丸に抱きついた。
梵天丸は一瞬だけびくりとしたが、躊躇いがちに頭を撫でてやる。時宗丸は好奇心が強くて負けず嫌いな反面、怖がりなのだ。無関心に見えてさすが見るところはちゃんと見ている。
「時宗丸様、男子がこの程度で泣いていては情けないですぞ」
「まだ子供なのだ。仕方なかろう」
梵天丸にしがみ付いたまま泣き止まない時宗丸に声をかけると、梵天丸が呆れたようにこちらを一瞥する。
たった一つしか違わない子供が子供と言うのも何だが、その子供に諭されている自分の立場って何だろうか。
今更だが梵天丸が例外すぎるのであって、もともと子供なんて大の苦手で、会えば子供にも泣かれる自分が相手の気持ちを慮るというのも大変な話である。
「ほら、時宗丸。かくれんぼは止めにして、部屋で小十郎に書でも読んで貰え」
着物の裾が汚れるのも構わずに涙を拭ってやると、手を引いて本殿のほうへと歩き始めた。こういった時の所作の綺麗さには育ちのよさが伺える。
別段何の危険があるわけでもないので、少し離れて後から着いて行く。
何となく、すぐ側を歩く気分じゃなかった。別に時宗丸が梵天丸のほうに懐いていることは気にもならない。けれど何故か胸のうちがもやもやする。ある感情に似ている気はするが、まさかそんな訳ない。
先を歩く子供たちは、無邪気に話を続けている。現金なもので、けろっと泣き止んだ時宗丸はすっかりいつも通りの調子だ。
「ね、梵も一緒にこじゅに読んでもらお!」
「俺は本くらい一人で読める」
「だってこじゅと梵、一緒じゃないと淋しそう」
誓って、時宗丸に他意なんてなかっただろう。だが二人を凍りつかせるには充分すぎる破壊力だった。
「な……っ!淋しいわけないだろう!」
どきりとした小十郎よりも、梵天丸が予想外に過敏に反応した。
「そんなに否定しなくてもいいでしょう。小十郎は一時たりとも梵天丸様のお側を離れたくないのですが」
「お前がそんな可愛い神経をしているものか」
「図太かろうが繊細だろうが、本心ですから」
歩幅を広げてすぐ後ろで囁くと、白い首筋がほんのりばら色に染まった。後ろからなので表情は分からないが、照れているのだろうか。
あの無表情で無関心な梵天丸様にこんな一面があるとは、きっと自分以外誰も知らない。
これはこれで、ありだ。
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