ブランケットライフ

「うえええええええええん!!!!!!」
どこぞの風来坊に男くさいところだと嘆かれた伊達屋敷に、非常に珍しい声が響いていた。
「うわあ、頼むから泣き止んでくれええ!」
「どどどどうしやしょう!?」
「俺が知るかよお!」
「女連れて来い、女!侍女でも料理番でも婆さんでも誰でもいいから!」
「その女がいねえから、ここにいるんだろうが!?」
いい年をした男が何人も集まっておろおろと右往左往している。
我らが奥州筆頭のためならたとえ火の中水の中飛び込む勢いの猛者たちだが、そんな彼らだって苦手なものはある。
一つは竜の右目の怒声。一つは女の涙。そしてもう一つは子供。
中心で泣き声をあげているのは、まだ五歳にも満たないであろう男児だった。
今朝方、侍女頭である喜多が連れてきた子供だ。
喜多といえば鬼庭左月の娘であり、小十郎の異父姉でもある女傑で、政宗からの信頼も厚い。
男児はその喜多の生家である鬼庭家の遠縁にあたる女の息子で、父も伊達家に仕える武士の一人である。
今回母親の第二子の出産にあたって、周り回って喜多にしばらく面倒を見て欲しいということになったそうだ。
喜多自身多忙な身であるが、政宗の乳母を務め上げた自負と己を頼ってきた若い母親への情から断れなかったらしい。
それが今日に限ってどうしても手が離せない急用ができ、しかも他に子供を預けられる人間も見つからず、半日でいいからと伊達軍の猛者の中に置いて慌しく出て行ってしまったのだ。
伊達軍に関わりある人間の多くは彼女のことを頼りにしている反面、絶対に頭が上がらない。
脅されるようにして引き受け、そして現在に至る。
今日は特別な軍議もなく、皆が暇を持て余していたとはいえ、子供の面倒など誰一人見たことがない。
それでも最初のうちはお菓子を与えたりして何とか大人しくさせることに成功していたのだが、所詮その程度の付け焼刃では、一刻も立たないうちにすることがなくなった。
見知らぬ大人――それも体格がよくお世辞も優しそうには見えないむくつけき男たち――に囲まれていては、物心もつかぬ子供が不安を覚えるのは火を見るより明らかである。
遂に泣き出してしまった。
大男たちが暴れるから余計に怯えさせてしまっているのだが、そんなところまで頭はまわらない。
戦場でもないのに恐慌状態に陥った一角だったが、そこへばんと扉の開く音が高く響いて一瞬静かになる。
「なんだなんだお前ら。朝から大騒ぎしやがって」
「筆頭!」
朝から剣の稽古をしていた政宗が騒ぎを聞きつけて、小十郎を伴って現れたのだ。
汗をかいてほんのり薔薇色に上気した頬は、彼を年齢よりもほんの少し幼く見せていた。
決して女性的ではないが、涼しげな目元にすっきりした鼻梁と薄いさくら色をした唇は勇ましいには程遠く、また手足が長く細身であるため、甲冑を身につけていなければ武将には見えない。
まだ二十歳にもならない微妙な年頃だ。
隻眼であることもあり、本人は武将らしからぬ己の容姿を少しばかり引け目に感じているらしいが、臣下たちにとっては唯一無二の主君で、誇り高く美しい奥州の竜である。
そんな政宗だが早速彼らの背後で泣き声をあげる男児を見て、目を丸くしていた。
「what?」
「へえ。き、喜多殿に昼まで面倒見るようにと言われまして」
「喜多が?」
そこでかくかくしかじかとこれまでの経緯を話した。子供はまだ泣いたままだ。
「すんません、筆頭。とりあえずどっか連れて行きますんで」
「いや、いい」
邪魔にならぬようにと申し出るのを制して、あわてふためく男たちをかきわけて男児の前にしゃがみ込んだ。
子供の相手をするときに目の高さをあわせるのは基本中の基本である。
ぽんと肩に両手をおいて、正面から語り始めた。
「俺は伊達政宗だ。この奥州の地を守ってる。お前も将来武士になるんだったらめそめそ泣くんじゃねえ」
周囲は常に大人ばかりの環境で育ち、家督を継いでからも年若ゆえに侮られた悔しい経験も多い政宗は、相手がどれだけ年上だろうが年下だろうが、身分が上だろうが下だろうが決してぞんざいに扱ったりしない。
人生経験の浅い子どもだからと言って、その人間の人格を踏みにじっていいものではないからだ。
子どもには子どもなりの考えがあり、政宗はそういうものと真剣に向き合おうとしている。
だからこそ部下もついていこうという気になるのだが、まだ物心つかぬ子どもにその心情を理解してもらうのはいささか早すぎたかもしれない。
「…うええええん!ははうえー!!!」
一瞬泣き止んだかと思われたが、更なる大音量となり結局全員のけぞって耳を塞ぐはめになってしまった。
奥州筆頭の力を持ってしても駄目なようだ。
心意気は充分でも、政宗にしたって子供の相手などしたことはない。
「……嫌われたみてえだな」
眉間にしわを寄せてがっくりと肩を落とす。
すると今まで黙って様子を見守っていた小十郎が、さりげなく横合いから入った。
「失礼」
政宗の手から子供を受け取ると、いきなり「そらっ」と掛け声と共に子供を高く抱き上げた。
そんなことをしたら余計に泣き出すのではという周囲の危惧などおかまいなしに、抱き上げては降ろす動作を何度か繰り返した後、自分の腕に抱いて背中をさすってやった。
地面に降ろされた頃には何がどうしたものやら、男児はぴたりと泣き止んでいた。
「いいか、坊主。この城は将来お前が守る城だ。そして政宗様はお前が守り、お仕えすることになるお方だ。男たるもの主君の前で泣きっ面を晒すようじゃいけねえ。どんな状況にあっても心を強く持って、勉学にも武道にも励めよ」
頭を撫でながら懇々と諭すと、見る間に男児からはさきほどまでの頼りなさが消えて力強く頷く。
どこからどう見ても無骨で強面の厳めしい外見とは裏腹に、ここにいる誰よりも上手に子供をあやしてしまった。
「小十郎様……すげー」
「かっこいいっス……!」
あちこちから賞賛の声があがる。
頭は切れるし、腕も立つし、男前な上に子守までできる。
その何分の一、いや何十分の一でもあやかりたいと、伊達軍一同は憧れの眼差しを注がずにはいられない。
もっとも本人は政宗命を絵に描いたような男なので、その辺りには少しばかり鈍いのであったが。
少しばかり面白くないとやや不貞腐れ気味の政宗に気付き、苦笑を浮かべながら部下たちに向かって声をあげた。
「よし、おめえら坊主を連れて外行ってこい!天気のいい日は身体を動かして鍛えるもんだ」
「分かりやした!おっし、それじゃ外で遊ぶか!」
「うん!」
わらわらと外へと駆け出していくのを見送り、その場には政宗と小十郎だけが残された。
二人きりになると政宗は汗ばんだ道着の胸元を少しばかり着崩して、射抜くような隻眼で小十郎を見上げた。
「上手いもんだな、小十郎。一体どこでそんな技身につけたんだ?」
予想通りというか、本気ではないにしろ浮気でも疑っているような小さな棘っぽさが含まれている。
昔、猫を飼っていたときもそうだったが小十郎ばかりに懐いてしまい、癇癪をおこされたことがあった。
何分負けず嫌いなのだ。表面上はクールに装っていても内心ではどんな些細なことにも手を抜かない。
やれやれと思いながらも政宗のそういう部分を好きなのも確かで、自分も大概だという自覚はある。
「一人育てておりますのでな」
「?」
「梵天丸様というお名前の、たいそう気難しい手のかかる御子でした」
「…shit!俺はあんな泣き虫じゃなかったぞ」
「そうでしたね。泣いている子供の相手をするほうが、小十郎には楽です」
小十郎が政宗の傅役として仕えるようになったのは、政宗9歳、小十郎19歳の時だ。
病で片方の光を失い、追い討ちをかけるように母の愛情まで失った子供は、他人を寄せ付けようとせず、身体にも心にも固い針をまとったハリネズミのようだった。
あの日からここに至るまでに辿った道のりは、決して平坦だったわけじゃない。
小十郎もまだ若く、己の感情を制御しきれずに厳しい言葉もかけたし泣かせたことだってあった。
その度に自己嫌悪に陥っては、自分には傅役なんて向いてないと何度も考えた。
最初は多分、子どもだと侮る気持ちがどこかにあったのだろう。だが政宗はそれを許してはくれなかった。
傷つけたことも、傷つけられたこともあった。ただ一度だって、投げ出そうなんて思わなかった。
だから、今の自分たちがいる。
「……そうだよな。お前には随分我侭も言ったし、迷惑をかけたよな」
厳しい印象の強い瞳が、かすかに緩む。
隻眼だからか、ほんのわずかな変化でもどきりとするほどに強く感じる。
政宗は政宗なりに、あの日々のことを何とか収まりのいい場所にしまおうとしているのだろう。
綺麗な思い出ばかりではないが、降り積もった時間は無駄だったわけじゃない。
「やめてください。今こうしてあなたの傍にいられることが小十郎にとって一番の喜びなのですから」




その夜、久方ぶりに政宗と閨を共にした。
二度ほど交わって汗まみれになった白い肌を清め、その身体に夜着を着せようとした手を掴まれる。
枕もとの灯りに照らされた瞳が、焔のように妖しく揺らめいていた。
「なあ、今日の子供のことだが……」
「義姉にはよくよく言っておきました。どうやら急用というのは、あの子の妹が流産しかかったとのことで、あれも一応女ですから気が動転していたようでして。明日改めて本家より謝罪させますので、どうかご容赦のほどを」
「いや、その件は別に構わねえ」
「寛大な処置、感謝いたします。それでは、どういった?」
彼にしてはめずらしく歯切れが悪い。今更遠慮をするような間柄でもないのに一体何を躊躇っているのか分からず、改めて聞き返すと政宗は枕もとの煙管を引き寄せて気だるげに煙を吐き出した。
「小十郎。お前、子供好きか?」
「嫌いではありませんが」
「……そうか。お前の子供だったら、さぞかし忠義深い良い武将になるだろうな。見てみたいぜ」
唐突な質問にどういう意図がこめられていたのか、ようやく理解した。
これから先、おそらくそう遠くない未来に政宗は妻を迎えなければならない。
それはしたいしたくないで済む話ではなく、その血を残すことはこの奥州の王として伊達家の当主として、当然ながらに果たすべき義務だからだ。
小十郎自身、三十路を前にして周囲からも身を固めろと相当うるさく言われている。
政宗の耳には入らないようにと気を配ってはいるが、人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、先日もまた縁談話をもってこられたことがどこかから漏れたのかもしれない。もちろんその場で断ったのだが。
しかし今日あの子供を見たことで、何かしら彼の中に考えるところがあったのだろう。
「残念ですが、そのご期待には添えませんな」
「どうしてだ」
「現在も、これから先も、このように閨をともにしたいと思うのは政宗様だけですから」
「でもお前、昔は結構遊んでたって聞いたぜ。しれっとした顔で傅役してたくせに」
痛いところをつかれる。
過去は総じて恥ずかしいものだが、昔の自分の素行はお世辞にも誉められたものじゃない。
顔も覚えていない何人もの女たちと不毛な交わりを繰り返しては、何かを埋めようと躍起になっていた。
まだこの主君は幼く、当時の自分について顔を合わせていない時間どういう生活をしていたのかまでは、詳しくは知らないだろう。おそらく酔っ払った古参の連中が話していたことを聞きつけただけで。
もちろん今だって女に興味がないわけじゃないが、政宗がいるのに他の女を見る余裕などどこにあるだろう。
年上だから余裕のないところは見せたくない。だから一歩引いているが、本当は余裕なんてひとつもない。
「別に責めようってんじゃない。お前にはお前の事情があったんだろうし、過去をなかったことになんてできねえしな。ただ、俺以外の多くの女がお前の過去を知ってるんだって思うと、ちょっとムカツクだけ。それに、もしかしたら一人くらいお前の子供がいるのかなって、そう思ってさ」
「その可能性は全ては否定できませんが……」
「ガキみたいに拗ねてって思ってるんだろ」
自分はとっくに政宗のものだ。欲しいと言うなら身体でも何でも与えてやりたいし、惜しいものなど一つもない。
でも、彼の中にはずっと不安があるのもまた知っている。
自分たちは主君と部下であり、10もの年の差があり、ましてや男同士だ。
お互いに背負うべきものがあり、守るべきものがある。
それを投げ打ってまでこの関係を続けることなど考えては駄目だ。
いつか終わりにする日が来るのなら、きっと自分からだろう。そんな日が永遠に来なければいいと思いながら、同じ頭で呆れるほど真剣に考えている。我ながら酷い話だ。
自分は政宗が思っているほど誠実でもなければ、優しくもない。
ただ何をするにも利害や損得を考えて、それがすべて政宗にとって最良になるようにと取り計らっているだけだ。
本当に、好きなだけでいられたらどんなによかっただろう。
でも彼は何も捨てられない。何も捨ててはいけない。捨てさせてはいけない。
だから彼が持ちきれないものは自分が持ち、彼が捨てられないものは自分が捨てる。
その覚悟だけは決めている。彼をはじめてこの腕に抱いたときから。
「政宗様とはじめて臥所を共にしてからは、他の誰ともこのようなことはしておりませんよ。貴方以上に優しく受け入れてくださる人など、この地上のどこにもおりません。俺を熱くさせるのは、貴方だけだ」
「お前ってほんとやらしいよな……そういうとこが、たまらねえ」
小十郎の手から夜着を跳ね除け、するりと首筋に細い腕を絡ませてくる。
ちろりと赤い舌を出して唇をくすぐられた。唇を開いて口内に舌を取り込めば、必死になって吸い付いてくる。
政宗のことが愛しかった。心の底から。
高ぶる熱を受け止めて欲しくて、骨が軋むほどに強く抱きしめた。愛情も過去も不安もすべて抱えて。
一つの布団に身を寄せ合って、二人夜を越える。

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